中国の今を知る、中国の未来を読む。

2013年01月28日

鹿児島県知事インタビュー(3/3)



青木:
ところで、今年は日中国交正常40周年の記念の年ですが、しかし、大変残念な事に、今、日本と中国の関係はこれまでにないもっとも厳しい状況に直面していると思います。知事はこの状況をどのように見ていらっしゃるのでしょうか?

知事:
両国の関係、特に主権同士がぶつかり合うと、なかなか解決が難しいですね。しかし、地方と地方が交流を深めてゆき、今後日中間の関係を立て直し、積み上げてゆく事。また両国の若者が相互理解を深めること。青少年交流・経済交流が日中間の国民の心のひだ、その中における日中間の距離を縮めていくことにつながると思います。これが関係修復の大事なポイントではないかと思います。いろいろと困難な局面を迎えるときもありますが,そういうときにこそ,本県のように,国家の繋がりの基礎となる地方政府レベルでの交流を進めることも重要であると考えております。

青木:
 はい、知事がおっしゃる様に、こういう時だからこそ、地方間交流を続けること、民間交流を発展させることが極めて重要だと私も思います。
ところで、日本の政治の行く末について中国の学者・要人の方々も注目しています。知事はこれから日本の政治がどうなってゆくとお考えですか?

知事:
日本の政治はここの所、まとまりが欠けていく可能性が感じられます。二大政党が崩れてきて、これからどういう体制になるのか、まだ先が見えていません。いろんな考え方ができ、いろんな人が活動・発言を始める。
この状態をどう収斂するかというスキルを日本はまだ持っていないと思います。当分の間は抱える問題のテーマごとに同じ考えをもつ政治家たちが政策提携していくという事が続いていくと思います。

青木:
日本はまさに伊藤知事のような経験豊富で、資質の高い政治家が求められていると思いますので、今後知事のますますのご活躍を心からお祈りしています。
それでは知事、中国の皆様にメッセージをお願いできますか?

知事:
日中両国は,引っ越したくても引っ越しできない緊密な関係であり,その交流はすでに何百年と続いております。私は,鑑真和上と二階堂進先生の日中友好への想いを引き継ぎ,一衣帯水の両国関係を平等互恵の精神に則り,これからも丁寧に日中両国の関係を築いていかなければならないと考えております。
また,鹿児島は,上海などアジアの主要都市と直行便で結ばれるとともに,九州新幹線全線開業とも相まって,大きな経済成長が見込まれる「環黄海地域」の高速交通ネットワークの一角を占めております。上海だけでなく,北京や大連など中国の大都市から,福岡を経由して九州を周遊し,鹿児島から帰国するという観光ツアーの造成も可能になりました。今後このネットワークを十分に活用することにより,中国をはじめとしたアジア諸国との交流を深めることによって,多くの外国人観光客の方々に本県を訪れていただき,鹿児島の持つ様々な魅力を味わっていただきたいと考えております。中国の皆さん,ぜひ一度鹿児島にお越しください。

青木:
最後に知事の座右の銘を教えて頂けますか?

知事:
「身に私を構えず」です。
自分の利益だけを考えるのではなく,他人つまり大衆,全て世の中のために配慮し,他人のことを自分のことより優先に考えるということです。私自身も常の念頭に置いて,みずから体現できるよう努めているところであります。

青木:
伊藤知事、本日は貴重なお時間をありがとうございました。









 

  


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2013年01月21日

鹿児島県知事インタビュー(2/3)

 


青木:
それは、素晴らしい取り組みですね。ところで、鹿児島県は、明治維新に大きな貢献を成し遂げられた志士達を輩出している県でもありますね。

知事:
はい、鹿児島県は経済的にそんなに豊かな県ではないのですが、いかにして県民が安定した生活を送れるようにするかが大切だから、本当に鹿児島らしさを生かすとなると、最後は「鹿児島教育」です。昔から「郷中教育」というのがあって、その土地の若い青年達が子どもたちを教育する。その「郷中教育」を復活させて、鹿児島の県民性をもう一度作り直していくことが必要であると思っています。

青木:
ところで、鹿児島県は地理的にも中国から近く、唐の時代に、鑑真和上が一番最初に上陸した地が
鹿児島県の坊津だったと聞いていますし、今でも中国とは大変緊密な交流が行われているとお聞きましたが。

知事:
そうです、鹿児島県には鑑真和上の上陸を記念するための記念公園や鑑真記念館があり、今でも県民から大事にされています。そして、江蘇省とは,1985年の農業分野での技術交流を契機として交流が始まり,1998年からは毎年交互の地で「交流協議会」を開催しており,この協議会での合意に基づき,行政訪問団の受け入れを始め,海外技術研修員や国際交流員の受け入れ,青年交流の実施など様々な交流を実施しています。
江蘇省との長年にわたる各般の交流により,相互の人材育成や人的ネットワークの構築,認知度向上が図られているところです。
また,中国華南地域の中心であり,中国本土に向けた交流・交易の拠点的機能を担っている香港とも,1980年に鹿児島で第1回交流会議を開催して以来,2年ごとに交互の地で「交流会議」を開催し,この交流会議を核にしながら,幅広い分野における交流を活発に展開しております。
去る10月25日には,総勢115名のミッション団で香港を訪問し,「第18回鹿児島・香港交流会議」を開催したところであり,観光,経済,芸術,文化などの分野で協議・意見交換を行い,今後一層の交流促進を図ることを確認しております。また,この交流会議に併せて,経済セミナーや貿易商談会,観光セミナー,レストランフェアの関連事業を実施するとともに,テレビCMの放映等を通じ,本県のPRを図ったところであります。

