中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2012年04月30日

美しく凛とした厳島神社に感動



ここしばらく、出張ばかり続いて、ご無沙汰しておりました。

昨日、広島県知事へのインタビューの為に、数年ぶりに広島を訪れ、インタビューの合間を縫って、一人で宮島まで足を伸ばし、厳島神社を心行くまで歩きました。厳島神社、写真で見るより数段迫力がありました。スケールといい、建造物の美しさといい、よくぞ平安時代にあんなにすごい建造物を海辺に建てられたものだと、水の中の厳島神社ではなく、たまたま干潮だっために、陸に上がっている厳島神社もまた格別な風情があって、実に素晴らしかったです。今、私は47都道府県の知事さんへのインタビューの為に、日本中を旅していますが、疲弊している日本の地方の姿に心が締め付けられる思いもするけれど、しかし、その中でも、日本は古き良き伝統と文化をしっかりと守っていることを目の当たりにすると心から嬉しく誇りにも思わずにはいられません。





  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2012年02月06日

山の登りてまだ麓



 日曜日目が覚め、なぜか無性に山登りがしたいと思い、ベッドから飛び降りて、いそいそと朝食を済ませた後に、
前々から登ってみたいと思っていた福岡県那珂川にある成竹山を目指した。
天気は曇りで、今にも雨か雪か降り出しそうで身が引き締まるほどに空気はとても冷たい。寒くないようにたくさん着込んで、万全の体制で600メートルほどの山頂へ目指した。とても道とは言えないほどの獣道をたどりながら、一歩一歩と。落ち葉の上にはまだ雪が残り、路面にうっすら氷が張っている。少しでも気が緩むとずるずるとどこまでも滑り落ちそうで、思わず枯れ木の枝に縋り付く。枯れた落ち葉の中で、真っ赤な南天の実がとても美しかった。山の頂きで、寒さを堪えながら頂くおにぎりは何よりのお御ちそうで、夫が持って行った登山用の小さなガスコンロでお湯を沸かし入れてくれた食後のコーヒは格別に美味しい。山頂を目指す時は、きついけれど、危なくはない。何かにつかまっていれば確実に登ってゆける。しかし、下るときは楽なのだけれど、気を緩むと足が滑って転げ落ちる。山登りって人生そのものだと思わずにはいられなかった。二月から中国春秋航空の日本戦略顧問に就任し、また目指すべき大きな山ができた。「山の登りてまだ麓」今年も雪山にチャレンジする気構えで、仕事に取り組んで行こうと山に誓った。



  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2012年01月30日

素敵な時計に見とれ、思わず時間を忘れそうに



皆さんはどのような一年の始まりだっただろうか、私は、例年にも増して、今年は新年早々から出張続きで、二月は日本にいる時間が殆どない。でも、ミニブルドーザーのような私は、動いた方がすこぶる元気なのである。ところで、先日、上京した折に、新橋駅の近くをぶらぶら歩いていたら、目の前にものすごい仕掛け時計を見つけた。その時計は
ものすごい迫力で、人の創造力ってすごいなと思わず見とれて、ミーティングの時間を忘れそうになった。この時計、誰の作品なのか、ご存知の方は教えてほしい。急いでいたので、作家の紹介を見るのを忘れて、後悔した。実は、私は大の時計好きで、自宅には様々な時計がある。時間になるとあちらこちらからいろいろな時計の音がするから、初めて我が家にこられた方はちょっとびっくりされるかも、、、。でも、私たち家族はみんな時計の音が大好きなのだ。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年12月29日

来年は平穏無事な一年でありますように



 今日から年末休み。昨夜の気温からみると今日は雪になるのかなと期待したが、朝起きてみると外はとても穏やかな晴天だ。今年は例年よりも増して出張が多く、家の事に中々手が届かなかった。一年のお詫びを込めて、朝から気合いを入れて大掃除に勤しんだ。今年もまた訪中回数の記録が更新、ついに30回を超えた。全国知事インタビューも入れると飛行機に乗っている回数は往復で100回超えた。通算して空の上でどれだけの時間を過ごしたことになるのだろう。考えるのも怖くなる。ところで、一年が終わりを告げようとしている時に、北朝鮮の金正日総書記が他界し、その一週間後に日本の総理が中国を訪問した。来年は中国が10年ぶりに政権交代が行われ、アメリカ、ロシアでも大統領選が行われる。そして、年明けの1月14日には台湾で総統選も行われる。日本の政局がどうなるのか検討もつかないけれど、いずれにしても、来年、世界の縮図が大きく塗り替えられるような気がしてならない。そして、今年は東日本の大地震、世界中でも天災と戦争が続き、人々が苦難試練の岐路に立たされ、反省もさせられたのではないかと思う。この試練を乗り越える中で、新しい知恵でこの時代を生き抜いて行かなければと思う。今年一年に感謝するとともに、来年は平穏無事な一年であるように心から祈りつつ。



