中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2013年04月29日

若者文化ー海を超え絆を繋げる(4/4)




青木:
このような日中関係の中でよく開催が実現されましたね。

知事:
この展示会は、当初は日中国交正常化40周年を記念して昨年9月に開催する予定だったのですが、日中関係を勘案して延期することになりました。
でも、その後も、なんとか開催したいという強い想いで、江蘇省と協議を続け、できるだけ早い時期の開催を働きかけたところ、昨年末に、江蘇省から全面的な協力を得られるとの意向が示されたことから、この度の開催を決断したのです。

青木:
それは本当によかったですね。こういう時だからこそ、地方間同士の交流が極めて重要だと思いますね。

知事:
日中関係は依然として厳しい状況にあり、多くの課題がありますが、こうしたときこそ地域間の相互交流を進めていくべきだと私もそう考えています。
私自身も、日中漫画展にあわせて江蘇省南京市を訪問し、2012「日中国交友好交流年」実行委員会の企画委員長を務められた石川好さんや漫画家の森田拳次さん、クミタ・リュウさんとともに、日中漫画展オープニングセレモニーに出席します。
日本の漫画は中国でも大変人気があると伺っていますので、日中漫画展を通じて、愛知県と江蘇省、ひいては日本と中国の友好関係の一層の発展と交流促進を図っていきたいですね。たくさんの方々に来ていただきたいと思っています。

青木:
そうですね。地方間同士の交流を深めていくことが、日中関係の修復に繋がると信じてやみません。ところで、中国はこの度の全人大で胡錦濤体制から習近平体制に移行しました。知事は、中国の新体制についてどのようにみていますか?

知事:
日本も中国も同じことがいえますが、トップの人間が変わることで、政策や色合いが変わることはあります。しかし、国はトップの人間一人が全てを動かしているわけではありません。ですので、新体制となったからと言っても国家の方向性がハッキリと変わることはありえないと思います。今は、日本と中国は波静かではありません。しかし、日中間の関係が大事であることは、誰しもが認識しておりますし、いずれこの状況は収まり、また交流を深めていくものだと考えています。

青木:
それから、日本の政治体制も民主党体制から自民党体制に変わりました。今の日本の状況とこれからの見通しについても、知事はどのようにみていますか?

知事:
今は調子がいいように見えますが、私は先行きはそう簡単ではないと思います。大胆な金融緩和策や積極財政へ舵をとったことで、円安・株高に振れています。しかし、この状況がこのままずっと続いていくことは、簡単ではないと思っています。世界経済と共に日本企業もグローバル化している中で、公共事業を増やした程度では、日本の景気は良くなりません。もっと日本国内の政治や経済をグローバル化に対応できるようにしていかなければ、日本経済は成長していきません。少しくらい痛みを伴っても、グローバル化に対応するための改革ができるかどうか試されている時期ではないかと思います。アジアを含む海外から人と企業を受け入れ、またどんどん外にも出て行く覚悟を決めてやらないと、日本は成長せず、埋没していくと思います。

青木:
そうですね。日本と中国は隣国ですし、知事の仰るグローバル化という意味でも、早急に日中関係を修復することが大事なポイントとなってきますね。
では、最後に中国の皆さんにメッセージをお願いできますか。

知事:
日本と中国は2千年もの交流があり、歴史的にも繋がりが深いです。双方が歴史を学び、お互いが尊重しあう未来志向の関係を築いていくことで、両国の友好・発展に繋がっていくと思います。私は日中の未来について全く悲観していません。これからも、日本と中国が良い関係を築いていけると信じています。
愛知県にある中部国際空港から中国本土へは、3月現在で北京、上海はじめ10都市へ週79便、香港へは週28便、台湾へは週25便の旅客便があります。また、貨物専用便も香港へ週6便運航されています。しかしながら、広州、重慶など多くの企業が立地していても中部国際空港からの直行便がない都市もあるため、愛知県と中国、両者の発展のためにも、こういった都市への直行便の就航を各方面に積極的に働きかけていきたいと考えています。
航空路線は、人やモノの交流が活発になるために不可欠なインフラですので、今後ともネットワークを充実させていくことで、愛知県と中国との結びつきを深めていきたいですね。皆さん、是非愛知県に遊びに来てください!

青木:
知事、本日は本当にありがとうございました。






  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年04月22日

若者文化ー海を超え絆を繋げる(3/4)




知事:
是非中国の方々にも見に来ていただきたい観光名所がたくさんあります。
名古屋城では、焼失した本丸御殿の復元工事が行われており、いよいよ今年5月には、第一期分の玄関、表書院の公開が始まります。この御殿は、武家風書院造の傑作と言われており、日本の優雅な木造建築の良さを味わうことができます。そして犬山城は近くに木曽川が流れる小高い山にあり、日本で4つしかない国宝の城でもあります。
また、名古屋城の東、2kmの位置にある徳川美術館には、尾張徳川家に伝わる国宝・源氏物語絵巻、茶道具など、1万点余りの美術品、調度品が収蔵されています。
文化・芸術の分野では、今年は3年に一度の現代アートの祭典、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2013」が8月10日に開幕します。世界中からおよそ75組のアーティストが出品し、オペラやダンス、演劇など盛りだくさんの内容となっています。

青木:
マンガやアニメから派生したコスプレについて、名古屋では、2003年から、「世界コスプレサミット」が開催され、この世界大会には、中国からも出場されたようですね。

知事:
そうです、今年8月に開催される大会には、中国からも、大勢の方々に応援に来ていただきたいと思っています。日本のマンガやアニメなどの若者文化の「クールジャパン」は国際的に人気があり、中国でも、ドラえもんなどが有名であると伺っています

青木:
驚きました。歴史ある観光名所・名城から現代の若者文化に関する様々なイベントまで・・・
愛知県にはさまざまなジャンルの観光資源があるのですね。日本のアニメ・漫画・コスプレなどは中国をはじめ海外の多くの若者が憧れ、支持しています。是非、多くの方に来ていただき交流を深めたいものですね。
ところで、愛知県と中国との交流のことについてお伺いします。

知事:
愛知県と江蘇省は、1980年7月に友好提携を締結し、これまで産業、文化、教育、スポーツなどの幅広い分野で交流を行ってまいりました。2005年の愛知万博開催期間中には、友好提携25周年記念事業として万博会場で「江蘇省ウィーク」を開催し、江蘇省の特色のある刺繍、切り紙等の実演や観光PRなどを実施しました。
2010年には、友好提携30周年を記念して、南京市において愛知県立芸術大学と南京芸術学院の合同音楽会や経済交流会を開催するなど、周年ごとに記念事業を行っています。 愛知県と中国は経済・産業でのつながりも深く、愛知県にある企業の海外進出先は中国がトップであり、2012年末時点で、中国本土へは471企業が、工場などの拠点として100を超える都市に988か所設けているのです。

青木:
非常に実質的な交流が積み重ねてこられているのですね。

知事:
はい、2008年には経済分野での連携を更に強化するための覚書を江蘇省と締結しました。この覚書に基づき、南京市にサポートデスクを設置し、愛知県からの進出企業への支援と投資の促進を図るなど、連携を一層深めてまいりました。
また、今年の1月9日(水)から15日(火)までの7日間、愛知県産の農林水産物を使った加工食品や県内地場産品の輸出を促進するため、「愛知フェアin上海」を開催し、私も12日(土)から13日(日)に上海に行きましたが、非常に好評でしたよ。今後も、継続的にアジア諸国において「愛知フェア」を開催し、私が先頭に立って、品質の高い本県産の農林水産物や地場産品を積極的にPRしていきたいと考えています。                      

青木:
まさに知事は愛知県のトップセールマンなのですね。
ところで、今月は日中漫画交流展が江蘇省で開催され、知事は参加の為に江蘇省をご訪問されるとお聞きしましたが?

知事:
はい。今年度は、日本を代表するポップカルチャーである漫画をテーマとする文化交流を展開する為に、3月24日から28日までの5日間、江蘇省南京市の日中友好会館において、日中漫画展を開催します。展示作品は、森田拳次氏、ちばてつや氏など日本を代表する漫画家の作品75点と中国の若手漫画家の作品15点の合計90点で、いずれも地球の未来の姿をユーモラスに描いた力作ばかりです。






<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年04月15日

若者文化ー海を超え絆を繋げる(2/4)




青木:
愛知県は日本の三大工業地帯の一つとして、経済が非常に発達していますが、今どのような課題を抱えていると感じていますか。また、課題を解決するために知事が最も力を注いでいる政策などを教えてください。

知事:
ちょうど2年程前から円高が進み、また東日本大震災も発生し日本の製造業が非常に苦しい立場に強いられてきました。愛知県も例外ではありませんでした。しかし、愛知県および東海地域は日本の製造業や産業の心臓部ですので、われわれ愛知県が元気にならないと、日本は元気になりません。そして愛知県は、740数万人の人口規模を超える企業・産業を抱えていますから、それらをもっと厚くしていかなければならないと思います。
企業・産業が更に企業・産業を呼び、人を集めて、新たなビジネスを創るという相乗効果を起こさなければ、日本は沈んでしまうという思いで、私はこの2年間はひたすら企業誘致や企業立地に力を注いできました。この2年間で、愛知県には企業投資ラッシュといってもいいくらい企業がたくさんきてくれました。例えばですが、日本初のビジネスジェットを造るプロジェクトがスタートしました。量産工場の建設にも合意しましたから、とても期待の持てるものになるでしょう。今、円安となっていますが、私が思うに為替が多少円高・円安に振れようが、ビクともしない産業構造をつくっていくのが重要で、それが我々の目標です。

青木:
それは素晴らしい、為替に左右されない産業の創出、それは本当に大事なことですね。さて、愛知県は観光資源が豊富な県でもありますね。御県の魅力について少しご紹介していただけますか?

