中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2010年03月01日

ベトナム・ハノイより中国に思いを馳せて  Part 2


一昨年、ホーチミン市を訪れた時には、まったく感じなかったが、今回、ハノイを訪れてしみじみと認識させられたことがある。ベトナムが社会主義国家であったこと。
そして、なんと言っても、町並み、人々のライフスタイルなどは、はやりどことなく中国の福建省の人々ととても似通っているところが多いように感じる。厳密に言えば、福建省にいる客家人に近いというべきなのかもしれない。でも、路地裏を歩けば、どこか違う面影を見ることもできた。道端で並べられている屋台には、ベトナムの食べものではなく、あたり前のように、フランスパンが積み重ねて売られている。野菜やお肉などのお好みの具材をフランスパンに挟んで食べるのが定番だという。私もせっかくのチャンスなので、ハノイの人々に混じって、フランスパンと具材を買って、サンドイッチにしてもらった。売っている環境と具材を見る限り、決して食欲が注がれると言えないけれど、しかし、食べてみると、これはどうして、実に美味であった。
フランスパンは思ったよりもちもちしていて、具材と実に合う。あなたももしもベトナムに行かれるチャンスがあったら、ホテルやレストランのお食事ばかりではなく、
是非一度召し上がられたらよいと思う。きっと忘れられない旅の思い出になるに違いない。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2010年02月01日

ベトナム・ハノイから中国に思いを馳せて Part 1


1月23日、私達は福岡空港からハノイへの直行便に乗り、飛ぶこと4時間、予定通りにお昼前にベトナム首都・ハノイの国際空港に着陸した。バスポートコントロールを通り、荷物をピックアップし空港の外に出ると、椰子の木など亜熱帯の植物が広がっていた。始めて訪れたはずの場所なのに、何故だか懐かしく思え、血が騒ぐ。バスに乗り高速道路から市内へと向かう道々で、車窓から田園風景、街の景色、人々の生活の営みがスライドする。しばらく思いにふけていたら、あっ、そうだ、これは、幼少の頃、中国広東省で過ごしていた時に見慣れた風景とよく似ている風景だ。心奥深きに眠っていた記憶が湧き上がってくる。甘酸っぱい過去の記憶。
 これから3日間はここで過ごす。なんだかわくわくしてきた。仕事の合間を縫って、是非街の裏路地あたりにも散策してみたい。人々の息吹を感じられる場所に。ベトナム語はできないけれど、でも、心があれば人々とのコミュニケーションにはなんら問題はないはずだ、、、。「皆さん、もう到着しましたよ」思いにふけこんでいたら、いつの間にか、目的地に着いてしまった。さぁ、ハノイでの初日が始まるのだ。
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2010年01月11日

明日から本格的に一年がスタート


 年末ぎりぎりまで中国出張が入っていたためなのか、今年はどうも新たな一年がやってきた気がしない。なんとなく昨年の連続続き感覚で過ごしていたが、この週末の三連休が珍しく何も予定が入っていなかったので、私にとって遅めのお正月やすみがやっと取れた感じで、3日間時間の流れるままに過ごしていたら、北京の友人から電話がかかってきた。北京は今数十年振りの寒波に見舞われ、最高気温マイナス6度、最低気温はマイナス16度だという。例年だと北京は寒いけれど雪降ることはあまりない。空気が乾燥しているからためなのか。しかし、この冬に入って五回も大雪が降ったそうだ。北京のみならず、中国全土において今年は異例な寒さだそうである。
昨年は経済を始め世界規模でこの冬の大寒波のように、あらゆる意味で大変な一年だった。しかし、中国には古くから「瑞雪豊年を兆す」ということわざがある。今年は、大困難期を抜け出し、明るく平和で実りのある一年であらんことを祈りつつ、明日から本格的に始動だ。