  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年12月12日

牛に引かれて善光寺参り


県知事取材の為に、実に十数年ぶりに長野県を訪れた。ほんの一日の滞在だったけれども、取材の合間を縫って、善光寺の界隈をくまなく歩いた。門前町のしっとりとした佇まい、人々の心に安らぎをもたらし、とてもとてもすてきだった。日本はやはりまだまだ捨てたものではない、伝統と文化がしっかりと守られている。これこそが日本が世界に誇れる魅力であり、最大の価値なのだ。ところで、牛に引かれて善光寺参りという言葉はあまりにも有名であるが、善光寺と言えば、お朝事が有名。せっかく長野にきたのだから、私も寒さにも負けずに、朝6時に起きて、お朝事に行った。聖人様にお数珠で頭を撫でてもらったら極楽浄土に行けるのだというので、私も列に並び膝跪いて、聖人様が頭を撫でてもらった。そして、聖人様が通り過ぎられた後におそろおそろ面を上げてみると、なんと聖人様は女人だった。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年10月03日

ベトナムで出会った感動物語



 この所、仕事で時折ベトナムを訪れたりしている。街に出ると洪水のようなバイク群、平均年齢が20代というとても若い国なのである。若いと言うことはやはり素晴らしい。街中活気と希望に満ちあふれている。ハノイに滞在した僅かな時間の中で、素敵なベトナム人の女性キャリアウーマンに出会った。ハノイアムステルダム高校の副校長先生。トップとしてリーダーシップを発揮されておられ自信と誇りに満ちあふれるお顔から、2人のお子様を育てられてきた母親としての優しさを垣間見ることもできた。2人のお子様はすでに就職しておられるのだという。でも、そんなに大きなお子様がおられるようには見えず本当にお若く見える。英国に留学した経験をお持ちで管理職の前は英語教師だったので、気品溢れるクイーンズイングリッシュをこなしていた。中高一貫性のアムステルダム高校、校舎がとても近代的で、天井が高く通路も広々としていて、正に偉人を育てるに相応しい大変恵まれた環境だ。ところで、ベトナムハノイなのになぜアムステルダム高校?私は素朴に疑問に思った。副校長先生に尋ねてみると、ベトナム先生が終了してから間もない頃に、オランダアムステルダム市長がハノイを訪問した。1ヶ月間に亘って空襲を受け続けたハノイは正に焼け野原だった。その惨状を目の当たりにしたアムステルダム市長は、ベトナムを復興させるためには、ベトナム人自ら立ち上がる事が大事で、その為に優れた人材を育てる必要があると考えられ、帰国後、ベトナム復興支援募金を自ら呼びかけ、集まったお金をハノイに送られ、そのお金で中高一貫性の学校を建てられ、ベトナム人はそのご恩を忘れないために高校の名をアムステルダムと名付けたのだということがわかって胸が熱くなった。復興支援のあり方を考えさせられた。今はアムステルダム市長さんが望まれた通り、その高校は正にベトナムを代表する高校として多くの優秀な人材を世に送り出していると聞いた。そして、在校生の大学進学率はほぼ100%で、その内30%は海外の名門大学に進学しているのだという。そして、ベトナムでは多くの女性が教育現場で活躍しているということも伺った。