知事:
愛知県には、古くからの「モノづくり」文化があり、陶磁器、絞り、からくり人形といった伝統産業から、次世代自動車、航空機に代表される高度先端産業まで、多くのモノづくり産業が集積しており、34年連続で日本一の製造品出荷額を誇っています。
このため、愛知県には、「モノづくり」に関する博物館、資料館などの施設が多く存在し、それらの現場を巡る「産業観光」は、愛知県の観光の強みの一つとなっているのです。

青木:
それは素晴らしい。今日本の産業観光は中国を始めアジア諸国において高い人気がありますね。

知事:
はい、今、名古屋市内では、トヨタグループの歴史が見学できる「産業技術記念館」や絵付け体験が好評な「ノリタケの森」などに加え、2011年3月には、「リニア・鉄道館」が開業するとともに、世界最大のプラネタリウムを持つ「名古屋市科学館」がリニューアルされ、大変な人気を博しています。

青木:
愛知県は日本の歴史においてもとても重要な所ですよね。

知事:
はい、愛知県は、徳川家康を始め、織田信長・豊臣秀吉の天下取りの三英傑などの武将を輩出しており、武将ゆかりの史跡も多く武将観光を推進しています。中国では、近年、徳川家康を主人公とする小説や戦国武将をテーマにしたゲームなどを通じて、我が国の歴史的な英雄への関心も高まっていると伺っています。
史跡を巡る武将観光をPRするため、武将の妻、娘たちに扮する6人のメンバーからなる「あいち戦国姫隊」を結成しました。国宝・犬山城や家康が生まれた岡崎城などを拠点として、演舞を行うなど愛知県の観光の魅力をPRする活動を行っていますので、是非中国の若い方達にも愛知県に遊びに来てほしいですね。

青木:
「産業観光」と「武将観光」、二つの主な観光資源のほかにも、愛知県には名城・名所も多くありますね。また、食文化も非常に特色があるようですね。愛知県はわれわれ日本人から見ても非常に魅力的な県だと思いますね。





<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年04月08日

若者文化ー海を超え絆を繋げる(1/4)


愛知県知事 大村 秀章 / インタビュアー 青木 麗子


青木:
大村知事、本日はインタビューの時間をいただき、ありがとうございます。
私は、知事がまだ国会議員の頃から注目していました。ですので、本日はお会いできて大変嬉しく思っております。

知事:
ありがとうございます、よろしくお願いいたします。

青木:
知事は現在53歳だとお聞きしていますが、お子さんはおられますか?

知事:
はい、子供は4人おりますよ。

青木:
そうなのですね。素晴らしい。私も3人子供がおります。お互い、国にしっかり貢献していますね。ところで、話は変わりますが、知事は、知事になられるまで農林水産省の官僚でしたね。35歳の時に中央官僚を辞められて政治家への道を選ばれたとお伺いしていますが、経緯について少しお聞かせいただけますか?

知事:
私は大学卒業後、農林水産省に入省し、仕事をしていたわけですが、日本のグランドデザインを作るのは政治だということで、35歳で中央官僚を辞めて国政を目指し、出馬することにしました。その後、選挙を経て36歳で国会議員になりましたが、日本を覆う閉塞感を打ち破りたいという強い想いと、国のビジネスモデルが21世紀の時代に向いていないのではないか、また中央集権ではなくそれぞれの地方が独立し、特色を生かして切磋琢磨していかなければ日本が世界に取り残されてしまうのではないかと痛感し、50歳で国会議員を辞めて地元愛知県の知事に転身しました。

青木:
なるほど、地方分権の重要性を発信していくのは、地方の長として携わっていくのがベストだと思われて、行動を起こされたのですね。

知事:
政治家というのは言葉だけでなく、それを行動に移していくことが大事です。
言葉にするだけで、自分の身を安全な所に置いて責任逃れするのはいけません。自分で行動を起こさなければという想いで、国会議員から知事に転身しました。

青木:
国会議員と知事、両方の立場を経験された大村知事ですが、立場でどのような違いがありましたか?

知事:
両方、大事な仕事だと思いますが、日本は議院内閣制で国会議員は722名います。このため、国会議員は個人ではなく政党の力によって決めていくことになるのです。自分ひとりで責任を負う構造ではありません。一方、知事は直接選挙で選ばれた、740数万人に近い県民の代表ですからね。知事となって3年目になりますが、その責任の重さをひしひしと感じています。

青木:
ところで、知事は、官僚時代は農林水産省のお仕事に携わってこられたのですが、国会議員時代は厚生労働関係や障害者支援のお仕事に多く携わっていましたようですが、それは何故なのでしょうか。また、それらのお仕事を通して福祉で最も大事なことは何かと思われましたか?

知事:
国会議員として多くの仕事に携わる機会がありました。農業はもちろん、愛知県はトヨタ自動車をはじめ自動車産業や製造業が盛んなので、それらの経済・産業政策もやりました。でも、その中でもなぜか厚生労働関係にご縁があり、責任者を任されるようになりました。厚生労働と一言でいっても、非常に分野が広く多岐にわたっています。医療・福祉・介護・年金・雇用や労働そして子育てなど、生まれてから死ぬまでの人にまつわることを全てやる所です。日本は資源のない国ですが、人口は1億3000万弱あり、明治以来、人材が一番の資源となって、日本を発展させてきました。人づくりをするのが社会保障や雇用政策を含めた厚生労働だと思い、やってきました。仰られるように今、日本は地方分権化が進んできており、厚生労働の仕事や権限がより現場に近い地方にたくさん降りてきています。ですので、国政時代に積んだ経験が今非常に役に立っていると感じています。







<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年03月18日

滋賀県知事インタビュー(6/6)




青木:
これこそが地方間交流あるべく姿ですね。日本企業が中国に進出したことで中国の雇用の創出や経済の発展に大きく貢献をしています。

知事:
そうですね。それで、湖南省の省長さんも「あなたたちは、私たちがまだ経済発展する前からの友達だ」と。「後から経済的利益を得ようとして来た友達ではない」と言ってくださっていますした。日本と中国は深い繋がりがあるのです。瀟湘八景、漢字、漢文、みんな中国から伝わってきているのですから、。仏教だって、特に滋賀県の文化の多くははみんな中国からですよ。比叡山の延暦寺の天台宗は、浙江省の天台寺の教えですから。最初の遣隋使の小野妹子は、滋賀県生まれなんです。
ですから、本当に中国の文化と精神をいただいているので、これは忘れてはならないというのが私の中国との交流外交の原点です。

青木:
本当にその通りですね。日中両国は一衣帯水の間柄にあり、切っても切れない関係にあるのです。同じ漢字を使い、漢文や儒教の教えに精通している民族は、地球上で日本以外にないのですから。

知事:
今、国政で言わせていただいているのも、あまり政治的に先鋭化せずに、多重外交、多重協調外交、国は国で領土を守らなければいけない、でも、地方自治体は地方自治体同士で、友好協定など結んで、そして人と人の関係を作り、企業は企業同士で信頼関係を作り、そして人々はお互いに、多重協調外交をやっていただきたい。その事を是非、訴えさせていただきたい。来年は湖南省との友好提携協定30周年です、それを機に更に友好信頼関係を深めていきたいと思っています。

青木:
知事は30年前に既に中国にご訪問なさって、今も行ってらっしゃいますね。この30年間の中国の変化というのは、知事の目から見ると、どういう感じですか。

知事:
浦島太郎です。本当に目を見張る発展だと思います。

青木:
本当にそうだと思います。30年前の中国は今の中国ではまるで別の国のように私は感じています。

知事:
共産主義、大きな国家を統一するためのに必要な体制だったかもしれませんが、やはり、より資本主義的な経済システムと、それから文化と人々の意識の開放という事をなさる中で、私は今中国の皆様の持っている潜在的な能力が発揮されている、素晴らしい力が発揮されていると思っています。

青木:
そうですね。今からの中国は政治的にも社会的にも色んな問題を抱えながらも、おそらく、安定して発展していくんだと思いますし、何年後か、世界でアメリカを抜いて経済力も一番になっていくと。名実ともに大国として取り戻すという事になるでしょうけれども、そのような大国になった後の中国に対して、知事はどのような事を中国に望みますか。

知事:
人間としての基本的な幸せだと思うんです。やっぱり、人を大切にする、そして女性や子どもや高齢者や障害を持っている人を含めて、弱い立場の人を大切にする。もちろん今でも大切にされていると思いますが、発展していく中でそういう国家に育っていただきたいなと思います。

青木:
そうですね。またアジアの中において中国というのはどうあるべきだと思われますか。

知事:
アジアにおいても、やはりこれから日本は人口減少、そして様々な課題、制度疲労も起こしていますが、日本と手に手を携えて、アジアのリーダーシップをとっていけるといいなと思います。互恵的戦略的互恵関係、お互いにwin winの関係で、今、尖閣問題発生以降、互損になってしまっていますよね。これはやっぱり、幸せな状態ではないので、互恵的戦略的互恵関係を作れるように、私は自治体の首組長として、また、女性としても繋がっていきたいです。こうして今日、青木さんにお会いできたのも、一つの大きなきっかけなのだと思います。

青木:
ありがとうございます。私自身も女性ですが、女性ということにはあまり意識はしておりませんが、社会の一員として、果たすべくことを果たしていかなければいけないし、私自身も日本と中国を繋ぐ仕事をしていますので、知事がおっしゃるように、世界の人々が平和で安定した環境の中で、子どもを産み育て、社会が健全に育まれる事が一番大切な事だと思います。

知事:
生きている人々の幸せという事だろうと思いますので、ここは、どんな体制になっても、人間としての原点だと思いますので、是非ともそういう事で、お互いに力を合わせてやっていきたいです。

青木:
最後に、中国の皆様へメッセージをお願いします。

知事:
右肩上がりで発展をしておられる事に、大きな期待をさせていただくと共に、やはり足元も見て、グローバルかつローカル、ローカルかつグローバル、そのバランスある発展をお願いしたいと思っています。これは私たち日本人に対する想いでもあります。
私の座右の銘は、「まっすぐに、しなやかに」。まっすぐにというのは、化科学的な原理、社会としての合理性、公平性、透明性、そこは、ぶれずにまっすぐに。冷たい頭に、熱いハート。しなやかには、人間としての熱いハート、そのバランスが私は政治の原点でもあると思っております。

青木:
知事、本日は本当にありがとうございました。知事のこれからもお体を労りながら更なるご活躍を期待しています。






  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年03月11日

滋賀県知事インタビュー(5/6)




青木:
さて、知事、中国の事について少しお伺い出来ればと思います。
滋賀県は中国のどこの地域と交流があるのでしょうか。

知事:
湖南省と友好提携協定をしています。来年2013年で30周年になります。湖南省との縁ですが、近江八景という、琵琶湖の美しい八つの景色、これは湖南省の洞庭湖の瀟湘八景からいただいているんです。例えば、「比良山の平沙落雁」に対して、こちらでは「堅田の落雁」であるとか。そして湖の繋がり。滋賀県は世界中、ミシガン湖なり、あるいはブラジルのパトス湖なり、湖を縁にした姉妹州があります。それで、中国ももう30年前から洞庭湖のある中国の湖南省と友好姉妹協定を結んでおります。

青木:
そうなのですね。そう言えば、琵琶湖周辺で、湖南と湖北と呼ばれている地域がありますね。それは実に分かりやすいですね。知事も何度も湖南省をご訪問されていますか?