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2010年01月05日

新年明けましておめでとうございます


 09年、私は上海で大晦日を迎えた。30日に、お手伝えをさせていただいている某会社と中国のメーカーとの合弁意向確認書の調印式が行われた。私は中国と関わる仕事を始めてからかれこれ26年になるけれど、年末ぎりぎりまで中国への出張が入るのは今までになかったことだった。昨年と言えば、5月頃までには、いつものペースで日々を過ごしていたが、6月から急に、友人の紹介により、日本国内にある某メーカーさんの中国進出の相談案件が入り込んだために、7月以後は、国内出張は別として、月三回のペースで中国出張が入るようになり、その間に、いつもの仕事をこなしながら、疲れを感じる閑もなく、あっというまに一年が終わった。普段、私はどんなに忙しくとも時間に追われるのがいやで、いつの時も時間より先に先に行くことを心掛けるようにしている。そのせいなのか、さすがの私でも、元旦を終えたあたりから、身体が金縛り状態となり悲鳴を上げた。身体がまったく言うことを聞かない。二日と三日は、食事の時間以外は、ベッドに潜り込んだままで二日間過ごした、、、。そのお陰で、充電ができたのか、今はすっかり元気を取り戻すことができた。明日から、仕事始め。昨年は、私にとって、今までにない歴史的な出会いに恵まれた一年だった。皆様とのご縁を大切にしつつ、今年も邁進のみある。


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年12月07日

この青空がいつまでも続いてほしい


 この頃、車に乗ることをなるべく控えるようにしている。理由はいくつもあるけれど、中でも一番の理由は、少しでもいいから、自然の風に吹かれ、時には空を仰ぐ余裕くらいは持ちたいものだと考えているからである。数日前、少し夜遅めに帰ってきた大学受験を控えている末娘が、家に入るなり「お母さん、今日の星は大きくて綺麗よ」と言いつつ、私を庭に引っ張り出して、一緒に夜空を見上げた。「本当に綺麗。まるでダイアモンドがちりばめられているようね。明日はきっといいお天気になるよ」気温がかなり冷え込んでいるせいなのだろうか、空気が清々しい。星空の美しさに感涙しながら、家の中に戻ることを忘れかけた、、、、。

 ところで、中国からの来訪者の方々が「福岡の街が整然として空気が綺麗、空が青々として美しい」といつも異口同音に決まって仰る。当たり前のように空の美しさに慣れている福岡の住民にとって、お世辞にしか聞こえないかもしれないが、これは決してお世辞ではなく、皆さんの本心なのだ。なぜならば、中国では恐らく、北京や上海などの大都会では、美しい青空は滅多に見ることはできないからだ。いつもどんよりと曇っているようなすっきりしない空が殆どで、北京には空がないと言っても過言ではないほどなのだ。
 先日、いつもものように、天神を歩いていると、空の美しさに改めてはっとさせられた「ああ、これが中国の人達が仰っている美しさなのだ、この青空がいつまでも続きますように」と願わずにはいられなかった。


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年08月31日

表参道・パリのシャンゼリゼに勝らなくとも劣らず


 フランス・パリのシャンゼリゼって言えば、知らぬ人はいないだろう。私も何度か訪れたことがあるが、どこか無機質な超高層ビル群が聳え立つニューヨークとは違って、広い歩道が広がる通りに芸術的で統一された色彩の5階以下の低層建造物が並び建ち、それぞれの建造物にある由緒あるジュエリーのお店、バックのお店、画廊、化粧品や香水のお店、トレンディーな洋装店やカフェショップなどでは、世界中から集まってきているお客様でいつもあふれている。シャンゼリゼはいつ行っても楽しい場所なのだ。
 ところで、最近、心行くまで東京の表参道を散策するチャンスにあって、表参道の魅力にすっかりと虜になってしまった。狭い店が所狭しに並び、喧噪とする原宿とは打って変わって、美しい街路樹、広い通りの両側に広々とした高級ブランドのお店、個性豊かな専門店、おしゃれな茶館、レストランなどなど、しっとりとした大人のムードが漂う本当に素敵な場所で、銀座とはまた違った趣で、パリのシャンゼリゼに勝らなくとも劣らない、日本を代表する場所と言っても過言ではないだろう。そして、環境や売っているものだけではなくて、そこに日本人ならではの気の利いたサービスが加われば、世界中から集まってきている観光客を虜にするのは間違いなし。東京の良さを改めて認識させられた旅となった。

 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年08月24日

東京湾の景色・世界の人々を虜に(東京湾水上バス編)