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)青木麗子の日々

2011年09月19日

里山に咲く真っ赤な彼岸花



 今日、那珂川(福岡県那珂川町)を車で通りかかったとき、田んぼのあぜ道に真っ赤な彼岸花が辺り一面に咲いていたのを見つけて、思わず車を止めてカメラのシャッタを切った。雨上がりのせいもあってか、水をたっぷり吸い込んだ彼岸花はみずみずしく実に色鮮やかでとても美しかった。私は彼岸花が咲けば秋の訪れを感じるが、みなさんは何を思うのだろうか。ところで、私は30年近く中国と日本を行ったり来たりしているが、中国で彼岸花を見た記憶はない。でも、資料によると彼岸花(別名曼珠沙華)は遠い昔中国大陸から渡ってきたのだという。そして中国語では「石蒜」と呼ぶらしい。なるほどね、よく見れば彼岸花の茎はにんにくの芽に似ている。昔は日本の各地の路傍、あぜ道、土手などの人里近くにたくさん野生していたが、近頃は都市化によって彼岸花の生育地がどんどん少なくなってきいてるようでとても寂しいことだ。日本の原風景とも言える美しい里山がこれ以上失うことがないよう、心からから祈りつつ。

  


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2011年09月12日

一年半ぶりにハノイを訪れて



 9月6日、仕事で一年半ぶりにハノイを訪れた。ガジュマル、椰子、ブーゲンビリア、フランスの植民地時代の面影が残る建造物等々。私が幼少の頃に過ごした中国の南の都市にどこか似ていて、とても懐かしい。空港からハノイ市内までは車で50分ほどかかるが、市内に入る直前に3キロも続く長い登龍橋(タンロン橋)がある。ガイドさんのお話しによれば、橋の下に流れる河は「黄河」と言うのだそうだ。そしてその名の通り、その河の水は雲南省から流れ込み、そして黄河へと繋がっているらしい。そして、登龍橋の手前には大きな工業団地があって、数年前から日系企業の進出が急速に増えたのだという。キャノン、パナソニックなどなど。特に数年前に、中国の新労働法の制定により、中国の人件費が急速に高騰したことによって、多くの日本企業は工場をベトナムに移転したようだ。しかし、終戦してからまだ30年と立っていないこともってか、ハードインフラのみならず、ソフトインフラの整備が追いつかず、人材もまだまだ育っていない事などで、多くの日系企業が苦労しているとも聞いた。けれども、ベトナムの人々はとても勤勉で、自信と誇りをもって生きておられると聞いたので、後数年もすれば大きく変わると確信した。

  


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2011年08月11日

水戸岡鋭治先生の夢の鉄道ワールド



 今日、今JR九州博多駅JR九州ホールで開催中の「水戸岡鋭治の大鉄道時代展」に足を運んだ。とてもラッキーな事に水戸岡鋭治先生御自らからご案内いただき、
水戸岡鋭治先生の夢の鉄道ワールドを拝見しとても感動した。洗練された車体、ゴージャスなホテルの一室を思わせるような車内。シート、テーブル、どれも実に美しい。日本の鉄道は今皆民間会社で運営しており、全国を北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州に分割されている。特に、JR九州の管轄の九州は総体的に乗車人数が少なく、赤字体質だった。国鉄が民営化されJR九州が出来たとき、JR九州は特色として、世界一の快適な鉄道を目指してきたのだという。その一環として、列車内外の快適性を求めて水戸先生のデザインを導入し、世界に負けない快適でユニークなデザインの素晴らしい列車ができた。デザインで優れるヨーロッパの人々も高く評価するので名実共に世界一の列車を実現した。筆者も列車の旅が大好きな故、新幹線はもとより、九州を走っている様々な列車に乗ってみた。水戸岡先生がデザインされたこれらの列車はただ列車がかっこ良いだけではなく、実はもっと驚く事は、その列車が九州の自然風景にお見事に溶け込んでいることだ。信じないなら実際に乗ってみてほしい。JR九州以外のところで列車に乗ると何となく殺風景に感じるのは筆者だけではないはず。今年の九州新幹線の全線開通で、JR九州の列車の快適性世界一を人々が知る良い機会となることを心から願っている。水戸岡先生はこれまでに、ブルネル賞、ブルーリボン賞、ローレル賞、日本鉄道賞、グッドデザイン賞、毎日デザイン賞、交通文化賞など、多くの賞を受賞されている。中国も今高速鉄道の時代に突入し、これから広大な国土に高速鉄道が整備される。今はスピードが最優先されているが、やがて、列車のデザイン性、車内の美しさと快適さを求める時代がやってくるに違いない。中国の高速鉄道の発展に水戸岡先生のご活躍を期待してやまない。「水戸岡鋭治の大鉄道時代展」は8月24日まで開催されている。