知事:
はい、実は知事になる前に、1983年、第一号の環境視察使節団の一員として訪問しました。当時、私は琵琶湖研究所の職員でしたから。中国は当時まだ水質保全という概念がなかったと思いますね。その後、滋賀県は、これまでの30年間で約200人の研修技術生研修員を湖南省から受け入れ招待して、滋賀県において、で半年または1年間、研究所等での環境技術研修をはじめ、医療福祉、観光などの様々な分野でについて研修をしていただきました。また、医療福祉、観光などの面でも、研修生を200人受け入れてきました。このように滋賀県と湖南省とは人的繋がりの拡大に貢献をさせていただいています。

青木:
人的な繋がりを作る。これは本当にとても大切だと思います。日本、滋賀県を訪れられた中国の人々はかならず好きになってくれますから。それは滋賀県にとっても大きな財産となるはずですね。

知事:
本当にそうだと思います。私は知事になって以後、何度も中国を訪問しています。具体的には友好協定25周年の時に湖南省を、訪問しました。その後、第13回世界湖沼会議が中国で開催された時にはを湖北省の武漢をで開催された時も訪問しました。今年の5月に中部六省の経済フェアにも行かせていただきましたし、それ以外にもは観光キャンペーントップセールスで3年前に北京、去年、今年は、関西広域連合による観光トッププロモーションで、上海なども訪問しましたております。また今年5月には「中国中部投資貿易博覧会」で湖南省に、さらに11月の県産農畜水産物輸出プロモーションで香港を訪れました。知事になってからは、合計で6回中国に参りました。私は中国の湖が大好きで、太湖、鄱陽湖、それから洞庭湖ですね。湖研究をずっとやってきましたから。

青木:
中国の湖についても造詣が深いですね。

知事:
ありがとうございます。でも、今の日中関係は本当に悲しい状況にありますね。尖閣列島の事でもめているからせっかくこれまでに続いてきた交流に影響が出ていますがストップ。実は湖南省で9月15日に、湖南省の要請を受けて湖南省の要請を受けて滋賀県か長沙市の中心街に進出した平和堂が大襲撃を受けて、、、、3号店、今度4号店。本当に地元の皆様に育てていただいたのにそこがめちゃくちゃに壊されて・・・。

青木:
あれは本当に酷かったですね。私もニュースで見ました。心が痛かったです。なんの責任もない一般の企業を襲撃するなんて本当に酷い、、、。でも、暴徒化する中国の若者たちが店内に押し掛け、辺り構わず物を壊して行く中、日本人スタッフの安全確保のために、中国人店員さんが命がけで日本人に避難をさせていましたね。その光景を見た時は本当に救われた気持ちになりました。暴徒化している若者はほんの一部で、絶対多数の中国の人々は冷静で友好的だと私は信じているから。

知事:
デモの後すぐに、私は湖南省の省長さんにお手紙を書き、ました事件の再発防止と安全の確保、そして事業活動の円滑な再会を願っているとお伝えしました。その後省長さんからがは、滋賀県と湖南省は長いおつきあいがある、今後も全力を挙げて両県省の協力と交流に尽力し、日系企業の事業展開に協力する皆さんの経済的な利益はちゃんと守るからとおお返事を下さいました。湖南省人民政府のご支援もあって、平和堂はすぐに再建し、10月27日に再オープンしました。その物語が、「ガイアの夜明け」というテレビ番組で放送されています。

青木:
その番組、私も見ましたよ。とても感動しました。

知事:
ありがとうございます。あの時にも、中国の従業員の方が、自分たちが作った店だから自分たちの手で守ると言っていました。元は日本から来たかもしれないけれど、日本人はたったの87人ですよ。あとの何千人もの従業員はがみんな中国の方なんですよ。だから、平和堂を愛して下さっている湖南省の方が、自分たちで再健するんだとやっていただいた、これこそが本当の友好協定ですよ。もう涙が出ました。







<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年03月04日

滋賀県知事インタビュー(4/6)


青木:
今回知事が色んな事に立ち上がって様々な事に取り組んでらっしゃる中で、日本のエネルギー問題がありますね。今ストップ原子力という事で取り組んでいらっしゃいますけども、将来の日本のエネルギー政策はどうあるべきだとお考えですか。

知事:
そうですねぇ、日本には資源がない資源がないと言って、原子力政策を進めてきたんですけども、例えば、ヨーロッパ、ドイツと比べたって、日本は太陽光がすごく多いですよ。それから風だって海辺は多いですし、それから波の力もあるし、森林の生産量、これもヨーロッパの倍ぐらいあるんです。そういう事を考えると、この自然資源をどれだけ上手く活用していくか。で、今まで40年間50年間、日本の科学技術の9割が原子力にお金を入れているんです。ですから、同じくらい自然エネルギーの研究に入れたらですね、日本は自然エネルギー大国になれます。

それでその過渡期はそれこそ効率よく化石燃料を使えるようにする、。そして省エネ、節エネですね。それと電気の場合には、蓄電などのスマートシステム、社会システム、経済システムとして作っていく必要がありますね。私たちはこの卒原発というのは10年でシステム全体を作ろうという事を考え、ただし、電気料金は上げずに。電気料金を上げてそれで経済が疲弊する。本当は円高の方が問題なのに、原発をやりたい人たちは、脅しをかけてるんですよね。電気料金が上がるから、企業が逃げると。それよりも円高の方がよっぽど問題ですよ。

青木:
円高は本当に深刻な問題ですよね。日本企業の国際競争力がどんどん弱くなってしまいますから。

知事:
それを考えると、本当に逆キャンペーン。原発必要!必要!と。この地震列島で、もう一度、福島と同じ事故を起こしたら、私は国際的に日本はもう相手にされない。過酷事故を防ぐために、IAEAなどから、ちゃんと安全装置をやりなさい!やりなさい!と言われながら、目をつぶって対処しなかったから、こんな事故が起きたわけですよ。自民党の時代にね。ですから、無責任体制をまだこのまま日本は続けるのか、私もフランスやドイツに友人がいますけども、国際的に今はおとなしいですよ、でももう一度事故を起こしたら、もう日本は相手してもらえない。国際的地位を失うと思いますね。

青木:
確かに、地震国と原発、これは確かに大きな深刻な問題ですね。自然エネルギー、これも一生懸命取り組んでいかなければいけない命題ですね。エネルギーの安定した供給、これもまた非常に大事なテーマですね。

知事:
これから、今がスタートだという事です。滋賀県は、そういう意味では、潜在的に、水も森も光もありますからね。






<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年02月25日

滋賀県知事インタビュー(3/6)


青木:
looks good, taste good, and safety.これをキャッチフレーズにするといいですね。
ところで、知事、日本は、これまでに女性の社会進出というものが非常に乏しくて、でも日本の女性というのは、高い教育を受け高いたかい能力を持ったて人材がたくさんいますね。しかし、残念ながら社会であまり発揮されていない。知事のようにトップリーダーとして活躍している女性は日本では本当に稀な存在です。女性がどんどん社会に進出できる為には、日本は実に多くのことについて早急に取り組まなければならないと思うのですが、そのことについて知事はどのようにお考えですか。

知事:
私もずっとライフワークで女性の社会参画をやって参りました。今年度、世界経済フォーラムが発表したジェンダー・ギャップ指数では、日本は135カ国中英語が入る101番目、本当にもったいないです。日本の女性は男性と同様に教育を受けて、そして資格も持って意欲も持っている。教育を受けているという事は、教育費を入れているという事ですよ。
例えば、お医者さんをひとり一人養成するのに、国の費用は1億円入れているんですね。そして女性医師は今、3割から4割おりますけれども、サポート出来ていない。子育てと仕事が両立できる社会環境がない。日本では、女性の労働力率が30歳代を谷とするМ字カーブを描いています。という年齢と有業率で30歳がぐっときて??。10人の女性、子どもを産むと67人が辞めてしまう。全国知事会では、このМ字カーブが何故生じるのかというの原因究明を各47都道府県別でやりました。そしてそれぞれ対策をとりました国に対し提言もしました。ポイントはですね、まず保育園なり、学童保育なり、幼児保育なり、ベビーシッターなり、保育の支援です。でもこれは、6分の1くらいです。
二つ目は、家族の理解です。旦那さんの理解、それから特に夫の家族の理解が必要ですね。「嫁がそんな仕事に出て」と私も言われました。

青木:
はい、それは私も同様、結婚し子どもが生まれた後に「まだお勤め御務めに行くの?」よく言われましたよ。

知事:
「嘉田家の長男を託児所に入れるな」と、「あなたはどういう責任持つんだ」と、。「いや、お義母さん見て下さい。20年後に見て下さい。ちゃんと育てます」と。だから、旦那さんだけではなくて、旦那さんの家族や親族の冷たい白い眼。そして三つ目は職場です。そして四つ目が自分の意識精神です。やっぱり、母親は一緒にいてやらなきゃという母性神話があるんですね。この母性神話は大罪的に苦しいです。子どもに何か悪い事があると、私が仕事に出ているからだと、私もいつも思い悩んできました。

青木:
本当にそうですね。私もずっと罪悪感に思い悩みながら子育てをして参りました。

知事:
いつも子どもに相談するんです。「お母さん仕事してあなたに悪いわね」、「隣はみんな家に帰ればお母さんがいるでしょ」と。そしたら長男が小学校4年生の時、こう言いました。「お母さん、お母さんはいつも隣と比較するね。そんな事言うなんてお母さんらしくない。僕は寂しくない、ちゃんと仕事に出なさい」と。
ただ、その長男が20歳になった時、「あなた、本当に寂しくなかったの」と言ったら、「僕は寂しかったよ。でも寂しいって言ったらお母さん、あの時挫折しただろう」って、20歳になった長男に言われました。