 私は船に乗るのが大好き。広い海で風に吹かれると、心の中に沈殿している
すべてのものが一気に吹き飛ばされ、清々しい気持ちになれるからだ。ここ数年、仕事で度々上海に足を運んでいる。上海と言えば、北京や西安などの歴史の有る都市とは違って、三百年弱の歴史しかないので、これという観光名所はさほどない。
でも、いつ上海に行っても、中国国内からのみならず、世界中から実に多くの人が集まってきている。もちろん、大部分の人が上海に訪れられるその理由というのは恐らく観光というよりはビジネスが目的で、あるいはビジネスの「種」を見つけるためなのかもしれない。けれども、この頃、私は中国中を探しても上海ほど魔力のある都市はどこにもないと思う。上海にはいくつもの時代が混在していて、様々な顔をもつ街。超高層ビル群が立ち並ぶ近代的なストリートを少しでも裏路地に入ると、昔からの庶民的な民家がぎっしり建ち並び、薄暗いたばこ屋の入り口で眠りこけながら店番をするおばあさんの姿。高級デパートからは化粧品や香水の香りが漂い、街に出るとどこからもなく「白酒」と複雑な香辛料のにおいを風が運んでくる。喧噪とする雑踏、飛び交う様々な言語と人々のにおい、、、。中でも私は、夜の上海が大好き。もちろん、夜遊びをするという意味ではない。ライトアップされた夜の上海は、きれいにお化粧をし、きらきらと着飾ったレディーのように変貌しとても魅惑的になる。浦東と浦西の間を流れる黄浦江を遊覧するナイトクルーズに一度乗れば、だれもが上海の魔力にすっかりと取り憑かれてしまう。日本もそういうところに魅力がもっと産み出せるような都市整備に力を入れたらいいのにといつも考えていたくらいで。ところが、先日、娘達に連れられて、東京・浅草から水上バスに乗ってお台場まで行ったら、東京湾のすばらしさに本当に感涙した。今度、いつかもう一度心して遊覧してみたい、そうおもったほどだった。水上バスにははやり世界中からの観光客でいっぱい。話はかわるが、福岡でも博多湾を遊覧するクルーズ船が出ている。けれども、もっと多くの人々が利用したくなるような工夫と努力がほしいと思っているのは私だけなのだろうか。



  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年08月17日

超魅惑的な日本若者文化が世界の人々を虜に

 先日、二人の娘と親子水入らずの3泊4日の東京旅に行ってきた。これまでに、私は仕事で結構頻繁に上京している。けれども、今回の娘達との旅を通して、実は、私は東京のことについて何も知らなかったことに気づかされた。もちろん無理もないことである。だって、今までは仕事のために上京していたので、行動範囲と言えば、銀座界隈か早稲田大学の周辺か、はたまた霞か関のあたりか、そんな感じで、そのために、一度たりとも旅人になって東京見物をしたことがなかった。しかし、今回は娘達に連れられるがままに、浅草、お台場、原宿、竹下通り、表参道、新宿、六本木、上野周辺の美術館、ジブリ美術館などなど、足が棒になるほどに、四日間、東京をくまなく歩いた。原宿・竹下通りのことは、話には聞いていたが、しかし、やはり「百聞は一見にしかず」で、原宿・竹下通りは私の想像をはるかに超えるところだった。竹下通りの入り口に辿り着くと、テレビのまんまの世界が目に飛び込んできた。よくみてみると、日本人の若者のみならず、アニメに登場するキャラクターのコスプレ−を身に纏う世界の若者達であちらこちらに。なんだか楽しい。行き交う人々の会話をよく聞けば、イタリア語、スペイン語、フランス語、英語、中国語、韓国語、ロシア語などが飛び交う。まるで万国博覧会ようで、とにかく、人、人、人ばかりで、人を見に来たようなそんな気さえさせられる。狭い通りには、あらゆるスタイルの若者ファッションのお店がぎっしりと並び、どこのお店も買い物客であふれんばかりだった。そこには「不況」という文字は存在しない。日本の底力を見たような気がした。今、世界の若者達は、日本の若者文化に魅せられて東京に引き寄せられてきている。福岡もそのような地域になれる要素は十分にあると思うが、そのことをもっと真剣に考え、取り組んでゆく必要があるかもしれないと思わずにはいられなかった。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年07月20日