青木:
なるほど、それで、近年では、美しい桜島、温泉、ゴルフなどを目的に中国からの観光客も増加しているのですね。

知事:
はい、鹿児島県は日本の九州の最南端に位置しており,東アジアに非常に近いという地理的特性をもっております。距離的には,上海まで約860kmであり,鹿児島から東京まで約960kmであることをみると,上海の方が近いということになります。
また,鹿児島県は,奄美群島などたくさんの離島を有しており,最北端の獅子島から最南端の与論島まで南北600kmにも及ぶ広大な県土を有しております。また世界自然遺産に登録された屋久島や約550の温泉施設も有しており、その中には,指宿市の「天然砂むし温泉」など世界的にも大変めずらしい温泉もあります。鹿児島の魅力のひとつは,「食」です。「かごしま黒豚」やさつまいもを原料とする「芋焼酎」や,サトウキビを原料とする「黒糖焼酎」などがあります。
手つかずの大自然,豊かな食材,食文化,豊富な温泉,鹿児島人の温かい人情など,鹿児島県には人々を元気にする「本物の素材」があふれており,鹿児島に来ていただければ,ここには必ず皆様を満足させるものがあります。




<次週に続く...>
  


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2013年01月14日

鹿児島県知事インタビュー(1/3)


【インタビュー】 知 事 :伊藤 祐一郎 / インタビュアー:青木 麗子


青木:
伊藤知事、本日はお忙しい中にインタビューを受けていただき、ありがとうございます。

知事:
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

青木:
知事はどちらのご出身なのですか?

知事:
 鹿児島県が私の生まれ故郷なのです。僕は大学を卒業してから自治省に入って、それ以後ずっと中央官庁で働いておりましたが、知事に当選してから再び故郷に戻ってきたのです。

青木:
  そうなのですね。お若い頃の事や中央官庁時代のお話を少ししていただけませんか?

知事:
若い頃は公の仕事をしたいと考え、国家公務員というのは一つの目標でもありました。公務員になれば、社会の為にお役に立てられるし、その後いろんな活躍ができると思っていました。
1975年には外務省におりましたが、北京に行った時に天安門広場が全部自転車で埋め尽くされる光景も現地で見ています。それらの光景を見て、これが自動車に代わったら中国はどう変化するのだろうか、中国で何が起こるかとずっと見てましたね。

青木:
伊藤知事は、そんなに早くから中国入りをしているのですね。まさに、文革が終焉し、改革開放の3年前で、中国社会の変化を見てこられたのですね。

知事:
そうですね。その後、私は自治省では、地方分権改革の最前線で仕事をしていました。各省庁との諸調整などや政治家や経団連等とのやりとりもありました。大変忙しい職場でしたが、いろんなことを経験させていただき、また人にも恵まれたよい職場でした。

青木:
そのように恵まれた仕事環境におられたのに、何故、その仕事を辞めて知事選にチャレンジしようと考えられたのですか?

知事:
その頃、生まれ故郷である鹿児島が厳しい財政難に陥っており、新しい仕組みを作らなければ財政難を抜け出すことができないと考えた私は、これまでの地方行政に関する専門知識を活かして、鹿児島県を再生させたいと強く思うようになり、周囲の後押しを受けて、知事になる道を選びました。

青木:
 強い郷土愛が知事になることを決意させたのですね。ところで、知事になられてから、県政再生の為にどのようなことに取り組んでこられたでしょうか?

知事:
現在,我が国は,グローバル化の急速な進展,本格的な人口減少や少子高齢化の進行など大きな変革期を迎え,これまで有効に機能していた様々なシステムが十分に機能しなくなっており,将来に対しての漠然とした不安感や閉塞感が強まりつつあります。このような時代状況にあっては,人々が将来に対して、安心して自らの暮らしに明確な見通しや希望を持って、生活できるようにすることが重要であり,「子どもからお年寄りまですべての県民にとって優しくぬくもりのある社会」の構築が,より一層求められていると考えています。
  私は,時代の大きな転換期を迎える中にあっても,県民一人ひとりが生涯安心して働き,安定した生活を送ることができるよう,県民生活に直結する医療や福祉,介護,教育などの分野に特に重点を置いて,仕事,生活,絆の「3つの安心」を実現するための施策を進め,県民の暮らしの安定を図る為に取り組んで参りました。

青木:
鹿児島県は、近代日本の歴史において、とても重要な地域であり、美しい自然に恵まれた場所ですよね。

知事:
  はい、おっしゃる通り、本県の豊かな自然や個性ある歴史・文化,多様な食材など全国に誇れる本物の素材,南に開かれたアジアの玄関口としての地理的な優位性,我が国の食料供給基地としての役割等、発展の可能性を最大限に活かしながら,地域の経済・雇用を支える足腰の強い産業の育成,とりわけ,グローバリゼーションの中で,21世紀の鹿児島の基盤づくりに最も重要である農林水産業や観光を中心とした産業構造の高度化,再生可能エネルギーの積極的な導入・活用,快適で活力ある社会資本の整備などの諸課題にも取り組む必要があると考えています。
私は、すべての県民が郷土に夢と誇りを持ち生涯を安心して過ごせるような「力みなぎる・かごしま」,「日本一のくらし先進県」の実現に向けて,全力を挙げて取り組んでいるところです。













<次週に続く...>
  


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2012年12月24日

和歌山県知事インタビュー(3/3)




青木:
今日本は政治的にも経済的にも閉塞感で行き詰っていますが、中国の成長やについて知事はどのように見ていらっしゃいますか?

知事:
私は以前、通商政策局の審議官で中国担当しており、中国政府の貿易・産業部門とも仕事をしました。その頃、「中国は驚異かチャンスか」ということを日本の情報系大企業2社の専務にそれぞれお聞きしたところ、「中国企業の上にいる優秀な社員は非常に賢い。これはもの凄い驚異である。将来、その人達に自分達の会社の一番良いところを凌駕される恐れがある。自分たちが常に先を行き、中国が後をつけてくるというスタンスではなく、いつかは、立場が逆転するかもしれないという驚異を感じている」とのお話を聞きました。この現象はすでに中国内で表れています。日本企業もうかうかしていられません。日本企業が世界で企業活動を営むにあたり、その舵取りが非常に重要となる。舵取りが上手くいけば、中国13億人市場もターゲットになります。これはチャンスになります。

青木:
仰る通りだと思います。今日中関係が揺れていますが、知事はこの問題をどのように考えたらよいとお考えですか?