 
 
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年05月23日

自然は偉大なる母だ

 この週末、久々に休みが取れた。本当はしなければならない事が山のように溜まっているけれど、思い切り放っておいて、朝から園芸屋さんに駆け込み、ラベンダー、マーガレット、あじさい、モッコウバラの苗と油かすなどを買い込んだ。折しも天気は小雨、草花を植えるのに絶好の日より。一人では大変なので、猫の手(夫)を借りながら、丁寧に植えた。ここしばらく、仕事で身も心も疲れ気味。でも、植物に触れ、土に接することで、なんだか心がしゃきっとしてきた。自然はやはり偉大なる母なのだ。心から感謝。これで明日からまた頑張れる。6月もまた中国への出張が続く。



<青木麗子が趣味とするガーデニング>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年05月16日

Scotland Dundeeを久々に訪れて



 5月10日〜15日まで、家族と共に12年ぶりにScotland Dundeeを訪れた。Dundeeは15年前に夫の在外研究に同行して家族と共に約一年間住んでたことのある場所で、私達家族にとって第2の故郷ととなった街だ。DundeeはScotland Edinburgh の近くにある人口が30万人ほどの街で、Tay Riverを横に沿った街で古い石造りの低層ビルディング、ガーデンが美しい一戸建ての家々、古い教会などなど、穏やかでとても落ち着きのある街。ビクトリアの時代からずっと変わらない町並み、住んでいる人々までが化石のようで、何が起きようとも、Scotland悠然とゆっくりと流れている。そこにいると人間が生きる意味を改めて考えさせざるを得ない。

Scotlandと湖水地方。情感のつよいケルト系住民が、大昔はローマ帝国に追い詰められ、ハドリアヌス砦。自然をまもるPeter the Rabbitのトレードマークのnational trust。グパイプの演奏。Scotland、ある意味九州とよく似ている所だと私は思う。スコットランド人は、素朴で、情が深く、そして、お節介。12年ぶりに来たけれど、時間の空白はまったく感じない友人達は昔と変わらぬ友情で迎え入れてくれた。

着いた日から、毎日、自分で運転して、気が向くままに自由自在に動き観光地を回るような特別なことはまったくせず私は友人と会ったり、好きなアンティックショップを回ったりラベンダーが埋め尽くされている美しいガーデンの中の喫茶店でアフタヌーンティーをしたり、、、、、

Dundeeにはわずか1年ほど敷かすんでいなかったけれども今は間違いなく、私達家族にとって第2の故郷となっている。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(2)青木麗子の日々

2011年04月18日

横井公使と北京での再会



三月の半ば、筆者は福岡県中国戦略調査団に随行して、北京、南京、蘇州、上海を訪問した。北京での訪問期間中に在中国日本特命全権公使横井裕さんを表敬訪問した。ご多忙の中、横井公使は自ら猛スピードで発展と変貌を成し遂げられている中国の事情について話してくださった。横井公使は80年代以後、度重ねて北京での大使館勤務と上海総領事館勤務をなされており、中国語が極めて堪能の上、中国事情に造形が深く、中国の知識人の間で極めて高い人気を誇る日本人外交官のお一人だということを上海の大学で教鞭を執っている中国人の友人からお聞きしたことがある。横井さんとは3年前に、筆者が早稲田大学の木下教授、谷野作太郎元大使、上海復旦大学の陳雲助教授ら有志の皆様と共に企画実施した日中青年交流事業「鑑真プロジェクト」の交流会で初めてお会いしたのだった。1.9メートルを超える長身なお体、流暢な中国語にユーモアたっぷりのスピーチにみんなが釘付けとなったことを今も忘れない。3年振りの再会、とても嬉しかった。

  