青木:
私もその都度、子ども達に励まされてきました。子育ては実は親育てなのですね。

知事:
はい、私も本当に子どもに育ててもらいました。本当に子どもが母親を育てて、今は孫がおばあちゃんを育ててくれています。ですから、M字カーブの要因を、自分の意識、そして社会の意識など、六項目をが私たちは今整理しています。実はこれが全て上手くいかないと一歩が踏み出せない、。極めて難しい連立方程式を解かなければならないんですよ。その為に滋賀県では今、滋賀マザーズジョブステーションmothers  of  stationといって、カウンセリングから無料の一時保育所付きで、そして仕事の情報、保育園の情報、それと、お母さんが出てもいいのよという社会○○の支援の滋賀マザーズジョブステーションmothers  of  stationをようやく作りましたけれどもね。ここまでトータルなサポートができる施設を都道府県別に作ったのは全国で初めてだと思います。

青木:
今からの日本の元気を取り戻すためにはこの女性の力が本当に必要不可欠ですよね。

知事:
女性の社会参画の多い所は、きちんと子どもが産まれる、出生率が高い。フランス、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンなどがそうですね。それで財政もいいんです。だって、納税者が多いのですから、財政もいいんです。それに比べてギリシャ、イタリア、スペイン、日本、韓国は、女性の社会参画が悪いから働き手が少ない。それでもったいない事しているから、財政も悪い。、それで消費税上げる、「消費税上げる前に女性の参画を」と、私は党首討論でずっと言ってきております。

青木:
そうですよね、生産人口を増やし生産力を上げ税収を増やしていかないとい行けませんね。

知事:
しかも内需拡大で子ども産業から、医療福祉、介護、そして農業、環境、あと観光ですね。滋賀県はそれがまだまだ隠れていますね。






<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年02月18日

滋賀県知事インタビュー(2/6)


青木:
さて、知事になられた2006年以降、研究者から知事になられて県政にあたられておられるこの過程において、色々な困難もぶち当たってこられたのではないかと思うのですが、滋賀県はどのような問題を抱え、それを乗り越えるために知事はどのようなチャレンジをしてこられたのか、そのあたりのことについて少しお聞かせください。

知事:
滋賀県は琵琶湖も含めて、農林水産業、歴史、文化、観光、人々の力、ものすごい潜在力があるのに、広報力がない。ブランド力がない。そして、それをあまり発信しようと思われない。とても奥ゆかしい県民性なんです。なので、100あっても50くらいしか宣伝しないのです。そして宣伝という事をあまり良いと思っていない。そこがよいところでもあり、問題でもありました。

青木:
そうですね、それは日本全体にも通じる話だと思いますね。

知事:
私にはアメリカ、中国などに友人がいますけれども、アメリカなんかは、50あれば100宣伝します。まず、言語体系がI(アイ)から始まります。中国もやはり、我(アイ)から始まる。私たち日本人は、私たちは・・・という主語がないですから、三人称から始まりますから、この言語体系からして精神構造が違う。中国、アメリカは個人主義でどんどん前に出ていく。日本は共同体主義で宣伝が下手。それの典型が滋賀県ですから、良いものを持っていても、本当に宣伝しない。これをどうやったら、皆さんが誇りを持って、自信を持って、滋賀は良い所よと、自分の言葉で語ってもらえるか、それが6年間の一番大きな課題でした。

青木:
それは、私自身も色々な所で感じました。今のこのグローバル化時代というのは、自己主張しないと誰もあなたの良さを分かってくれない。分かってもらえないと、隅っこにおいていかれる。ですから、今日は大変良いチャンスなので是非大いに滋賀県をPRして下さい。滋賀県の産業構造はどのような感じでしょうか。

知事:
生産活動からしますと、県のGDPですね、生産額の中で、42%ほどが製造業なんです。第二次産業なんです。この割合は全国で第一位です。滋賀県は製造業の物モノづくり県であるという事、これが実質的には、しかも労働生産性も高いです。製造業によって経済が支えられています。見た目は田んぼが多いし、山が多いし、農林水産業が主のように見えますけどが、農林水産業の生産額は1%くらいです。社会的、歴史文化的に農林水産業は大変大事です。農業は、2300年前に米づくりが始まり、近畿圏の米の供給地で、最も重要な近江米の産地ですし、京都や奈良、大阪を支えてきました米、。それから近江牛。近江牛も歴史が大変深長いんですね。あと加えて、野菜というようななどの農産物の供給。ただしこれ農産物は、ブランドなく農産物を供給していたんですね。

青木:
なるほど、製造業が強い地域であるとともに農業、水産業も大変進んでいる県であること、それは知りませんでしたね。

知事:
近江米はあるんですけれども、典型的なのが、野菜ですね。例えば、京野菜ありますね、漬物の千枚漬け。あのカブの8~9割は多くが滋賀県で生産しているんですけど、京野菜・京漬物なんです。さくら漬けなどというのも、元は滋賀であったり。つまり、名前がなくて、言わば、「縁の下の力持ち」。そこに対して私はここに名前を付けましょうよと、近江野菜とか。それで、日本の農業政策が主産地形成といって、ピーマンなら高知で一斉に一種類作るとか、そういう状態だったんですけれども、私自身が、農学部で農業経済をやっていましたから、主産地形成での、単品目生産ではなく、多品種目少量型で近接型の近郊型の農業を強化しようと思っています。

青木:
なるほど、京都の京野菜や京の漬け物の野菜は滋賀県からも供給されているのですね。

知事:
消費者がすぐ近くにいてくれるんですから、これを活かしましょうという事で、「おい滋賀、うれ滋賀キャンペーン」、食べた人が美味しい、そして供給する人が嬉しい、それは生産者、流通、加工、ですから第六6次産業化と今呼んでいますけれども、それはをかなり先駆的にやっておりまして、それで生産者と消費者を顔が見える関係で繋いでいく。、そしてその見える場所が、道の駅であるとか、農家の人が持ち込んで、直接販売をする、。それが今では、8070ヶ所を超えたくらい、そのくらい生産額直売所が増えています。なによりも、地域のお年寄り達の皆さんが、作ったら売って、小遣いを稼げる、これが嬉しいんですね。お小遣い稼いで、畑仕事して、それが何よりも健康というところで大事ですね。

青木:
やっぱり今、何事もブランディングが大事ですね。ブランド力があれば、付加価値が付けられて、高い値段で売れるし、そうなれば作る人も嬉しいわけですものね。

知事:
そうですね。そして滋賀の場合は、安全性を担保してに出来るんです。と言いますのは、田んぼでも、使作った後の水は琵琶湖に入りますから、農薬を減らす、。そして化学肥料をも減らす。という事で、環境こだわり農産物、環境に配慮した農産物を生産することというのが、琵琶湖の水を守ることとセットになっていまです。それで、「eat eco」。食べて環境ることで。食から環境を守る。滋賀のお米を買ってくださったれたら、結果的に琵琶湖に優しい農業をやっているんですよという事で、「eat eco」
環境こだわり農業。その水が実は、京都、大阪、神戸など、1450万人の水源になるわけなんです。話しが上手く出来過ぎているようですが、事実なんです。ですから、京都、大阪に行っても、このお米を食べて下さい、このお米を食べて下さったら、琵琶湖の水も守れるんですと、。出来るだけ高く買って下さいと。例えば10キロを他のところが5000円ならば、出来れば7000円~8000円で買って下さいという事で、一つの売り込みですね。
これを香港もでシンガポールにでもやらせていただいております。

青木:
安心で安全、しかも美味しい食材、これをどんどんPRすべきですね。

知事:
looks good!, tastes good!, and safety!. この3拍子揃った物ているのが滋賀の農産物ですので、これを香港などでも盛んに・・・へも売り込んできました。







<次週に続く...>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2013年02月11日

滋賀県知事インタビュー(1/6)


【インタビュー】 知 事 :嘉田由紀子 / インタビュアー:青木 麗子


青木:
知事、本日は大変お忙しい中にお時間いただき、ありがとうございます。知事とお目にかかれるのを楽しみにしていました。等身大の日本を中国の皆様にお伝えするため、私が日本全国を回って知事インタビューをさせていただいております。
本日はどうぞ宜しくお願い致します。
早速ですが、知事の学生時代の事について少しお聞かせください。

知事:
私の学生時代は、ともかく、アフリカ探検がしたくて。世界中を自分の足と手で、そして耳で聞いてみたいという事で。小田実さんの著書、『何でも見てやろう』に中学時代に憧れました。それから、『サバンナの記録』の著書の梅棹忠夫さん、そして今西錦司さんの『人類の誕生』を読み、ともかく、アフリカに行くんだと思ったのです。電気もガスも水道もないアフリカで人類の起源を辿りたいと思い、京大の探検部に入りました。
それと同時に、滋賀、関西に住んでみたいとも思いました。私は元々埼玉県生まれなんですが、中学の修学旅行で、比叡山延暦寺1000年の「不滅の法灯」と杉木立、山の上から見える琵琶湖、この美しさに魅せられて、住むのはここだとその時に思いましたね。学生時代の研究はアフリカがテーマでした。

青木:
なるほど、探検部というのは、アフリカ探検だったのですね。

知事:
ともかく、世界を股またに、特に女性の幸せ、子どもの幸せを求めたいと思いまして、
それで研究者になろうと思ったのです。ですから今、あの当時思っていた女性の幸せ、そして、水と大地、環境を守るという事も、自分の家が農家だったということもあります。アフリカに行くと本当に電気もガスも水道もない。でも、女性と子どもが元気なんですよ。今の文明が、人間の本質的な強さを削いでいると思わざるを得なかったですね。ですから、いかに過剰文明からいかに人間性を開放するかというのが私の大きな課題でした。

青木:
知事は、若い頃から時代を先駆けて、グローバルな視点に基づいた研究にずっと携わってこられたのですね。過剰文明が人間の本質的な強さを削いでいる。全く同感です。私は本来、人間は五感を通した素晴らしい洞察力と強さを持っていると信じていますし、子育てをする時はそのことをとても大事にして参りました。子ども達は実に野生児で育ててきたのですよ。その御陰で今も心身ともにとても強いですね。