知事:
そうですね。日本も中国にはっきり言うべきことは言わなくてはいけないと思いますね。大国は全体の秩序を考えないと世界は壊れます。今や中国は経済発展を遂げ、世界中が注目する国家となりました。中国との関係なしには世界が成り立ちません。そうすると、中国には地球を守る責任が発生します。中国は大国としての義務や責任を負っていかなければならないのです。

青木:
本当にそうですね。大国には大国としての責任がありますね。中国も自分たちは発展途上国と未だに言っているのですが、もうそんな事はだれも思っておらず、中国は名実ともに大国として発展していますから。
ところで、知事、最後に中国の方々にメッセージをお願いします。

知事:
「和歌山いいとこ、一度はおいで」ですね。和歌山はすごくいいところです。中国の方々はきっと和歌山を気に入って頂けると思います。まず、和歌山には類をみないきれいな海、綺麗な緑が映える豊富な自然、たくさんの温泉があります。また、日本に影響を与えた中国文化が現存するところでもあります。例えば高野山。空海が中国の真言密教で一番偉い恵果に認められ、一番弟子となって帰国し開山した山です。当時、空海が持ち帰って来た中国の文化や伝統などが、今なお高野山にあります。きっと中国の方々にも、おもしろく感じて頂けると思います。また、和歌山での食べ物と買い物はおもしろいですよ。「和歌山いいとこ、一度はおいで」是非お越し頂きたいと思います。

青木:
本日はお忙しいところありがとうございました。








和歌山県
和歌山県(わかやまけん)は、日本近畿地方都道府県県庁所在地和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置する。和歌山市を中心とする県北部は阪神工業地帯に属し、沿岸部には製鉄所石油製油所などの重化学工業が盛んである。




  


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2012年12月17日

和歌山県知事インタビュー(2/3)




青木:
知事は、制度改革のことについて、国に対しても非常に積極的にものを申す知事としても注目を集めていますね。

知事:
まず、ここで誤解がないように説明しておきたいのですが、他の県知事は国と地方を対立軸として捉えていて、国は地方に負担を押し付けていると訴えています。しかし、私はそういう姿勢ではありません。自分は中央官僚で育ってきた人間ですから、国のスキルも理解しています。和歌山を良くするためには、和歌山県も頑張るし、国も頑張ってもらわなくてはならない。しかし、国の頑張り方が足りないと思います。あるいは、こういう事が出来るのにしない、または、やっていることが論理的でないなど国のやることがいつも正しいとは限りません。手段の選択として正しいとは限らないのです。そういうことが分かるので、今国がしているこのことは間違っていると言えます。地方分権とはなにかというと、根本的に地方にできることは地方に移してと世間で言われますが、私はそうではないと思っています。地方でやれるから地方でやるのではなく、国と地方のどちらでやるのが一番良いのかをと考えるべきです。そしてやるからには全部責任を持つ。お互いに責任の擦り付け合いをしていることも見られますが、これは間違っていると思います。一番大事な地方分権のテーマは「自己責任」だと私は思いますね。

青木:
ところで、知事、少し和歌山県の事について紹介していただけませんか?

知事:
和歌山県は関西圏にある地方の県ですが、関西の中での役割が決まっています。
まず、和歌山は製造業の下支えをしていて、装置産業や部品産業が盛んです。ヨーロッパでいうところの北イタリアみたいなところですね。また、近畿の中で心のふるさとです。遊ぶところだし、大阪や京都などで希薄になってきた自然がいっぱいある、温泉もあるし、海も青い、山は沢山あるし、行くと楽しい。また歴史的にも古く、昔から巡礼の行き先となっており、高野山や熊野古道が残っています。自然と信仰・魂のふるさとです。関西の下支えをしている産業を有し、観光地である。この2つの要素を兼ね備えた魅力ある県だと思いますね。

青木:
なるほど、ところで、現在どこの県も財政収入が乏しく、人口が減少し、若者が地方から出てゆく傾向にあるのですが、和歌山県は如何ですか?

知事:
これは、和歌山県でも大きな問題です。日本経済成長中に発展した産業がありますが、これがあまり和歌山に立地していない。相対的に働く場所が減ってきたのです。若者は外へ出て行くため、日本の中でも高齢化が進んでいる県でもあります。そのため、若い人たちが地元に留まって働きたいと思えるように、雇用を充実させるべく解決に向けて取り組んでいるところです。

青木:
若者達を地元に留まってもらうためには、やはりなによりも若者達を活かす場がなければなりませんね。雇用を創出するということは本当に重要な問題ですね。ところで和歌山県は今中国とはどんな交流をしていますか?

知事:
和歌山県は28年前から山東省と友好提携を結んでいます。よく友好県で形骸化する例もありますが、和歌山県と山東省との関係は強固で、昔から交流が盛んです。最近では山東省に対して貢献できることは何かを考え、環境交流を始めました。山東省は今経済成長が著しく、昔の高度成長期の日本のようです。和歌山県は昔公害に苦しんできた過去があり、その公害を克服してきた技術やノウハウがあります。それら克服する技術やノウハウを伝えるために、こちらから専門家を派遣したり、山東省からの大勢の研修生受け入れを実施しています。経済交流として、毎年山東省で商談会を開催し、和歌山の企業が参加しています。また、山東省は産業が盛んなので、和歌山の企業との提携なども視野にいれた交流を目指しています。最後は人的交流ですね、継続的に毎年1名を研修生として派遣し、中国に精通した職員の育成を行っています。






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2012年12月10日

和歌山県知事インタビュー(1/3)


【インタビュー】 知 事 :仁坂 吉伸 / インタビュアー:青木 麗子

青木:
知事、本日はご多忙の中にお時間をいただき、ありがとうございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

知事:
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

青木:
まず始めに知事のご経歴について少しお話くださいませんか?