留学生・日本で忘れかけている大事なことを気づかせてくれた

 仕事の上で、私は海外からの日本で学んでいる留学生達と触れあうことが多い。
そして、彼らを通して気づかせてくれることも多くある。異文化と触れあうことは、まさに自国の文化を改め認識する絶好のチャンスなのだ。この間、第5回目の日本文化塾のわかものトークライブの時間に、ネパール出身の留学生OBが体験談を発表し、日本語のすごさに会場の人々を驚かした。スピーチ終了後、現役留学生から相次いで質問した。ある若者が「あなたは、日本にきて一番困ったことはなんでしたか」との質問に対して「ネパールは漢字圏ではないので、初めて見る漢字は記号にみえて、全然わかりませんでした。ですから、スーパーに買い物に行っても、調味料コーナーに並べられている、塩、砂糖、味の素の字が読めずに、砂糖だと思って買い、ずっと使っていたものが、実は味の素だったのです。甘くないので、最初は日本の砂糖は甘くなく美味しいんだと思って長い間食べ続けていたら、顔がだんだん黄色くなってきて、どうしたのだろうと病院に行って、診察してもらったら、味の素を食べ過ぎたということが判明して、大笑いされたことがありました」と答えられた時には、会場が爆笑の渦が巻いた。また、ある留学生が「あなたは、困難に直面し挫けそうになった時に、どのように乗り越えてきましたか」と尋ねた時、その留学生のOBは、数秒間考えた末こう答えられた「日本に留学すると決めたのは自分だし、自分の考えを理解し、大変な状況の中で、日本まで留学をさせてくれた両親の事を考えたら、親に感謝しなければならないと思って、どんなに辛くても、挫けてはならないと思いました」と答えられた時には、暖かい拍手が鳴り響いた。現代日本人が忘れかけていた大切なことを気づかせてくれたのだ。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年05月11日

茶祖・栄西禅師に思いをはせながら

 今年は例年になく、ゴールデンウィークは爽やかな晴天に恵まれ、正に五月晴れと呼ぶに相応しいお天気だ。久々の休み。山に出かけ、森林浴を楽しみながら、山菜採り。体にいっぱい酸素を吸い込めば、身も心も見る見るうちに元気になってくる。自然は本当に素晴らしい。都市の中心部からそう遠くないところに、青い海、そして美しい山々が点在し、なんとも贅沢なこと。福岡の住民であることが改めて嬉しく思った。

 ところで、先日、那珂川町から三ツ瀬峠を超える手前の成竹山付近の林道の道ばたで、野生の茶の木がたくさんあるのを見つけ驚いた。なぜそのような所に、お茶の木が生えているのか不思議に思ったが、しかし、よくよく考えてみたら、そのあたりは、日本、お茶の発祥の地であることを思い出した。皆様ご存じのように、今から約八百年前に栄西禅師が宋から茶種を日本に持ち帰って、最初に植えた場所が背振山。もちろん、それ以前に日本にお茶がなかったわけではなく、古く奈良時代には既にお茶が存在し、貴族の間ではお茶を楽しむ習慣もあったらしい。ただ、栄西禅師が茶種を九州の背振山に植えたことにより、お茶は一般の庶民の間でも広く飲まれるようになったのだという。
 実は、私が見つけた野生のお茶の木にはみずみずしい新芽がたくさんつけてあった。三匹の子豚に出てくる少女ではないが、お花ではなく、私はお茶摘みに夢中になっていた。早速、摘んで帰って来たお茶の新芽を、以前、中国のお茶の産地・杭州でお茶を鉄なべて煎りっているところを思い出しつつ、家にあった鉄なべてで手で揉みながら煎りってみた。祈りを込めて。するとお茶らしき形になったのではないか。早速、一つまみをティーポットに、沸騰したお湯を入れて待つこと一分。高貴で瑞々しい香りがするお茶がポットいっぱいに広がる。お茶の種を持ち帰ってきてくださった栄西禅師に思いをはせながら、お茶を美味しくいただいた。自然の恵みに感謝。

     


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年04月27日

青木麗子の「中国風大地」をご愛顧いただいている皆様へ

皆様、いつも青木麗子のブログをご愛読いただき、ありがとうございます。

 お陰様で、青木麗子のブログ「中国風大地」は3年になろうとしています。
 この間、日本国内のみならず、中国国内においても多くの方々から愛読していただき、多方面にわたってリンクされ、「中国風大地」のファンの大きな輪が形成されているようです。

 そして、中国人愛読者の皆様からは「日本語がわからない一般の中国の人々にも読んでほしいから」と言って、私のブログを自力で中国語に翻訳し、中国語版・青木麗子の「中国風大地」もできているのです。中国の著名なさるサーバー百度で青木麗子を打ち込んでいただきますと、中国語でも読んでいただけることになっていますよ。本当にありがたき幸せなことです。