知事:
それは素晴らしい。私が当時考えていたことからすると、研究者として何十冊本を書いたとしても、全然社会が変わらない。女性の社会参画は進まないし、子どもは残念ながらなかなか増えてくれないし、子どもが暮らしにくいし、環境は良くならないし、それで2006年に、知事選にチャレンジしたのです。知事として、税金の無駄遣いもったいない、琵琶湖の自然を壊したらもったいない、子どもや若者の生きる力を損なったらもったいない、3つのもったいないを訴えて、知事になって政治を変えなければいけないと強く思ったのです。

青木:
研究者学者から政治家への転身、それは大きな事に挑戦されましたね。

知事:
でも、知事として6年間頑張って分かった事は、国政に県から手を挙げないと、自然を守れない、琵琶湖の水源ひとつ守れない、。原子力発電所も事故から守れない、女性の参画も雇用政策も全て国が決めている、。そして子育てだって、こんなに子どもを産み育てにくい国はないですよ。

青木:
日本は働く女性にとって子どもを産み育てにくい国であることは私も実体験をもってそう感じています。私も働きながら3人子どもを生み育てて参りました。今振り返って思えば、よく頑張ってきたなというのが実感です。幸い、私の場合は夫が理解のある人で、よく協力してくれたので頑張ってこられたのだと思います。・・・

知事:
えー?3人いるの?負けたなぁ・・・。すごいですね、3人もいてここまでやってこられたのですね。私はもう2人でも手一杯でしたけれど。

青木:
はい、3人の子どもを生み育てながら、自分も育てられてきたように思います。
ところで、知事は若いころから、しかも日本がまだまだ国際化したと言えない時代に世界に目を向けて、果敢にチャレンジされたのはやはり群を抜いていますね。特に女性として。

知事:
世界の隅々まで歩いて、自分の肌身で人間の存在、人間の意味を感じたいという気持ちがありました。



<次週に続く...>


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年10月08日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(3/3)


青木:
さてさて、話題は戻りますが、胡錦濤国家主席が奈良をご訪問された時に確か唐招提寺に行かれましたね。知事はその時にご案内をされたのでしょうか?

知事:
はい、ご案内させていだたきゆっくりお会いしました。

青木:
胡錦濤国家主席が多忙極まるスケジュールの中でなぜわざわざ奈良に来られたのでしょうか?

知事:
先ほどあなたもおっしゃったように、当時は小泉政権で政治がアメリカ寄りだったのです。日本の保守派が中国との関係を冷たくしたということもあって、その上、江沢民前主席と折り合いが悪かったです。そこで小泉さんの後に福田政権が誕生しました。福田総理は日中関係を重んじ平和的な考えをもった方でしたので、まずは日中関係の修復に乗り出しました。胡錦濤国家主席も同じ思いを持たれて、日本との歴史的な関係を強調するために、奈良の唐招提寺を訪問なされたのだと思いますね。

青木:
日本と中国との間には二千年に渡る交流の歴史があります。時には摩擦も生じることもありますが、しかし、長い歴史から見ればその時間は瞬きのようにほんの一瞬に過ぎません。鑑真和上は日本に渡ることを決意してから、11年の歳月がかかって、5度の失敗を乗り越えられた後に6回目にようやく日本に辿り着いたのです。そのようにして繋いでくださった両国の関係を我々は大切にしていかなければならないですね。唐招提寺訪問にはそのような思いがあられたのではないかと思いますね。

知事:
当時は日本から多くの留学生が中国大陸に渡りました。中国から来られた人は本当に少なかったですよ。裴世清が奈良の田舎に608年に小野妹子と一緒に答礼師として来られたという記述がありますが、当時の日本は辺境の地でしたので、本当に珍しかったと思います。それでも、来られたという事は日本が政治的な存在として認められた証でもあったのだと思います。鑑真和上は日本に仏教の戒律を伝えるために来たとありますが、キリストの宣教師が布教のためにきたのとは違って、鑑真さんは実際にどういう気持ちで来られたのかとても興味がありますね。

青木:
本当にそうですね。当時の日本は唐の人たちから見れば、どこにあるかも分からない小さな未開発の地で、しかも海を隔てているから、渡るにも命がけでしたからね。

知事:
本当にそうです。一つは言い伝えで残っていますが、当時、長屋王がいらして、その方は漢詩と歴史に精通した皇族で、長屋王が作られた「日本に来ていただき仏教を広め、天皇へ仏教の戒律を受戒していただきたい」との内容の漢詩が日本から中国大陸に渡った留学生を通じて鑑真和上に届けられ、その事が鑑真さんを突き動かす何か動機になったとあります。しかし、当時は行くと帰れない訳ですから相当の勇気と覚悟が必要だったと思いますね。

青木:
ところで奈良のどこを紐解いても中国との関わりが深いので、歴史のお話は尽きませんが、知事は中国との交流をどのように推進されたり、どのような事に尽力されていますか?

知事:
奈良県は中国との交流の歴史をとても大事にしています。これから東アジアが新しい時代に入る中で、「一衣帯水」と言われますが、長い歴史の中で東アジアを視野に入れてお付き合いしていきたいと思います。その為に、奈良で東アジアのお付き合いをする場を作ろうと、東アジア地方政府会合を提唱しました。今年で3回目を迎えます。地方政府会合ですので日本で言えば県とか市、中国で言えば省とか市など、東アジアの地方政府がマルチでお付き合いする場があればいいと思います。東アジアでお付き合いするとなると言葉の問題がありますが、ヨーロッパでも言語が多様な中で、フランス語、英語だけではなくEUなど多言語でやっているので、東アジアにおいても多様多種にうまく付き合う道を探ろうと試みをしています。

青木:
それはとても重要で大きな試みですね。恐らく、胡錦濤さんも限られた時間でもわざわざ奈良を訪れたのは知事と同じ思いがあられたんじゃないかと思いますね。これから日本と中国の平和な時代を作って行くためには、歴史の紐を解いて、精神的な交流と対話をすることがとても重要ですね。

知事:
奈良に来られて会見をさせていただいて隣に座っていただいて、食事の時にも1時間近くお話させていただきました。経済発展に関するやり取りの中で、沿岸地域と内陸の経済発展の話に触れましたら、陝西省の話を色々していただく等、本当に一つ一つに真面目に答えていただきました。

青木:
私も胡錦濤さんが39歳の時に日本をご訪問なされた際に通訳としてご案内をさせていただいたことがございます。その時に胡 錦濤さんはすごいオーラのある方でそして、とても誠実で真面目な方というのが第一印象でした。しかし、日本では、大変残念な事に胡錦濤さんのそういう一面のイメージが中々伝わっていませんね。

ところで、知事、まだまだお伺いしたいお話がたくさんありますけど、時間も参りましたので、今日はこの辺で。実に有意義なお話をたくさん聞かせてくださって、ありがとうございました。これからも是非、奈良という特別な存在を生かして、是非東アジアの平和と発展の為に、頑張っていただきたいと思います。
最後に、知事の座右の銘を教えてください。

知事:
「愚直であれ」人間は少し愚かな方がいいですね。特に今のように世の中が変わるときは辛抱を持って精神的な辛抱を支える方がいかと思っております。

 

奈良県は、日本の都道府県の一つで、本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中東部に位置する県。令制国の大和国の領域を占める。県庁所在地は奈良市。北西部の盆地地域を除き、険しい山々がそびえている。

面積:3,691.09km²     総人口:1,391,040



 

  


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2012年10月01日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(2/3)



青木:
奈良県と中国がこのように深い歴史的な繋がりを持っているということ、中国のみなさんは意外に知らない人も多いと思います。遷都1300年祭について、もう少し詳しくお話くださいませんか。

知事:
平城遷都1300年祭とは、日本の平城京、すなわち現在の奈良に都が遷都されてから1300年を迎えることを記念して、日本の歴史・文化がこれまで連綿と続いてきたことを“祝い、感謝する”お祭りでした。奈良に都が遷都されたのが710年でしたので、2010年がちょうど遷都1300年となったわけです。

青木:
なるほど、そうなんですね。ところで、平城遷都1300年祭に先立つ2008年に胡錦濤主席が日本を公式訪問された際、奈良県を訪問されておられますね。

知事:
はい、胡錦濤主席が当時の福田首相との会談のため訪日されるにあたり、訪問する地方がまだ決まっていないとお伺いしましたので、私が揚州市に行った際に、揚州市長の王燕文さんに胡錦濤主席に是非奈良にお越しいただきたいとの希望をお伝えしたところ、王燕文市長がすぐに北京に行ってくださり、本当に実現することとなったのです。

青木:
 そういえば、福田政権の前は、日中関係が非常に険悪な状態に陥っていましたね。
そのような状況をどうにかして打開したいという福田総理の思いが胡錦濤主席にも通じたのでしょうね。日中関係を改善する糸口は日中の長い交流の歴史の中にあるとお二人ともそう思われたのでしょうね。

知事:
そうだったと思いますね。揚州市も奈良と縁がとても深いところです。1300年前は聖武天皇が仏教徒に帰依されました。政権トップの天皇が受戒されるという大きな時代でありましたから、受戒のできる中国の高僧の来日を要請したことで、鑑真和尚が幾多の苦難を超えられた後に奈良に渡って来られた訳です。ご存知のように鑑真和上は揚州市の大明寺のご出身で、その縁で揚州市と奈良は今でも深いお付き合いをさせてもらっているのです。その事が胡錦濤国家主席の奈良訪問にも繋がったわけです。

青木:
胡錦濤さんも江蘇省のご出身でもありますから、とてもご縁を感じますね。

知事:
最近「遣隋使から見た風景、東アジアの視点」という本が出たのですが、その本を読んでとても面白いなと思ったのは、日本の聖徳太子と隋の煬帝の生まれた年代が5年違い、亡くなられた年代が4年違いで、同じ時代に煬帝がいて、聖徳太子がいたことです。煬帝と倭(日本)との交流を東アジアの視点から遣隋使小野妹子らを国際的な視点で日本の歴史を見ていることがとてもユニークだと思いました。当時の随の煬帝は北と南(揚州)を繋ぐ大運河を掘らしたのですが、その大運河は今も大事な水路として使われています。当時の煬帝は一生懸命やって悪評を全部引き受けて、後の唐の政治家は得をしたとも書いてあります。