知事:
私はもともと学者を目指して大学に入学したのですが、結果的に学者ではなく役人の道へ進むことを決め、大学卒業後、通産省に入省しました。広く世間を見ることができ、学者的、知識人的な興味も満たすことができると思ったからです。役人というのは実践力が必要です。人のために尽くして、貢献し、具体的に形を残して評価される世界ですから、認識だけでなく、行動する人でなくてはならないので、これを自分で実践したいと思いました。

青木:
中央官僚からなぜ地方の和歌山県の知事になろうと思われたのですか?その思いときっかけについて少しお話くださいませんか? 

知事:
前知事が汚職で逮捕され、そのことで大変心が痛みました。私としても何とかしたいという思いがきっかけの一つです。

青木:
知事になられて、この県をどのようにしていこう、または困難に直面した、それを乗り越えるためにどの様なことをされたのでしょうか?

知事:
前知事が逮捕されたので、逮捕者が出ないような県政にしなくてはいけません。実態をそのままにして逮捕者が出ないようにするのは無理な話で、実態を変える必要があります。汚職が発生しないようなメカニズムを作らないといけない。官製談合を追放するのも同じです。このことに一生懸命取り組みました。
また、和歌山の調子が自分の子供の頃と比べて悪いと感じました。それで、色々原因を調べたのですが、ここ30数年県民所得の伸び率が非常に悪いことがわかりました。この問題は、原因となっていることに対し、制度をもって改善していかないとうまくいきません。例えば、インフラ整備や県庁の政策重点の置き方、教育制度や教育目標の改正、福祉や財政再建など、解決すべき問題は多くあります。それらの問題に積極的に取り組んで来ました。
あとは国際社会で生き抜ける県でなければならない、と思っています。そのためには和歌山県自身がもっとスキルを持ち、その和歌山県のスキルと民間の活力で世界に打って出るような県でなければならないと思い、取り組んできました。





<次週に続く...>


  


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2012年12月03日

三重県知事インタビュー(3/3)


青木:
本当にすごいことですね。
それで、今知事になられて2年目とのことですが、日本国内はじめ海外に向けてもトップセールスマンとして
三重県のPRをして知名度を上げて取り組んでいらっしゃるとのことですね。中国のマーケットも視野に入れられていますか?

知事:
もちろんです。特に中国との関係は重視しておりまして、我々は河南省と友好提携させていただいており、去年25周年を迎えました。私も去年河南省を訪問させていただきました。三重県は四日市公害を乗り越えた経験もありますし、これまでは環境規制の人材の交流や河南省も三重県と同じく農業が盛んなので、農業での交流にとどまっていたのですが、最近は開封市に三重県の「太陽化学」や「住友電装」という会社が進出したりしていますので、経済の交流や中原経済開発区ということで中国政府からも力を入れてもらっていると聞きますし、あと観光の交流協定を私がはじめて結びました。それまで三重県は世界中のどの地域とも交流協定は結んでおらず、去年私が行って初めて河南省と結ばさせていただきました。その中には直行便の就航をいれました。今までは鄭州空港から大連経由でトランスファーしなければいけなかったのですが、今後は鄭州空港から上海経由でトランジットして関空まで飛ぶようになりました。7月から東方航空から就航します。今後は鄭州空港からセントレア間の就航が一番の目標です。5月にも河南省の方々が来日し、三重県内のショッピングモールで河南省のPRを兼ねた少林寺拳法のパフォーマンスをしていただきました。

青木:
河南省は悠久なる歴史を持っている地域です。経済的には沿岸地域と比べればまだまだ
これからなのですが、しかし、豊かな歴史と文化を持っている地域として発展のポテンシャルは
大きいと思います。鄭州の発展は目覚ましいですね。都市整備が急速に進んで、本当に奇麗に変わりました。
ここ数年で大きく変わりましたね。
今までは本当にかなり遅れていると思いましたが、しかし、去年鄭州に行ってみたら、その変わりように驚きましたね。

知事:
その通りですね。あとは上海も観光の関係で現地の会社や「日本の窓」などを通してPRさせていただいたり、7月から三重県として三重県の企業が海外に展開、進出していくサポートセンターを上海に開設することになりました。今36の都道府県が海外事務所、海外拠点を設けていますが、そのうち6か所は民間に業務委託しています。うちもそうです。うちは上海の拠点とさらに三重県内にも専用の職員を配置し、海外向けのサポートをしています。最近の大きな出来事といえば5月末に北京でサービス業に関する展示会をはじめて中国で開催しました。初日は温家宝さんにも来ていただき、都道府県では三重県が唯一出店させていただいて、そのときは忍者のパフォーマンスをしたり、海女さんのパフォーマンスをしたりと現地の方にも喜んでいただき、いくつか商談も成立しました。あとは上海にもグルナビの会社があるのですが、そこに委託をして「微博」などを通じて三重県の情報発信をお手伝いいただいています。中国に対する情報発信は極めて力をいれているところです。中国のような巨大なマーケットにも三重県に振り向いてもらえるようにしていきたいと思っています。県内の基礎自治体、例えば四日市と天津、松阪が無錫と友好提携をそれぞれ結んでいます。

青木:
中国との交流は盛んに推し進められているのですね。ところで今中国は御存じの通り、数字では日本を追い越して世界第2位の経済大国になりました。これから益々発展していく事と思いますが、反対に日本は縮小気味で日本国民が自信喪失なりつつあります。中国の発展と今の日本の状況を知事はどのようにご覧になっていますか?