 ところで、青木麗子の「中国風大地」が四年目を迎えることに当たり、ブログのネーミングを青木麗子「大地の夜明け」と改めて、5月からは気分一新して、中国情報を皆様にお届けしたいと思っています。どうぞ、ご期待くださいませ。

      


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2009年01月05日

ピンチはチャンス

 新年あけましておめでとうございます。

 皆様、昨年はどのような一年だったのでしょうか。
 私は、お陰様で、昨年は変化が多く大変充実した一年を送らせていただきました。
福岡県留学生サポートセンター長就任、鑑真プロジェクトの実現、福岡県知事に随行して初めて台湾を公式訪問、どれを取り上げても生涯忘れることのできない歴史的な思い出となりました。
 また、昨年は、「青木麗子の中国風大地」をご愛顧いただき、ありがとうございました。私の拙いブログが、皆様の中国事情に対するご理解を深める上の一助にでもなれたのなら、これほど嬉しいことはありません。今年も、刻々変わりゆく中国のナマの情報を皆様にお届けすることができますよう、努力を重ねて参りたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 さて、昨年の9月にアメリカのリーマンブラザーズショック以来、欧米のみならず、その激震は広くアジア地域にも及んできています。もちろん中国も論外ではありません。世界中が今ピンチに立たされ、人々は不況ムードに押しつぶされ、意気消沈しつつ,明日への不安を抱えたまま、新しい一年を迎えたに違い有りません。しかし、私が思うに、こういう時だからこそ、しっかりと希望と夢、そして勇気をもって立ち向かって行く必要があると思うのです。
 人の生命だって、絶望をした時にすべてが終わるというのですから、元気を出して、頑張っていきましょう。
 
 ピンチはチャンスをモットーに。




  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2008年04月21日

北京オリンピックの成功なくしてアジアの未来はなし(1)

 8月8日、北京オリンピックの開幕までいよいよ分刻みとなってきた。北京では有史以来、中国で初めて開催される世界平和の祭典・オリンピックを成功させるべく、国家総力を揚げて様々なことに取り組んでいる。中国の人々達がなぜこれほどまでに、オリンピックに執着するのか。実は、中国が1949年に中華人民共和国が成立して以後、初めてオリンピックに選手を派遣したのが52年にフィンランドのヘルシンキで開催された第15回オリンピックだった。けれど、その当時、終戦間もない時期でもあったため、中国は数名の水泳選手を派遣しただけで、もちろんメダルところではなかった。しかも、それ以後、政治情勢の影響を受けて、79年11月に国際オリンピック委員会における議席を取り戻すまでに、実はオリンピックに参加する事ができなかったのであった。
 北京オリンピック、まさに13億の中国の人々の夢なのである。それと同時に私はアジアの人々の共通の夢でもあると思える心を持ちたいと思う。21世紀はアジア太平洋の時代だと言われているが、北京オリンピックの成功なくして、アジア太平洋の時代もやってこないのではないかと考える。みんなで選んだ北京オリンピック。必死に練習を積み重ね、オリンピックを目指している選手の皆さんのことを思えば、たとえ、中国国内の政策に「非」があったとしても、まずは、みんなの協力によってオリンピックを成功に導いていくことが「人」として選ぶべく道なのではないのだろうか。ところで、ここまできて、今、チベット騒動が発端となり、聖火リレーも円滑にバットンタッチがでないほどに、世界各地でデモや暴動が起きているのをみて、胸が痛み苦々しく思っているのは私だけではないはず。26日には日本の長野で聖火リレーが行われる予定となっている。せめて隣国である日本での聖火リレーがスムーズに行われることを心から期待したい。



※次回掲載は、4/28(月)を予定しております。    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)青木麗子の日々

2008年03月31日

青木麗子同時通訳チームがついに産声を上げた

 今の青木麗子は、どちらかと言えば、日中ビジネスコンサルタントのイメージの方が
強いのではないかと思う。しかし、青木麗子は1985年から今日に至るまでずっと通訳の
仕事をさせていただいてきたのである。中国の国家要人来福時のメイン通訳、国際会議や
ビジネス商談などなどの通訳を仰せつかるチャンスに恵まれた。私は、言葉を介して、
人と人を繋ぐこの仕事が大好きで、神様に与えられた天職のようにも思える。