青木:
そうですね、随煬帝は美女を求め船に乗って湘南の地を遊ぶ為に大運河を掘らしたとも今でも語り草となっているけれど、本当はそうではなかったですよね。大運河はいうまでもなく、昔も今も人と物を運ぶ大事な大動脈だったに違いありませんね。

知事:
その通りだと思いますね。随煬帝は優れた経済観念と国家経営の観念を持った方でした。一方、聖徳太子は国家経営よりも権力闘争に少し弱かったんじゃないでしょうか。信仰心が厚くて仏教に熱心であられた方でした。
当時は、日本の歴史の中でも大きな意味をもつ、法制度・律令国家と仏教を受け入れた時代です。唐の時代、韓半島を経た国際交流がなければ日本は文明の一つ橋を超えられなかったと思います。当時、漢字や仏教、お経が伝わったわけです。律令国家の元に、社会と政治のツールとして文字がないと国家組織が出来ないということで漢字が急速に受け入れられたのです。

青木:
鑑真和上と言えば、実は、数年ほど前に、日中関係があまりにも悪化し心を痛めていた私どもが、鑑真和上の強い信念と強靭な精神力を学ぶ為に、早稲田大学の木下教授、そして、先ほど言われました谷野元大使らと共に、日本の若者たちを連れて、大阪から鑑真号に乗って鑑真和上が日本に渡って来られた逆のルートを辿る旅をしました。中国に旅立つ前に、奈良にある唐招提寺を尋ねて鑑真和上が日本に渡ってきた当時の事等について研修しました。そして、中国に渡ってからは揚州市の大明寺はもとより、上海の復旦大学、杭州の浙江大学、江蘇省の南京大学、揚州大学などで交流を行い、若者達で日中両国の未来の事、日中両国の若者が共通して抱えている問題などについて討論しました。素晴らしい交流でしたよ。別れる時はもうすっかり様々な壁を乗り越え、みんなで抱き合って泣いていました。


<次週に続く...>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年09月24日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(1/3)



青木:

荒井知事、本日はお忙しい中にお時間をいただきありがとうございます。
今年は日中両国の国民にとって記念すべき日中国交正常化40周年の年です。このような記念すべき日に、中国と深い歴史の繋がりをもつ奈良にお伺いし、日本の政治家の中でもきっての中国通として著名な荒井知事から日中両国の交流についてお話を伺うことができ、とても嬉しく思っています。さて、早速なのですが、奈良と中国との繋がりの前にまずは、知事のおひととなりから伺わせていただきたいと思います。知事は中央官僚から国会議員を経て知事になられていますが、中央官僚から政治家になられた経緯と政治家になろうと思われたことについて少しお話くださいませんか。

知事:
私は奈良の出身で、大学を出てからまずは中央官庁・運輸省に入りました。中央官僚時代、最後の勤務先では海上保安庁長官を務めました。私が海上保安長官の時に中国を訪問しましたが、それが中国を訪問した最初の海上保安庁長官でした。
当時、中国の公安部長との間に日中の海上保安の協力協定の下地を作りました。その時の日本大使が谷野作太郎さんだったのですが、彼には本当にお世話になりました。

青木:
なるほど、荒井知事は中国通と言われているのはそこからなのですね。谷野作太郎元大使とは私も非常に親しくおつきあいをさせていただいております。数年前に谷野先生が総団長で、私が青年代表分団の秘書長として日本の若者達を数百人連れて中国を訪問したことがご縁でした。以来、谷野先生には何かとお世話になっています。

知事:
そうでしたか。谷野先生はとてもご立派な人物で、今も親しくさせていただいています。ところで、私が初めて海上保安庁長官として中国を訪問した時に、当時の公安部の辺防局副局長の陳さんのご案内の下に北京から瀋陽を回って列車で大連まで行って日本に戻りました。
その時に薄熙来さんにお会いしました。その時に案内していただいた陳副局長がご出世されて、その後に、消防庁のトップになられたようです。

青木:
 当時、薄熙来さんは大連市の市長を務めておられていましたね。外国企業の誘致にとても力を入れられていた時代で、大連が大変脚光を浴びていた時でもあったと思います。

知事:
そうだったと思います。大連は大変な勢いで発展していました。話は戻りますが、その頃、北東アジアの海上保安、警察同士が、国際犯罪に対して協力しないといけないということで、日中の協力体制の下地を作って、ロシア、アメリカ、韓国、中国、日本、カナダ北東アジアの主要国が入った海上保安庁長官の協議を行った事が私の人生の中でとても大事な誇れる仕事でした。ロシアとアメリカ、そして中国が参加したところが大きいですね。

青木:
当時ではそこまで漕ぎ着けられた事はそう容易なことではなかったと思いますね。

知事:
はい。そして、私が海上保安庁長官を退官する時に、中国に精通しておられた日本の政治家・二階堂俊博先生から連絡いただき、参議院選挙の奈良選挙区から自民党候補で出馬してくれないかと打診され、出馬の要請を受けました。少し迷った結果、出馬しましたが、それまでは政治家になろうなんて思ったこともなく、選挙の準備も何もしていなかったため、とても難しい選挙でした、結果的には当選しましたが。

青木:
人生には本人の思いにもよらぬ事が起きますね。しかし、初めてのチャレンジで当選したということは、知事は元々政治家としての素質をお持ちで、なるべくしてなられたんだと思いますね。

知事:
ありがとうございます。6年間参議院議員を務めておりましたが、今度は奈良県前知事の柿本さんから自分が引退されるということで、知事選のお話をいただいたのです。丁度、平城遷都1300年祭の直前だったのですが、知事になって是非、平城遷都1300年祭を成功させてほしいという話でした。1期目の大きな仕事は一昨年の平城遷都1300年祭でした。平城遷都1300年祭を進める中で、奈良の歴史の特徴は何かということを勉強した際に、当時は日本の律令国家としての礎を作った時期であり、仏教が伝来し聖武天皇が仏教徒になられ、唐との交流が盛んだった事が改めて分かりました。

青木:
まさに、遣隋使、遣唐使の時代、日本は中国大陸から様々なことについて学んだ時代でしたね。

知事:
奈良時代には、日本は中国や韓半島と深い繋がりがありました。東アジアの国際社会が形成されたのは宋以後の時代ですが、中国の歴史の中で国際社会に最も影響をもたらした時は、唐の時代と現在の中国の共産党時代ではないかと思いますね。日本にとっても国際化が豊かだったのは奈良時代と明治時代以降だけなんですね。奈良県は歴史を踏まえて日中新時代、東アジア新時代に貢献したいと考えています。



<次週に続く...>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月30日

山形県知事インタビュー(3/3)


青木:
 今、若者達はなぜ結婚しないのでしょうか、結婚に対する不安感があるんでしょうか。

知事:
 最近は、雇用が若い人が十代の方の半分弱が非正規雇用ですし、安定した生活が考えられないと、結婚できない方が増えているのではないか。若い人が安定雇用をしないといけない。
私が就任してからずっと取り組んでいることでして、平成21年実施したのですが、最初の1年で雇用創出プランを行ってそれを達成しまして平成22年、23年の2年間で2万人の雇用創出に取り組みまして、今年の1月に前倒しで達成しました。
ただ、内容を見ると正規雇用が少なく安定雇用を目指さなければいけということで今年度から山形県の新雇用安定プロジェクトを作って産業振興と雇用創出を一体的に取り組むということを今、やっている最中です。

青木:
 それはすごく重要な事ですね。雇用創出する産業の振興もとても重要ですね。雇用する場が少ないと雇用も増えないのですものね。

知事:
 そうだと思います。私は知事に就任してから雇用創出事業と少子化対策に力を入れて取り組んできました。先ほどお話しました婚活を含め子育ての支援といいますが、ライフサイクルに合わせた支援を行っております。就職もありますが、婚活をおこなって結婚をして育児、出産の時の復帰できる環境を作りたい。中々難しいところもありますが、社会的な問題として取り組んで盛り上げていかないと解決しないと思っています。

青木:
 さてさて、お話は変わりますが、山形県は中国とはどのような交流をなされていますか?

知事:
 山形県は黒龍江省と姉妹県省を締結しておりまして、今年で17年目となっています。
様々な交流事業を行っていますが、昨年10月にはハルビン市に山形県事務所を構えました。黒龍江省の中に事務所を構えた日本の地方自治体は、山形県が初めてでしたので、地元の皆さんから大変喜ばれました。

青木:
 黒龍江省の省政府所在地はハルビンですね。ハルピンロシアにも近く、中国文化とロシア文化が混在していて、非常に特色がある地域ですね。

知事:
 私が知事に就任した初めて海外訪問したのもハルビンでした。後は、香港に行ったり、上海、台湾にも行きましたが、今は毎年中国を訪問しています。

青木:
 今、中国経済は大きく発展していますが、知事の中国発展についてどのように見ていますか?

知事:
 本当にそうですね。中国は行く度に発展していまして、ハルビンも目覚しい発展で、行く度目を見張る発展を肌で実感しています。ところで、山形県は大きな経済県ではないけれど、東京や大阪と違ってもう一つの日本といわれています。7割が森ですし、自然豊かな環境の中で伝統が息づき、伝統芸能、文化をそのまま伝えている1400年の歴史を持つ出羽三山もありますし、歴史のあるとこで山に囲まれた山形県は、昔からの生活、自然と文化と調和させて生活している日本のひとつの典型的な地域だと思いますので、中国のみなさんが東京、大阪、仙台に来られた時に、山形県という昔からの文化を守っているような所にもいらしていただいたら日本人は昔からこういう生活をしているんだなということが分かりますので、中国皆さんに是非、いらしていただきたいと思っています。

青木:
 ところで、山形県はこの度の原発事故が発生した福島県と隣接していますけど、この度の原発の影響も受けなかったですか。

知事:
 そうですね。原子力発電所から山形との間には相当の距離があるのと、山形県の名の通り、高い山で山形県は囲まれていてそこでシャットアウトし、幸いにもこの度の原発の影響を受けずに済んでいます。近くて安全ということ、山形県は、お隣として、福島から1万3000人の方々の避難を受け入れてお互い助け合っています。

青木:
 では、最後に知事はこれから山形県をどのような県にしていきたいのですか?