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2011年04月04日

世界の宝・磯崎新先生



数日前に、日本のまちづくり/都市形成の鉄人的存在である藤賢一さんに誘われて、日本を超え世界を代表する建築家・磯崎新先生と夕食を共にさせていただいた。磯崎先生はこの度の東日本の大地震の影響を受けて一時的に福岡に避難をしてこられたのだという。私が磯崎新先生と最初にお会いしたのは2006年に福岡市が2016年のオリンピック招致に手を挙げた時にだったが、その時も御年すでに70の半ばは過ぎておられたかと思うが、スタントカラーの白いシャツに黒のロングジャケットを身に纏い、颯爽と歩かれるお姿が若々しく今でも印象深く残っている。久々にお会いする磯崎新先生は、変わらぬお姿で、先生の知的でユーモラスな語らいにしっかりと引き込まれるのだった。思えば5年前に、福岡市がオリンピック招致活動にチャレンジをした時、私は皆様から押されてオリンピック招致を支援する女性の会の会長として、招致活動に参加していたが、福岡市が目指すオリンピック会場及び選手村の設計は磯崎新先生の手に委ねられた。磯崎新先生は、日本のポストモダニズム建築の実践者として時代を牽引してきた方で、現在も世界中で大きなプロジェクトを行っている実践者であられる。また、時代を超え、建築論で大きな影響を与え、「建築の解体」を始めとする数々の名著により建築“論“によって古今東西の建築家に多大な影響を与えている。そして、未来を捉える目によって新たな才能、建築の可能性を広げる存在として、世界中の重要なコンペの審査員長を務め、数々の名建築をコーディネートしておられる方であられることは皆さんのご周知の通りである、、、。数十センチの至近距離で世界の巨匠と語り合えた時間は私の人生の宝となった。素敵なチャンスを与えてくれた藤さんに心から感謝。



 
  


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2011年03月28日

Asia RAINBOW TV AWARDS



 3月22日、Asia RAINBOW TV AWARDSが中国大陸の国民的大スターのチャン・コォリー(張国立)、韓流スターのJang Na Raを始め、中国、韓国、日本、インドなどのアジアの国々から多くのビックスターと著名なる歌手が一堂に会する中に香港Exhibition Center Hallで華やかに開催された。私も大変光栄なことに、主催者であられる香港の名監督の徐小明氏のお招きを受けて、ビジネスパートナーである香港大公網のSamuel Wong氏を始めとする関係各位の皆様と共に盛会に参加した。会に参加して、二つのビックサプライズに遭遇した。一つは、赤いカーペットを歩きながら錚々たるビックスターと名を連なってサインさせていただいたこと。二つ目は、大勢のVIPの中で、最もメインの席に座らせられたこと。而も私の前の席には主催者であられる徐小明監督、隣の席には中国の国民的大スターのチャン・コォリー(張国立)さん、そして、その隣には女性の人気歌手が当たり前のように座っていた。ショーの合間に、チャン・コォリーさんとお話しするチャンスに恵まれたが、ビックスターという気取りはまったくなく、とても温かく気さくな人間チャン・コォリーさんに感動した。歌や踊りが披露される中、テレビドラマのベスト作品賞、主演男優賞、主演女優賞、ベスト監督賞、ベスト脚本賞、ベスト司会者賞等々が選ばれた。東北部で起きた大地震の影響を受けたためなのか、日本勢の参加が少なかったことに心寂しく思った。でも、ショーの途中で、この度東日本で起きた大地震の被災状況が大きなスクリーンで映しだれさる中、香港の歌手が「日本ガンバレ」と心を込めて歌を歌ってくださったことに本当に感動し涙が溢れた。香港のみなさん、ありがとう。思わず心の中で叫んだ。皆さんの温かい声援があるので、日本はきっと一早く困難から抜け出し、震災地の復興を果たすことができると確信する。

  


  