 ところで、今まで無我夢中で走ってきたが、気がつけば私ももう少しの所で50才に
手が届きそうな年齢を迎えた。そろそろ、福岡のためにも後輩を育てなければと
しみじみと思う今日この頃なのである。中でもこの福岡の地でどこにでも通用する
一流の同時通訳チームを育てることが私の長年来の夢であった。
同時通訳は通常の逐次通訳とは違って、チームワークなので、通訳のレベルはもとより、
仕事をより円滑に進めるためには、通訳同士の信頼感も非常に重要な要素となる。

 実は昨年の秋、九州大学法学研究院で「日中公法学シンポジウム」が開かれたが、
会議は同時通訳スタイルで進められた。実は九州大学法学研究院からのご依頼により、
青木麗子同時通訳チーム(5名)で、日中双方で12名の先生の皆様方の論文発表の
通訳を担当させていただいた。

 原稿などの入手が思ったより手間取ったらしく、準備や打ち合わせの時間が
十分にとれなかったので、最初はどうなるかと心配で眠れない日々が続いたが、
みんなが心を一つにし、助け合いながら一生懸命に取り組んだ結果、大任を立派に
果たすことができたのではないかと思う。このような素晴らしいチャンスを
与えてくださった九大法学院の先生の皆様方に改めて感謝。




※次回掲載は、4/7(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2008年01月14日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part-last

 そして、私が最も感心したことはロシアの少子高齢化対策であった。日本と同じように

少子高齢化に悩むロシアは今、女性が一人子供を出産したら、育児支援金として約一万ド

ルが一度に支給され、しかも、生まれてきた子供が七歳になるまで、企業はその母親を解

雇する事は法律で禁じられているという。このように思い切った少子化対策が取られてい

るというのだ。ちなみに、退職者の一ヶ月の生活費が大体300ドルくらいというのだから、

一万ドルは大金である。しかも、職業も保証されているので、女性は安心して育児ができ

る。そのためにここ数年出生率も著しく上昇しているという。

 また、アメリカとのやり取りを始めとする外交の面においても実に堂々たる態度で臨ん

でいるプーチン大統領は、国民からの支持率は今も65%台をキープしているのだという。そ

して、次の選挙では首相のポストに付き、その後に再び大統領に返り咲くかもしれないと

いうのであった。




※次回掲載は、1/21(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)青木麗子の日々

2008年01月07日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part11

 わずか一週間という短いロシアの滞在だったけれど、ガイドさんを通して、実に多くの

事を学んだ。距離的にはやや遠い国なのだけれど、ロシアへ行ってみて、いろいろな

意味でロシアはとても近い国のように思えた。それもそのはず、江戸時代に、中国、

朝鮮をのぞいて、日本人が訪問し、その国の文化を最初に持って帰った最初の国はロシア。

日本に開国するように、使節を送ってきた最初の国もロシア。ピョートル大帝の改革は政

治維新の指導者に大きな影響を与えという。他方、ロシア人も江戸時代から日本の文化

に強く惹かれ、日本語の勉強も盛んだったというし、文化の面における相互の影響もかなり

大きかったという。そして、今でもサンクトペテルブルグ大学では日本語と日本文学の研究

が盛んで、プーチン大統領の娘さんもその大学で日本語を学んでおられるというくらい、

実は日本とロシアの関係は深いということがわかった。




※次回掲載は、1/14(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)青木麗子の日々

2007年12月31日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part10

 三日間のモスクワの滞在の中で、私が最も驚いたのは、なんといってもプーチン大統領

たちが現に執務をしておられるクレムリンが、政治が行われている場所以外はすべて観光

客に開放していることだった。北京に有る中央政府の要人たちが執務されている「中南海」

は未だに高い塀に囲まれ、その上に、厳重な警備体制が敷かれ、一般の人々はその中をの

ぞくことはまったくできない。


 また、かつてのロシアは国民の犠牲の上に成り立っていたため、後に壮絶な革命期を経

て今日のロシアへと続くのだけれど、しかし、帝政ロシア時代の豊かな文化遺産が壊され

る事なく、ほぼ完全な形のままで保存されているということにも驚いた。1960年代の後半

から約10年間続いた文化大革命によって、中国では、実に甚大なる貴重な文化遺産が壊滅

的に失われたということはご周知のとおり。そして、百年もの近い歴史をもつモスクワの

地下鉄の立派さ、また市内を走る便利な路面電車の充実さが、いずれも、豊かな経済発展

時期を経てきた国を物語っていた。




※次回掲載は、1/7(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月24日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part9