知事:
 やはり自然豊かな山形県、文化を先人から引き継いで大事にしている両方を調和して心豊かにいけるように、人間の幸せ、人間らしく生きていける山形県をずっと伝えて生きたいと思っています。第3次山形県総合発展計画を策定して基本目標が緑と心が豊かに奏であい一人一人が輝く山形。しっかり未来の世代に引き継いでいきたいと思っています。

青木:
 是非頑張ってください。県民の皆さんも大きく期待しておられることと思いますし、女性の代表選手としてのご活躍を心からお祈りしています。本日はありがとうございました。

 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月23日

山形県知事インタビュー(2/3)


知事:
 ところで、中国の方にお聞きしますと、毛沢東さんの時に男性と女性は平等だと言われてから広がったとおっしゃっていたんですね。山形県では女性の方が4万人も多いんですよ。

青木:
 はい、そうですね。中国は封建社会が長く続きましたから、男尊女卑の価値観が根強く、社会を担う所が、女性は家族と食卓を共にすることさえも許されない時代も長く続きました。そこで、新中国(1949年)が誕生してから、エプロンを捨て、女性の社会進出を推進した当時の毛沢東さんは「天の半分は女性が支えている」という名言を残しています。

知事:
 「天の半分は女性が支えている」それは素晴らしい表現ですね。私は色々な会合に参加するのですが、やはり社長や官公庁の幹部などは男性が圧倒的に多いですね。もちろん、それがいいとか悪いとかではなくて、ただ、能力のある女性がきちんと登用される環境が必要だと思っていますので、私が知事になってから山形県庁で初めて女性部長を誕生させました。それから、今まで女性を配置していなかった、財政課、人事課にも女性職員を配置させるようにしまして、将来の女性幹部候補として育成していかないと、状況を変える事はできないですものね。幹部は一朝一夕では育ちません。10年、20年のスパンで考える必要があると思うのです。

青木:
 今は、日本でも盛んに男女共同参画を推進し、女性幹部の登用や、様々な委員会の委員の登用率を30%にしなければならないとやっていますが、しかし、私が思うに女性が物事を決定場面に参加することはとても大事な事だとは思いますが、それは数や権利だけの問題ではなく、実質的にそう言う強い意識を持つ女性が政治に参加することが大事であって、無理に数だけ揃えてもあまり意味はないようにも思いますね。そう言った意味では、我々女性自身の意識改革もとても必要だと痛感していますが、知事はこの点についてどう思われますか?

知事:
 私もまったくその通りだと思います。今のそのように考える女性も少しずつ増えて来ていると思いますが、しかし、私の年代というのは、外に出て出世しなくてもいいと思っている女性も多いです。でも、そのような状況の中でも、山形の県民性は実質女性が掴んでいるのかもしれません。私は夫が病気で他界しましたので、すぐに社会復帰しました。やはりいつでも社会復帰を出来るためにも、常に自分自身を磨いておかないといけないと思いますね。

青木:
 本当にそうですね。家庭を持てば、出産育児という時期を避けて通ることはできないし、そのような時期もまた非常に大事だと思いますね。今の日本では、女性の社会進出を促していますが、しかし、夫婦共働きを前提にある社会ではありません。ですので、働く若いカップルにとって、仕事と家庭をどう両立させるかが大きな問題となっていますね。
日本社会で夫婦が共働きするための環境整備が求められていると思いますが、その点について知事はどのようにお考えですか?

知事:
 そうですね、しかし、今の所これだという解決策は見当たらないのですが、日本はM字型が多いといわれてますよね。働いて結婚して子供を育てるために家庭に入り、労働市場から姿を消して、子供が大きくなった時に、社会復帰して辞めていくというのがM字型と言われていますが、山形県は意外とM字型ではなくて、台形に近いんですよ。
なぜかというと、山形は3世代同居率が日本一多くて、賃金が安い事も関係しているのかもしれませんが、働かないと生活していけないという事もあり、家族が育児、介護を分担してくれる、おばあちゃんが育児を手伝ってくれて、お嫁さんは若い頃働いて子育てが終わって、退職する頃におばあちゃんの面倒を見る、そのようなサイクルが出来てきたので、M字型ではなく辞めずに働いて収入を得て年金が付くようにしたらいいという考えの下に、働く協力体制が出来ているのではないかと思いますね。

青木:
 それ素晴らしいですね。三世代が同居し、自然体で生活を支えるサイクルが形成しているというのは一番理想ですよね。

知事:
 ただ、課題もたくさんありまして、農村部では昔ながらのお嫁さんという意識があるのかもしれませんし、賃金が低い、今山形県も核家族が進んでいますし、結婚しない方が増えています。少子化というのは晩婚化、未婚化が問題だと思います。
昨日、山形県の10年間のデータを見ておりましたがはっきり出ていまして、そこが原因だと思います。結婚する方と、しない方と別れていまして、トータルでみると減っているが結婚した方は逆に子供数が増えている。ですので、今一番大事なのは婚活を応援することだと思うので若者達の婚活応援事業に力を入れております、結婚応援する事業を日本全国で実施したらいいと思っているんですよ。

 

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2012年07月16日

山形県知事インタビュー(1/3)

青木:
 
吉村知事、本日はお忙しい中ありがとうございます。今回は女性の知事ということでお会いできる事を楽しみして参りました。現在、日本全国で女性の知事は何名いるでしょうか?

知事:
 今の所、北海道、山形、滋賀の3名です。

青木: 
 今3名もおられるのですね。つい最近までほとんどいなかったですよね。今、日本には47の都道府県があって、長い間ずっと女性知事がほとんどいなかったような状況の中に、知事になられるまでの経緯を少しお話くださいませんか?

知事:
 はい、私は大学を卒業してから、広告出版の一般企業に就職し、3年4ヶ月勤務いたしまして、その間に結婚し、妊娠しましたので出産の為に退職しました。そして、故郷である山形県に戻って参りました。以後、専業主婦を20年ぐらいやっていまして、夫は弁護士をやっていましたが、夫が病気で他界した後に、私は社会復帰しました。
 大学時代に心理学を学んでいたので教育相談の仕事に復帰をしまして、2年間不登校のお子さんと関わりもあり、山形県の教育委員に推薦されまして、その間に県の方から入札監視委員、総合政策審議会など様々なお仕事を体験させていただきました。そのようなこともあったかと思いますが、知事選挙に出馬してくれと要請を受け、一大決心をいたしまして選挙に出馬し、知事に当選することができました。山形県知事としては50代目の知事になるのですが、女性の知事は初めてで、東北6県ありますが、ここでも女性知事は初めてということです。当選して今4年目に差しかかったところです。

青木: 
 なるほど、知事になられるまで、一般企業に勤められて、それからご結婚、ご懐妊を機に会社を辞められ、長年主婦の生活を送っておられた所に、知事選に担ぎだされる。普通ではありえないお話ですね。しかし、こうしてお会いしお話を伺っていますと、知事選に担ぎだされるのも不思議でない、そう思いますね。知事はやはり政治家としての資質を持ち合わせておられ、ただ、今まではそのような一面を持っておられることをご本人も含め、周りの方々も気づかないでいただけかもしれませんね。しかし、そうは言っても、知事とは全県民の運命を握っていると言っても過言ではない重要なお仕事で、それを背負って行く気概と覚悟がなければ、とてもできないお仕事ですよね。知事選出馬の要請を受けた時に迷いはなかったのですか?

知事:
 迷いましたね。元々私は政治家になりたいと思った事はありませんでした。ただ、政治というのは本当に大事なものだと私は若い頃から思っていまして、政治家を選ぶ選挙時の投票を怠った事は一度もなく、必ず投票には行っておりました。選挙で選ばれた政治家が政治をやって政治が私たちの生活の隅々まで及ぶわけですよね。政治ほど大事なものはないという意識は持っていました。 

青木: 
 それは大変なご決断をなされて知事になられたということですが、国際社会とくらべて今、日本国内において政治分野の女性リーダーが本当に少ないと思いますね。そのような社会環境の中で、知事になられてから女性知事ということで、壁にぶち当たったり困難に直面したりするようなことがありましたか?

知事:
 総体的な結論から言えばないと思います。というのも、周りは女性知事として見てくださるのですが、私自身はそのような意識はありません。私はあくまでも一人の人間としてやっていますので、男とか女ではなく人間としての私が政治をやっているので、男だからとか女だからという視点で考えないでやっています。
けれども、逆にその中で女性ならではの視点が入っているのではないかと思う時もあります。
例えば、昨年の東日本大震災の対応ですが、妊婦さんと乳幼児だけの為の避難所を設けたんです。それは山形県だけだと言われました。そういった乳幼児や妊婦さんが集団の中で生活するのは、赤ちゃんも泣きますし、お乳もあげないといけない、周りにも迷惑がかかるし、本人も気が引けたりしますから。私は自分自身の子育ての体験からそれは別の所があった方がいいと思いました。そういう女性の視点というのは男性ではできないと思うので、両方の視点が必要だと痛感しましたね。ですので、女性の政治家がもっと増えることが必要だと思います。

青木: 
 政治は人々の生活に密接していることが多く、人々を幸福にするために政治があるのですから、女性の視点は勿論、あらゆる視点が必要だと思いますね。しかし、今の所で日本の社会はまだまだそこまで辿り着いていないというのも事実ではないかと思いますね。長い間男性知事に慣れてきた県庁職員の中で、女性知事が誕生したことに対して戸惑っておられるなと感じることはございますか?あるいは、社会の中でも同じ、県民の皆さんが女性知事だからと特別な目でみられるということはありましたか? 

知事:
 ないと言うのは嘘になりますね。当選した最初の1年は私の服装やお化粧に対するご意見や感想が多かったので、ビックしましたね。そこは男性の知事にはない県民の皆さんの視点だと思いました。

青木: 
 そうなのですね。それって、やはり県民の皆さんはやはり女性政治家に対するある種のアレルギー反応なのでしょうかね。しかし、日本もしかり、アジア地域というのは女性が政治の領域に参加するという歴史が浅く、しかも、絶対的な数が少なかったので、ある意味しかたがない部分もありますね。女性の政治家の数が多くなってくれば、国民、県民の意識も、物の見方も変わってくるのではないかと思いますね。

知事:
 それが自然の形になればいいなと私は思います。子どもが育つ時にはおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんがいるのが当たり前の環境ですよね。社会に出てからもそういう環境の方が自然体で暮らしやすいのではないかと思いますし、職場でも男性も女性もいてその中で伸び伸びと能力を投与したりすることが必要だと私は思っていますね。
ただ、これが進むには教育などすごく大きいと思っております。私達の時代では考えられなかったことですが、私達の子どもの世代からは、学校の家庭科の科目も男女一緒に学習するようになりましたから、その辺りから感覚が少しずつ変わってきていると思いますね。
社会的背景というか育つ環境の中での価値観というのがとても大きく影響すると思うので、これは、一人ひとり個人的な思いというより、社会的な仕組みが背景から変えていかないと中々難しいのではないかと思うのです。 

青木: 
 私もまったくそうだと思います。人々の価値観は学校教育や家庭環境によって出来上がるのですから、教育が非常に重要ですね。



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Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月09日

青木麗子が静岡県知事に直撃(6/6)

青木:
嵐が吹いたときも地震が起きたときも交流がと絶えることなく、盤石な関係を構築する必要がありますね。雨風に絶えられる盤石な日中関係が。知事、日本と中国の交流は大事だと思っておられますか?