知事:
中国の発展についてですが、一部マスコミでは中国の経済成長は止まってきている。市場として魅力がないのではないかと言われていますが、私は全くそのように思いません。現地に行って躍動感を感じますし、私は現場主義を徹底していますので、三重県の中小企業さんが中国で展開しているビジネスの中でも生の声を聞いていますので、全然成長が止まって魅力がなくなるとは全く感じず、今後仮に成長が止まりそうになっても違う方案を考えて、ハングリーに昇竜のようにのし上がっていく国だと思っていますので、ますます緊密に進めていきたいと思っています。三重県の食文化もビジネスも含めいろんな形で三重県をPRして、多くの中国の方々が三重県に
来ていただくような努力をしないといけないと思っています。一方で日本人、三重県もそうですが青木さんがおっしゃるように自信を失っている部分があると思います。なので、大きなマーケットである中国でスモールサクセスでもいいので成功を感じて、自分たちもやればできるという成功を積み重ねていけるサポートを行政でも全面的にしていきたいと思っています。

青木:
知事のリーダーシップの下に、三重県と中国との交流がますます盛んになって行く事を期待しています。
また、知事はまだまだお若い、政治家として今後30年、40年とご活躍できる立場にあられます、是非、日本の為にも頑張っていただきたいと思います。本日は、ありがとうございました。






 

  


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2012年11月26日

三重県知事インタビュー(2/3)


青木:
ところで、話は変わりますが、知事は何故10年間で皆さんが憧れる中央官僚のお仕事を辞めようと思ったのですか?

知事:
私は安部晋三元首相が政権を握っている時に総理官邸に出向していまして、その時に安部元首相のゆとり教育の見直しなどの改革を進めようとすると、役所の人たちが抵抗をするわけです。会社でいうと社長がこうしたい、と思っているのを周りの役員達がそれを止めようとする。それに疑問を抱いていました。当時2006年でしたが中国もそうですが、経済成長が著しいときにこのままでは日本が取り残されるのではないか、と思いました。
当時は自民党政権でしたが、与党議員は政策を官僚たちに丸投げしていました。要は官僚たちが総理の足を引っ張っているのに、足を引っ張っている人達に政権を丸投げしている。こんなことでいいのか、このままでは日本が立ち行かなくなってしまうと思ったときに、僕の選択肢は「足を引っ張らない官僚」になるか、「丸投げしない政治家」になるかのどっちかだと思い「丸投げしない政治家」になろうと考えました。なぜかというと間に合わないからです。経済産業省でいかに偉くなってポジションに衝いたとしても、当時はまだ31~2歳でしたから、15年ほどかかってしまう。この5年で中国が大きく変わったように、15年も経つと世界情勢も変わってしまって、本当に日本が取り残されてしまう、という思いで勇気を持って
政治家の世界に飛び込みました。

青木:
なるほど。それで自ら政治の場へと衆議院を目指したけれど落選し、その後に三重県知事選に再チャレンジ、ここではお見事に当選を果たされた訳ですね。少し前までは橋本前大阪府知事が全国で一番若かったですけれど今では鈴木知事が全国最年少の知事なのですね。ところで、若いということで何かハードルを感じることはありますか?

知事:
そうですね。ハードルを感じることはあまりありませんが、しかし、やはり若いということで自分も知識、経験が浅い部分はあると思いますので、心がけていることは、自分で何でもしないということですね。三重県は副知事どちらとも60歳前後ですし、部長クラスにもその年代の人が多いので、自分の足りない部分は周りの人たちの力を借りながらやっています。それも若さの特権かな、と思っています。若いからこそ謙虚に素直に自分のできない事をしてもらうようお願いできる。一方で若さ故の発信力の強さ、注目されることが多いとも感じています。中国含め海外の方からも「全国最年少の知事」ということで見方が変わり、印象付けることができます。例えば去年8月に上海の旅遊局長にお会いした時も訪問した知事が私で20番目だという話になり、私が日本で一番若い知事だということ、松阪牛など三重県にしかない特産の話をさせて頂くと「あなたの事は絶対忘れない。秋には美味しい上海を食べに来てください」というお言葉を頂くなど、各国の大使や総領事とのお付き合いの中でも「Youngest Governor」ということで、注目して頂けるのでメリットを感じています。

青木:
それは素晴らしい。日本では高齢化が進んでいてトップリーダーの高齢化も進んでいますよね。でも、中国を含め海外のトップリーダーのみなさんは若い方が多いですね。30、40代前半のトップリーダーが沢山います。そこは日本と外国とのその差は大きいですよね。そういう意味では知事は貴重な存在で、是非旗頭になって下さい。これから日本ももっと能力のある若い政治家が出てきてほしいですね。

知事:
がんばります。青木さんが仰るように30代、40代だとスピードが速いです。今の日本の企業、行政組織の一番の弱点はスピード感です。そういった時代、ジェネレーションの感覚が近い方がアライアンスも進めやすいと思います。

青木:
まったくその通りだと思います。中国を始め国際社会ではものすごいスピードで物事が進められています。
私はこの情報発信の仕事の他に日中ビジネスコンサルティングの会社をしておりまして、日系企業の中国ビジネスのサポートをしております。いつも感じるのは日本のスピードの遅さです。これだと経済や政治的な影響力も含めて世界に置いて行かれるのではないかと。是非若いリーダー達に巻き返してほしいですね。

知事:
そうですね。福岡の高島市長と私は同級生、人口も福岡市と津市は大差ありません。 たまに携帯メールのやり取りをして情報交換をしています。

青木:
そうでしたか。若い政治同士で是非頑張ってほしいです。
私もよくお会いしていますよ。

知事:
是非よろしくお伝えください
彼も発信力に優れていますよね。

青木:
そうですね。若さを武器にして是非日本を引っ張っていってほしいです。
さて、三重県の事について少し紹介してください。三重県の魅力や、抱えている問題等々。

知事:
三重県のキャッチフレーズは「バラエティー&ビューティフル」です。
三重県は多様性があり、美しい県だと思っております。松阪牛や伊勢エビ、あわび、美味しいものがたくさんあります。これはもともと歴史ある伊勢神宮や京都など都の方に食物を納めていたという日本の伝統の原点
があって、食文化が形成されていったのです。それから海岸線も1100キロあり、これは日本で
8番目に長い海岸線ですが、特徴は名古屋のすぐ横から和歌山の那智勝浦の横までと非常に縦に
長いことです。こういったバラエティーに富んだ文化や美しい自然も豊富な県です。