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2010年12月27日

充実したチャレンジングな一年に感謝


 今年も残すところ、数日となった。いろいろと思い起こせば、私にとって今年はこれまでの人生の中でいつの時よりも増してチャレンジングな年であった。
人生はいつ何が起きるか分からない。その言葉のもつ本当の意味をしみじみと噛みしめる一年だった。まずは、51才のチャレンジとして、標高1700メートルの韓国岳の登山にチャレンジしたこと。これはまさに思わぬ出来事だった。今まで500メートルの山しかチャレンジした事がなかった私にとって無謀というまでもない。しかし、なせばなるものだ。苦しみを耐えながら山頂を目指していく道程で、「登山とは人生そのもの」と悟り、山頂に立った瞬間には自然の雄大さに感涙した。「小さなことでくよくよするな」山がそうこだまし、心と体に力が漲ってくることを実感した。
 さて、アジアの時代だと言われて久しい。けれど、そう実感することは今まであまりなかったのではないかと思う。しかし、2008年の北京オリンピック、そして今年の上海万博の開催を経て、中国は間違いなく世界における存在感が一段と増し、中国なくして何事も論じることができなくなって来たほど、中国は様々に意味に於いてその責任を背負う役回りとなったきた。そして、中国のGDPが日本を追い越し、アメリカに次ぐ第二の経済大国となったあたりから、世界中で中国を求める声が強まってきた。しかし、真のアジアの時代を創造するために、安定とした日中関係が必要不可欠だと思う。日中両国民の相互信頼関係がその基礎となる。今年の夏に香港大公報・大公網の日本情報総合サイト「Japan Online」日本総代表を引き受けたのは、日中両国民の相互信頼関係の構築に貢献したいと考えからだ。人生最大のチャレンジでもあるけれど、皆様のご支援とご協力を得ながらしっかりと日本のソフトパワーを発信していきたい。来る新しい一年も世界の人々にとって幸多い年であるよう心から願わずにはいられない。
  


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2010年12月06日

香港フォーラム・大いなる刺激を受けて



 昨日、6日ぶりに香港より福岡に戻ってきた。石原会長が率いる九州香港協会の皆様とご一緒に、12月1日から開催する香港フォーラムと2日から開催するビジネスオブデザイン展に参加するために香港を訪れた。中国大陸でよくこの種の展示会に参加したが、さすがに香港は全然違うと実感した。長い歴史の中で、アジアにおける貿易・金融のセンターとして生き抜いてきた香港だとあって、すべてに於いて群を抜いて洗練されていると思った。まずはハードインフラの面に於いて感動したことは、エキスビジョンホールはグランドハイアットホテルと繋がり、地下鉄も乗り入れられているし、ショッピングセンターとも繋がり、レストランも集中している。2番目に感動したことは、展示会場の配置と受付スタッフ達の教育が非常に行き届いていること、そこには心というものを感じた。そして、3番目に感動したことは来場者。来場された顔振りを見ると、しっかりターケットを絞って案内していることがわかる。要するに当てもなく、景品だけを目標にくるようなどうでもいい桜は殆どいない。そのために、人がごった返すこともなく、見たい人はじっくりと見れる環境を提供している点は、我々も学ばなければならないと思った。「香港・何故それほどまでに世界中の人々を引きつけるのか」この言葉が福岡の未来を握るキーワードではないかと悟った。

  


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2010年08月16日

日本文化・北京で根付く


 少し前に、大連への訪問を終えて北京に飛んだ。さすがに首都空港・中国の玄関口に相応しく、いつ降り立っても、世界中からの到着便で賑わう。タクシーに乗り、白樺の並木道の風景がスライドしていく。北京の都心部に近づけるにつれ、様々な思いがこみあげてくる。10年前にある日中合弁会社の社長として、奮闘した日々。経営が行き詰まる会社の立て直し、投下資本の回収、円満撤退などなど、私の肩に重くのしかかる。積み木のように、あと一つで終わるというところで、くしゃくしゃに崩される。このようなことが何度繰り返されたのかわからない。無力になり、やるせない日々で苦しんでいた時に、いつも力強く支えてくださったのが北京の友人達。今から思えば、それも貴重な経験で、懐かしい思い出だ。ところで、この度、北京滞在中に仕事の合間を縫って、久しぶりに王泰平先生のご自宅を訪ねた。北京の中心街からわずかな距離にある高級マンション群。王泰平先生は奥様とともに、いつもと変わらぬ温かいまなざしで迎えてくださった。4LDKの広々としたマンションの中に、ご夫妻が心して創らせたのだという和室があった。六畳ほどの和室には、王泰平先生ご夫妻が外交官として日本で暮らした長い歳月の証、そして日本文化がぎっしりと詰まっていた。
  