知事:
とても大事だと思っています。中国建国の父は毛沢東主席で、新しく改革解放の時は鄧小平先生で、この両先生から学んで行くと思っていまして、毛沢東主席からは農村が都市を包囲すると思想があるので、これを頂こうということで日本は山国ですから山国で大都市を包囲しようと、富士山連合を作ろうと。
鄧小平先生は香港が中国に返還する時に一国二制度作られたと私はすばらしと思いました。日本は一国一政党なんですよ。一国一制度が完成しすぎて、一極集中で行き詰っていますので一国二制度あるいは台湾がもし建前上中国とすれば一国三制度でしょう。

青木:
なるほどですね。日本が今目指そうとしている道州制もそうなればと思いますね。一つの国であってもそれぞれの地方の特色が反映されるような制度があってもいいんですよね。

知事:
もともとは一国多制度で、中国の古典に老子の道徳経の言葉で、道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。一国三制度ということは一国多制度ということで、ですから私は鄧小平先生からは一国多制度を学ぶと。
毛沢東先生からは日本の田舎は山間地ですから山間の山で一番有名な山は富士山。
日本の富士山は北は北海道から南は沖縄に至るまで、伊達富士、故郷富士があるんですよ。富士山連合で次の時代を開くと。そのときの考え方は毛沢東先生と鄧小平先生だと思っています。

青木:
知事、本日は大変勉強になりました。知事は是非リーダーシップを発揮なされて、静岡県のみならず、日本をよりよく変えていただきたいと思います。知事のますますのご活躍をお祈りしています。

静岡県の概略
静岡県は、太平洋に面する、日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。
2011年(平成23年)現在、都道府県別人口は第10位である。また静岡市と浜松市の2つの政令指定都市、及び2つの特例市を有する。なお、静岡県より人口の多い都道府県は東京都を除き全て政令指定都市を有している。
人口 3,748,224人   面積7,780.50km²
特産物:お茶、うなぎ メロン




 

  


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2012年07月02日

青木麗子が静岡県知事に直撃(5/6)

青木:
静岡県は浙江省と姉妹県省を結んでおられますね。最初はなぜ浙江省なのかと思っていましたが、知事のお話を伺ってよく理解ができました。静岡県と浙江省は実に接点が多く、聖一国師さんの話やお茶のルーツのお話などで繋がっているのですね。

知事:
その繋がりですよ。寧波は遣唐使の時代から日本人がそこに入ってそこから揚子江から長安洛陽に行ったということで中国にとって日本の玄関口になったと。
ここは富士山があるので日本の顔です。

青木:
日本の仏教を臨済宗、聖一国師さんが杭州の萬寿寺から学んで開祖した東長寺があり、お茶もその時に持ち込んだのですね。それで静岡はお茶の名産地となっているわけですね。

知事:
お茶は臨済宗の五山といったんですが学問をするところですね。浙江省杭州西湖があり西湖と富士山は恋人だと。

青木:
杭州の龍井茶はとても有名です。緑茶なのですが、香ばしくてとても美味しいお茶です。

知事:
みかんで有名な場所、温州も浙江省にあります。

青木:
今年は友好提携30周年となるのですか?
どんな記念イベントを計画しておられるのですか。

知事:
双方で様々な行事を計画しています。私たちは、浙江省のためなら何度もやろうと思っています。

青木:
ところで静岡県から若者達を浙江省大学に語学留学をさせているみたいですけれど、何か特別な思いがあってその事業をやっているのでしょうか?

知事:
 浙江省というところは人口5000万以上で圧倒的に向こうの方が多いですが、所得は一人当たりすると10倍ぐらいありますから全体としてバランスはとれていると思いまして、若者の交流が一番いいと。我々の青年、向こうの青年を送ったり、迎えたり交流をしています。ただ一方中国は防災、四川省の大地震があったので、ここは防災先進県だと。防災協定も浙江省と結んでいます。
一昨年、上海で万博があったでしょう。習近平先生とお会いしまして、先生は国家副主席ですけども浙江省の書記、上海の書記もされたこともあって、上海は浙江省の隣だから浙江省と上海万博に3776人送りますとおっしゃいまして、何の事かわからなかったのですが3776ということは富士山の高さですと。3776友好訪中団を送ったんです。6042人の方が事業に参加していただき賞をいただきました。
大変喜んでいただきまして、私は尖閣諸島で揺れていたときも行くなと言われましたが行きました。向こうも大歓迎していただきました。


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2012年06月25日

青木麗子が静岡県知事に直撃(4/6)

青木:
ところで知事はご就任なされてどれぐらいになりますかか?

知事:
2年半になります。

青木:
知事になられてから、学問の研究も続けておられますか?知事は今でも多くの本を出しておられるようですが。

知事:
 はい、私は今でももちろん学問の研究を続けています。学問をする時間が午前3時から朝食までの時間です。後は、一切人のため世のためと思っています。自宅に帰ったら夕食を済ませたらすぐ休みます。夜は時にアルコールも入るので仕事の能率が落ちるから早寝早起きをしております。

青木:
それはすごいですね。3時に起きられるのですか?
そのようにして、知事のお仕事と学問の道を両立させているのですね。

知事:
知事になってからも単行本を2冊出版しましたし、4月にももう1冊出版予定です。
本を読んでいないと物をかけませんから、自分に課しまして学問をしていないといけないのです。

青木:
さて、知事にご就任なされて静岡県を振興発展していくなかで、直面された困難とかハードルなどはありましたでしょうか?

知事:
静岡県は発展の可能性が本当にあるところです。静岡は富士山があるでしょう。来年世界遺産になります。東京都と京都の間ですから、先ほども言いましたとり、中国の文明が入ってきています、東京都いうのはスカイツーリーができますけど、地震のある所で作ったら大変ですよ、西洋文明と合うところですから東西文化が調和するところが静岡県でしょう。
気がついたら一番高い山と一番深い海があり、駿河湾というのが一番深い2500mありますから、山の物から海のものまで全部あるんです。
食べ物が農作物だけで167種類日本で一番多い県です。海産物を入れると219種類。
これも日本で一番です。
食材の大国なのです。まずは衣食住で、食に困ることのない。
最近は温かくなりましたが、北海道や東北、日本海側は雪に覆われていますが、雪は頂上にしか降らない、花も海もあるところで一次産業の農林水産業で南アルプスもありますし、一次産業がもっとも豊かなところです。


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2012年06月18日

青木麗子が静岡県知事に直撃(3/6)

青木:
経済と政治はやはり車の両輪のように切り離す事はできないですものね。ところで、「国富論」で有名なアダムスミスはスコットランドのご出身で、そしてグラスコの大学で学問を学ばれましたね。スコットランドと言えば、かつて、私も学者である夫の在外研究に同伴して、スコットランドに長期間滞在したことがあり、グラスコにも何度が訪れました。知事が掲げておられる「富国有徳論」はもしかしたら、アダムスミスさんの影響を受けられたのでしょうか?

知事:
そうですね。富と徳が一体でなければなりませんね。でなければ、倫理のない経済は泥棒みたいになってしまう、経済のない倫理は両方が車の両輪。道徳と経済というのはふたつながって調和しなければいけないのです。

青木:
全くその通りだと思いますね。今、世界中で様々な問題が起きているのですが、正にそのバランスが崩れているからだと思いますね、中国も今経済が猛スピードで発展していますが、経済発展を最優先にしてきたので様々な問題が起きています。正に「富と徳」のバランスが崩れているためなのですが、今、胡錦とう政権が盛んに提唱しておられる「和谐社会」とは、正に「富国有徳」を目指しているのではないかと思いますね。国が大きいから中々難しいところもありますが。

知事:
富国有徳は豊かな国には富、徳がなくてはいけないと。これは国だけではなくて会社も同じです。お金持ちになりお金をどう使うかということが問われている。
それを社会の為に使う人、自分の為だけに使う人では、自ずと社会的評価が決まってきましてやはりお金も使い方というところにその人の人品が現れますから、私は富と徳というのは常に考えておかなければならない大事な二つの柱だと。
貧困は病気になると薬が買えなくなる。そのため強盗に入ったりすることも、貧困は克服しなければならない。富を作ると、必要以上に出来たときはそれをどう使うかと。ここが大事なことです。

青木:
実は、私は今でも非常勤の大学で時々講義をしています。学生達とディスカッションする中で、将来の夢について議論することがありますが、その中で、将来社長になって金持ちになりたいという学生がいます。そこで、私はよく学生達に、社長になってお金を儲けたいという夢を持つことはいいことだと思います。しかし、大事な事は、何のためにお金を儲けたいのか、儲けたお金でどんなことをしたいのかについてしっかり考えておかなければならないと思うのです。手段を選ばなければ金を得る事は簡単です。社長になったときに、あなたは何の為にお金を儲けて、儲けたお金をどう使うか、それを良く考えておかないと人間は道を誤ってしまいがちになるのです。

知事:
100人のうち20ぐらいはお金持ちになる力は持っている。20人のうちに本当に立派な使い方が出来るのは1人ぐらいです。使い方の方が難しいのです。
会社の社長になったらその人の人格が会社の顔として取られてしまいますので、お金儲けばかりしていますと品がなくとられてしまいます。
トップに立つとその人の人品が問われるようになりますから、いまおっしゃったように何のために生きているかが基礎ですけど富をどう使うかということは徳ということを常に念頭においていれば間違いはないとおもいます。


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Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国