青木:
なるほど。かの著名な松阪牛は三重県の名物だったのですね。松阪牛と三重県とは繋がりませんでしたね。

知事:
一方で、課題といえば今特に北の方の四日市、鈴鹿、員弁というところではTOSHIBA、SHARP、HONDAなど大きい工場がたくさんあって製造業が売りですが、しかしこの分野も現在国際競争に晒されていて多くの下請けの工場の国際展開が非常に遅れている。ビジネススピードを上げたり、中小企業の国際展開を支援していくのが大きな課題です。三重県には空港も新幹線もないのですが、海外展開をしたいという意欲を持っている人達は沢山いるので、そういう人たちを支援していくのがこれから三重県の経済を立ち行くための大きな課題ですね。あとは、観光、経済という意味でまだ知名度が低いです。鈴鹿サーキットの「鈴鹿」とか松阪牛の「松阪」、伊勢神宮の「伊勢」、熊野古道の「熊野」と言えば有名なのですが、これが三重県にあると知っている人は少ないです。非常にもったいないです。「伊勢神宮って和歌山でしょう?」と言われる事もありますし、知名度を上げていくというのが観光にも繋がっていくし、経済の取り組みにも繋がっていく。
そこが今三重県の弱点ですね。

青木:
そうなると、ここは知事の出番ですよね。
トップセールスマンとして、三重県をブランド化。誰もが知っている名産品や観光名所を三重県と繋げて。

知事:
その通りです。私の名刺は「三重県営業本部長」と「知事」よりも大きな字で書いてあります。
裏には英語で「Chief Sales Officer」と書いてあります。とにかく三重県を知ってもらおうと営業活動をしています。
アワビ、伊勢海老、松阪牛・・・だれもが知っている名産です。真珠も「ミキモト」がありますし。
それが全部三重県にあるのです。


 

<次週に続く...>

 

  


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2012年11月19日

三重県知事インタビュー(1/3)

青木:
本日は、ご多忙の中に、インタビューをお引き受けいただき、ありがとうございます。本日、知事にお会いできるのをとっても楽しみしてまいりました。宜しく願い致します。

知事:三重県を選んで頂き光栄に思います。こちらこそよろしくお願いします。

青木:
ところで、情報によりますとつい最近、お子様が誕生されたとお聞きしましたが、まずはお子様のお誕生を心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。

知事:ありがとうございます。

青木:
さて、知事は今日本全国の知事の中で一番若い知事ということなのですが、今おいくつでいらっしゃいますか?

知事:今37歳です。

青木:
なるほど、ご待望の男の子のご誕生ですね。
知事になられた時とお父様になられた時で、どっちが一番嬉しかったですか?

知事:
これはなかなか難しい質問ですね!
個人鈴木英敬としては子供の誕生がやはり嬉しいですし、三重県知事になったときも
前回は落選していることもあり、それはそれで本当に嬉しかったです。
嬉しさの質が違いますね。

青木:
そうですね。いずれも知事ご自身にとって人生の歴史に残る出来事ですものね。
政治家とお父様、本当に二重の喜びですね。

知事:ありがとうございます。

青木:
さて、最初に知事のこれまでの経歴をお伺いしたいのですが、知事になられる前に
経済産業省で10年間中央官僚としてお勤めになられ、その中でジョブカフェの立ち上げや
「1円企業」の制度化に携わってこられたとお伺いしていますが、そのあたりの事を少し詳しくご紹介くださいませんか?

知事:
はい。通産省に勤めていたときにジョブカフェの立ち上げ、「1円企業」や「特区」(特別区)の
立案に携わってきました。特にジョブカフェと特区というのは、例えば三重県の津市と福岡県の大牟田市
というまったく異なる市ですが、国の事業や制度は全国一律であるけども、実際は地域には地域の
顔があって、人がいて、その人達の人生がある。官僚時代に47都道府県いろんなとこを回り、地域の事情に合わせた事業をしていかないと地域が元気になっていかないのではないか、という結論を得まして、雇用政策もそれぞれの地域のそれぞれの人の人生を応援したい、そんな事業を作りたいという思いでした。
それから「1円企業」についてですが、当時はアメリカでいうと開業率と廃業率でいうと開業率が14%、廃業率が12%。ということはプラス2%ですね。もちろん廃業が多い10人というのは気になる数字であるものの
プラス2%ということは、毎年企業が増えていて、経済が活性化していっているということです。
一方当時日本は開業率が3.6%、廃業率が4.8%なのでマイナス1.2%ということで、企業がどんどん減っていく、働く場が奪われることで地域の経済が収縮していく、それを止めるために最低資本金が、株式会社1000万円、有限会社300万円という企業を増やす一つのハードルを低くしたいというおもいでした。地域の働く場、地域の元気を守るためにも事業所が増えていかなければならない、という思いでした。

青木:
それは思い切った措置だったと思いますね。それで、実際に1円で会社を作り、ある程度効果は出ているのでしょうか?