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2010年05月24日

今年の薔薇は一段と鮮やかで

 鎌倉を十分に堪能した後に最終便で福岡に戻った。家に戻り時計を見るとすでに11時が回っていた。しばらくは家族とこの一週間の出来事について話していたが、睡魔が襲いかかり、気がついたら座ったままで夢の世界へ。翌朝、目が覚めて、窓のカーテンを開けてみると、空が澄み渡り、素晴らしい晴天だった。いつものように庭に出て、美味しい酸素を胸一杯に吸い込もうとした瞬間、壁一面に咲いている薔薇の花が目に飛び込んできた。今年こそはたくさんの花を咲かせたいと考え、せっせと肥料をやり、草をとって、愛情をたっぷり掛けたので、そのことに答えてくれるように、綺麗な花がたくさん咲いてた。一週間前に家を出たときにはぽつぽつとしか咲いていなかった庭のバラが咲き乱れてた。もう一つ、実は20年ほど前に、中国山東省・曲阜の孔子廟から分けていただいた小さな「槐の木」(車の上)が一段と大きくなり、家の正門の脇の庭で天にも届きそうに聳え立ってた。かぜにゆらゆらと揺れる新緑の枝がとても美しかったので、思わずシャッターを切った。忙しい一週間であったが、心に栄養とエネルギーをたくさんいただいた一週間でもあった。さて、来週もまた中国。頑張らなくちゃ。




  


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2010年05月17日

憧れの鎌倉を訪ねて


 先週はとにかく忙しい一週間だった。上海、南京、そして東京に鎌倉。
中国・安徽省和県での出張を終えてから、一人で南京より列車で上海へ移動。
翌日、上海虹橋空港から羽田空港へのシャトル便に乗り、東京入りし、観光庁の検討委員会の会議に出席。夜は会合に参加。翌日の土曜日午後には久々に早稲田中国塾で「中国こぼれ話」と題してスピーチ。懇親会に顔出しつつ終電前の飛び乗り横浜へ移動。日曜日、若いときから一度は行ってみたいとずっと思っていた鎌倉まで足を伸ばした。鎌倉、私が想像したとおり、歴史と文化が蓄積され、実に情調に溢れしっとりとした素晴らしい街だ。
報国寺の竹林に美しい日本庭園、雄大な鶴岡八幡宮など、いずれも素晴らしかった。
私は年間で二十回を超える中国出張が入り、とても忙しい日々を送っている。
でも、どんなに忙しくとも常に平常心を持ちたいと思い、時間さえあるとよく神社仏閣を尋ねたり植物と対話をしたりするようにしている。5月の鎌倉は新緑が目映いほどに美しく、大勢の観光客で賑わってた。どれだけ歩いたか、商店街の脇にある細い路地に入ってみたら小さな美術館を見つけた。中に入ってみると私の大好きな北大路廬山人の特別展が行われいるのではないか。陶芸作品、書画作品などなど。私は、無骨でごつごつとした廬山人の陶芸作品が大好きで、それらの作品は人々の心を温かく包み強いエネルギーをもたらしてくれるようなそんな不思議な力があるように思うからだ。


  


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2010年03月22日

51才のチャレンジ

 3月20日、時は51才の誕生日を容赦なく運んできてくれた。60代に向かって確実に第一歩を歩み出した記念にと考え、夫と共に鹿児島・霧島の硫黄山の登山口から標高1700mの韓国岳の登山にチャレンジした。天気には恵まれたが、しかし、山頂は氷点下で、冷たい風が頬を刺す。石ごつごつの険しい道、何かを掴んでおかないと吹き飛ばされそうになる強い風、強行軍だったが、山頂に到達した時に目にした山々の雄大さには心から感激、父なる山々から大きなエネルギーを頂いたような、生涯忘れがたい思い出となった。

 登山、これはまさに人生そのものではないかと思った。自分が目指すべく山頂があれば、例えどんなにきつくても頑張って行けるし、頑張る気持ちさえあれば到達できない山頂はないのだ。時に山頂を見渡しながらも、足下をしっかり見つめつつ、突き進む。急な突風が吹いても、吹き飛ばされないためにもしっかりと足を大地に踏ん張って進むことが大事で。
「山を愛する人は自然を愛し、自然を愛する人は人を愛する」
山頂付近で出会った85才のご年配が教えてくださった言葉だ。
自然を愛し、人を愛する人で有り続けたい。
来週からはまた中国への出張の日々が続く。

    


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