 よく考えてみたら、私が幼い頃に、ロシア文学をこよなく愛していた母が、よくロシア

のことについて語ってくれていた。レニングラード、赤の広場、ソフィア大聖堂、ペチェルス

カヤ大修道院、プーシキン、ゴーリキ、チャイコフスキー、などなど、意味も分からない

ままに、単語だけは記憶深く刻まれていたのだった。そして、私の記憶の中に有るモスク

ワはなぜかいつも寒い冬で、雪が降る中、分厚いロングスカートに、ストールを頭から巻

き、鳩に餌をやるお婆さんの姿と飢えに苦しみ、悲しい表情をする少女の姿だった。


 しかし、私が佇んでいる赤の広場に続くプーシキン大通りは、燦々と輝く太陽に下にあ

った。そして道には長蛇の車の列が続き、大通りの両側にはブランド品のお店がずらりと

並び、行き交う人々は流行の最先端を行くファッションを身に纏い、楽しそうにおしゃべ

りをしながら買い物を楽しんでいた。広場にはものすごい音を出しながら、ロックバンド

の演奏に大勢の若者達が群がっていた。ここはロンドンか、それともパリなのか、そんな

錯覚さえ覚える光景に私は自分がいるところがロシアであることすら忘れそうになってい

た。




※次回掲載は、12/31(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月17日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part8

 今回、私がロシアを訪れたのはいくつもの目的があった。一つには、悠久なる歴史を持

ち、数百年も続いた輝かしいロマノフ王朝がなぜ没落したのか。また、革命後、封建社会

が倒され共産主義社会となった旧ソ連がなぜ崩壊したのか。そして、今は自由で民主主義

社会となったロシアという国の実態がどうなっているのかをどうしても自分の目で見てみ

たかった。それから、もう一つの目的は、サンクトペテルブルグにあるマリンスキー劇場

でバレェ・白鳥の湖を見ること、チャイコフスキー音楽堂で、ピアノコンチェルト一番を

一度聞いてみたいと思っていた。時間の都合上、チャイコフスキー音楽堂で、ピアノコン

チェルト一番を聞く事は叶わなかったけれど、バレェ・白鳥の湖を心行くまで楽しむこと

ができたのは、実に至福であった。


 サンクトペテルブルグに四泊した後、モスクワへ飛んだ。川沿いに建つ木造城塞にすぎ

なかったというモスクワのクレムリンに、数々の金色に輝くドームを持つ聖堂群が誕生し

たのは十五世紀のイヴァン3世時代という。そして、ロシアの歴史は、そこで王冠を授か

る皇帝たちに揺り動かされた。赤の広場は、時に戦場となり、数々の事件の舞台となった。

この二つの歴史遺産を目の当たりにして、激しく渦巻くロシアの歴史のシーンが脳裏に去

来し、始めて訪れたはずなのに、なぜか懐かしく思えて胸が熱くなるのだった。




※次回掲載は、12/24(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月10日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part7

 ピョートル大帝は、当時のフランスを始めとするヨーロッパに強く憧れ、多くの芸術家

をヨーロッパに派遣し、建築、絵画などを学ばせただけではなく、自らもフランスやドイ

ツ、オランダなどに渡って、長い歳月を掛けて様々なことについて学び、学ばれた事を都

市建設や宮殿などの造営に活かされたというので、その知的好奇心の旺盛さに驚かずには

いられなかった。


 私が一番に感銘を受けたのがピョートル宮殿の庭園に作られた噴水の数々であった。フ

ランスのベルサイユ宮殿を模倣して作られたという、豪華絢爛なピョートル宮殿もさりな

がら、しかし、私の心を強く引きつけて離さなかったのは、宮殿の裏にある庭園だった。

この庭園は広大な敷地内に、森、花、彫刻、噴水がいたる所に散りばめられていて、特に

壮観なのは、いうまでもなくフィンランド湾に注ぐ噴水である。しかも、それらの噴

水にはポンプや電気などの力は一切使われておらず、水力学のみを駆使して作られている

という。





※次回掲載は、12/17(月)を予定しております。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々