知事:
そうですね。当時多くの企業がその制度を使って会社を立ち上げました。「ライブドアのホリエモン」も実はその制度を使っていました。「1円企業」と分かりやすく言っていますが、一人でも株主がいてくれればいいということで、それが極端に1円でもいいということです。結果的に株式会社設立に1000万必要なところを200万、300万で設立する人が多かったですが、そういう制度を利用して会社設立する人がかなり増えましたね。

青木:
確かに今の日本の経済状況の中では就職が非常に難しい。若い人たちが簡単に起業できるというのは非常に時代にマッチしたことで素晴らしい事だと思いますね。

知事:
そうですね。昔のように会社を作ったら、大きな資産を持ったりあるいは、いろんな機械をリースして債権、債務が発生したりするというものでなく、今はパソコン1台でビジネスができる時代ですから。もともと最低資本金というのは、債権債務関係が発生するので、もし倒産した時に債権者に対してお金を払うための担保にしようというものですので、債権債務関係がなくなれば、最低資本金も下げていいのではないかという考えです。
それは100社以上の中小企業、小規模零細の社長さん達にお話を伺っての結論でした。



<次週に続く...>
  


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2011年07月25日

ポップカルチャー・海を越え、政治を超えて



 「これ、どこの国だと思いますか?」「アメリカ、、、」「違うな、、、」「イギリス、、、」
「違うな、、、」「実はこれはロシアです」「これ、どこの国かわかりますか?」「フランス、、、」「違うな、ロシアです」「もう一つ、これどこの国かわかりますか」「イギリス」「違うな、スペインですよ」、、、、、。うん、50を超えたおばあさまねおじさま達にはの目にはどう写ったのか、、、。みんな、赤や緑に青木色のロングヘアの鬘をかぶって、コスプレ姿。どの国の人達なのか、さっぱりわからないが、みんな一応に手を振りながら日本語で日本・大好きだと言っている。近年、日本はアジアの国々そして欧米などの国で日本のアニメ・コスプレファッションコンテスを行っているようだ。皮膚の色が違うだけで、みんなコスプレをし日本語をしゃべると、どこの国のなのか区別がつかなくなる。
 7月23日、筆者が塾長を務める福岡県留学生サポートセンター日本文化塾は、30回目の日本文化塾に、コンテンツメディプロデューサー、作家、ジャーナリストの櫻井孝昌さんを講師にお迎えし「アニメ、マンガ、そして原宿ファッション。日本ポップカルチャーの国際競争力」と題して講演をしていただいた。櫻井さん、正にアニメの世界からそのまま飛び出してきたようなとても個性的な方。長年、業界の第一線で国境を越えて、ポップカルチャー、サブカルチャー、コスプレファッションなどなどを手広く手掛けられてこれられたとだけあって、身も心も頭も大変に柔らい。ユニークな画像の数々に加え軽快なトークで会場の若者達を釘づけた。しかし、やや時代の変化に付いていけてないない時代遅れの筆者は、脳内で大革命が起きるほどにとても刺激的なお話しだった。今世界中で日本のアニメ・コスプレファッションが大流行で、中国も多分に漏れず、中国の若者達が日本アニメに育てられている。そう言った意味では、アニメの世界を通して、日中間のみならず日本と世界の若者達が共通の言語をもっているということは、やはり素晴らしいことなのだろうね。ただ、時代遅れの筆者は、日本のアニメ・コスプレファッションだけではなく、日本人のアニメに込められている精神・文化もしっかり世界中の若者達の心に届けられ、平和の象徴となることを心から願う。



  


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2011年03月21日

大地震・日中両国の人々の心を繋ぐ



 3月11日午後14時46分、日本宮城県仙台沖で有史以来最大規模のM9.0(当初の8.4からアップ)の巨大地震が発生した。地震発生当時、筆者は上海からの視察団のアテンドで佐賀県にいた。パートナーである大公網のSamuel Wong氏からの電話でその惨事を知り、心が砕かれた。テレビ報道から流れる震災地の様子、丸で映画の世界だった。10メートルを超える大津波、一瞬にして街を呑み込んで行く。車、船、船、家財道具などなどが瓦礫となって水に浮かんで濁流と共に流れて行く。信じられない情景だ。8.8という震度は、日本で150年前に起こった宝永地震(3つの地震が一緒に起こったとされる。推定できる、これまでの日本での最大規模の地震。M8.6)を超える強度で、明治以降なら確実に最大規模の地震、世界規模では、2004年に起こったスマトラ沖・インド洋地震がM9.0~9.4で、26万人が死亡。大昔あったチリ津波地震というのが、それより震度が大きいかもしれないのだという。あれから一週間が立ち、今は福島原発の爆発による放射能問題対応で、日本・世界が揺れている。
 テレビを見ながら、東北地方、そして東京周辺にいる中国人友人達の安否が心配となり、電話を掛けるが、固定電話も携帯電話も殆ど繋がらなかった。その夜になって、ようやく新潟にいる中国駐新潟総領事の王華さんと電話が繋がり、総領事館は被害はあったものの、ご無事であることを確認しホットした。そして、私達の安否を気遣って中国の友人から連絡がひっきりなしに入ってくる「住む家を用意するから、家族を連れてしばらくは中国で避難してください」と複数の中国人の友人の温かい言葉が心に染みる。3年前に四川大地震が発生した時に、一緒に街頭募金をした在福岡中国人留学生が、今度は日本人のために募金活動をしたいと私に電話してきて、福岡県留学生会の仲間達と三連休を利用して被災地に対する救済支援金を募集するために天神の街頭に立った。大地震・日中両国の人々の心を一つに繋ぐ。

  


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2011年03月07日

これからの夢は小説家になりたいのだと言う



 今から3年と少し前に、福岡経済界リーダーの方々から誘われて、蒲島郁夫さんを囲む昼食会に参加させていただいた。どうやら、その蒲島さんが熊本県知事選に立候補されるというので、みんなで彼を励まそうというのだった。小柄でカリスマ性という言葉からは縁が遠いというのが第一印象だったが、しかし、直にお話しを聞いてみると、短時間ながらも、誠実なお人柄、そして深い哲学と見識、それから何よりも増して、故郷熊本県をよくしたいという熱い思いがひしひしと伝わって「この方が知事になられたら、間違いなく熊本を救うことになる」と、直感でそう思った、、、。あれから3年の月日が流れた。先日私は、大公網Japan Onlineの日本総代表として、インタビューをさせていただくために、3年振りに蒲島郁夫さんと再会することができた。知事室の入り口で満面笑顔で温かく出迎えてくださった蒲島さんは、少しふくよかになられ、お顔がやさしさと自信に満ちあふれていた。財政改革、川辺ダム問題、水俣病問題などの三つの問題を乗り越えられ、経済振興、長寿を恐れない社会、夢のある教育、品格のある都市まちづくりという四つの夢が着実に実を結んでいるからなのだろう。蒲島知事は、希な経歴の持ち主であることは皆様ご周知の通り。
かつて、私も「逆境の中にこそ夢がある」という蒲島知事の著作を読んで多くの力をいただいた。今回は私が認めた拙著「明日への扉・日中新時代へ」を差し上げたら
とても喜んでいただいた。今後の夢はとお聞きしたら「小説家になりたい」と仰った。
   


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2011年02月14日

日本は職人文化が栄える国へ

 昨日、福岡デザイン専門学校でグラフィックデザインを学んでいる長女に誘われて、卒業制作展を見に行った。さほど広くない当学校の展示室の入り口に佇んだ途端、思わずものすごい作品の数々に吸い込まれながら中へ入った。壁には、若者らしい発想で描き上げられた絵画がちりばめられ、テーブルの上には、思考を凝らした商業デザインの作品が綺麗に並べられている。いずれも、若者らしい感性と独創性、そしてみずみずしさに満ちあふれていた。そのレベルの高さに本当に胸が打たれながら、10年ほど前に、麻生知事の訪中に随行して、上海から南京に向かう列車の中での知事との会話を思い出した。「知事、今志を持てず、突き進むべき方向がわからないまま、途方に暮れる若者達が溢れています。これをなんとかしなければなりません。今の日本の教育のあり方が問われているのではないかと思うのです。私が思うに、日本は職人文化がもっと尊重される国を目指すべきだと思います。本来、日本人はとても繊細な感覚と感性をもっています。子供達はそれぞれ違う能力を持っている筈です。万人が大学へという時代に早くピリオドを打ち、TAKUMIを創造すべく、専門学校の振興に力を入れ、イタリアなどのヨーロッパの国々のように、職人技が活かされて、日本、九州のブランド力の確立を目指すべきだと思うのです、人生イコール一流企業に就職がすべてではない生き方を若者達に与えられる社会が求められているのではないでしょうか、、、」それから、10年が立ち、今、福岡はアジアにおいて、デザイン、アニメーション、美容、ファッションなどなどの一大集積地になりつつあることは微笑ましく思う。そして、中国をはじめ、アジアの若者達に学びに来てほしいと心から願う。

  


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2010年07月12日

とても新鮮な体験



 6月30日、福岡市内のホテルでアメリカ合衆国独立234年を祝うパーティーが開かれた。この春に、西日本シティー銀行合併5周年記念のシンポジウムで、在福岡アメリカ領事館のマルゴ・キャリントン首席領事と同じ舞台に立ったことがご縁で、私も独立記念日のバーティーに参加させていただいた。アメリカには20年前に夫のスタンフォード大学での在外研究に同行して1年ほど滞在し帰国して以来、一度も行っていない。久々のアメリカンの世界。パーティー開始時間になると、アメリカ海兵隊の皆さんがアメリカの国旗と合わせて日本の国旗を厳かに持って一歩一歩とゆっくりと歩きながら入場してくる。全員がステージに揃うと、一人海兵隊員が優しくそして静かにアメリカの国歌を歌い始めた。アメリカの国歌に続いて、君が代も歌われた。とても自然体で力強くそして誇らしそうに歌った。これが同盟関係というものなのか。鳥肌が立つほどに感動した。そして、日本がアメリカと共にあるといことを認識させられる瞬間でもあった。アジアの中でずっと日本を見つめてきた私にとって、その体験はあまりにも新鮮で、日本の未来を考えさせられた一夜でもあった。素晴らしいチャンスを与えてくださったキャリントンさんに心から感謝したい。ご帰国後のますますのご活躍を心から祈りつつ。



   


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2009年03月16日

和服に秘める日本文化の美

近頃、私は何かにつけて和服を着ることにしている。和服を着ると背筋がしゃんとして、心が穏やかになり、言葉使いも歩き方も、仕草も妙に淑やかになる。和服には本当に不思議な力があるように思えてならない。
 今から十年くらい前に、夫の在外研究に同行して、イギリスに約一年間滞在したことがあったが、イギリスでは日常茶飯事のことのように至る所でパーティーが開かれ、私たちもしばしば呼ばれるのだった。そのような時に、私はいつも決まって和服を着て出かけた。私が外国で敢えて和服に拘った理由は二つある。一つはもちろん、日本人を意識したからなのである。そして、もう一つは、日本人女性を一番美しく見せてくれるのは和服しかないと思ったからである。西洋人の女性たちは足が長く、背が高いのでドレスが一番似合う。悔しいけれど、ドレスを着るために生まれていない我々東洋人女性がドレスを着ても、絶対に彼女たちに叶わないと悟ったからだ。だから、私は、海外に行くときはどんなに大変でも和服を必ず持っていくことにしている。
 ところで、先日、博多織デベロップメントカレッジの卒業式と入学式が日航ホテルで行われ、私も光栄なことに来賓としてお招きを頂いたので、当然のことながら和服を着て参加させていただいた。生徒さんたちの華やかな和服姿にも魅了されたが、しかし、生徒さんたちの博多織の技術と美を追求する姿が何よりも眩しかった。
「奇麗と美しいとは意味が違う、これが日本文化と西洋文化が違う大切なポイントだ、流行によって淘汰されるような奇麗な作品ではなく、是非いつまでも人々の心に残れるような美しい織物を作れる職人になってください」十四代・酒井田柿右衛門先生のお言葉が生徒さんたちの心奥深く刻まれたに違いない。

  


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