中国の今を知る、中国の未来を読む。

  

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2012年01月23日

今日は華人世界のお正月・春節



 今日は華人世界の伝統的なお正月・春節だ。昨夜あたりから中国各地で爆竹の花が咲き乱れ、どこの地域もものすごい賑わいを見せているのだろう。皆様ご存知のように、中国では60年代の文化大革命に加え、80年代以後は経済発展を最優先してきたため、伝統文化が殆ど姿を消しつつある。でも、その中で、がんとして変わる事なく、今でも大事に守られてきたのが春節と秋の中秋節ではないかと思う。特に春節は華人達にとって格別な意味を持つお祝い事。華人世界では春節を迎える為に一年があると言っても過言ではない。春節直前に成ると故郷を離れて出稼ぎに行っている人たちは、一年で稼いたお金と抱えきれないほどのお土産を背負って故郷へと急ぐ。今年は23日がお正月なため、1月20日頃から約一ヶ月間は「春運期間」と呼ばれ、その期間中に移動する人は延べ30億人に達するのだという。どこへ行っても人人人ばかりなのだ。一月末までは中国に行かれるご予定のある方はとにかく交通の混雑を覚悟して行かなければならない。ところで、今年は日中国交回復40周年、福岡県と江蘇省が友好提携20周年の年。これを契機に日中両国は大人の関係を構築してほしいと心から願う。
その為には、利益の衝突が伴う経済交流ばかりではなく、お互いの国でどんな映画と文学が流行っているのか、そのようなレベルの交流がきわめて大事なことだと思っている今日このごろなのである。


  


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2011年10月24日

中国江蘇省淮安市の発展に感動


 9月後半から今日まで、ほぼ毎週のように中国に出張している。ジェット機で上海に出勤しているに等しい。そして、先週は、中国江蘇省淮安市を訪れた。淮安市は江蘇省の北部にある街で、南船北馬という言葉はそこから始まっているらしく、淮安市を境目に、南側に行くときは船で、北部に行くときは馬で行っていたから、その言葉ができたのだという。ところで、周恩来さんは殆どの日本人は知っていると思うが、淮安市は周恩来さんの故郷として有名なのだ。私は5年前にも行ったことがあるが、その時は本当にまだまだ田舎街で、南京とは相当の開きがあるなという印象だった。ところで、今回行ってみて、あまりの変貌振りに本当に驚いた。市内には高層マンション群が立ち並び、大きなデパート、国家級の大規模な工業団地も完成されて、外資系企業が多く進出し、海外から戻られた留学生のベンチャー企業が育って、経済が急速に発展していた。今では江蘇省北部の中心都市として位置づけられているのだそうだ。そして、私が最も感動したのは、経済の発展ばかりではなく、淮安市は、開発と共に古い文化や自然をとても大切にされていることだった。古い町並みが保存され、緑化も進み、立派な淮揚料理文化博物館が都市のど真ん中に鎮座していた。それからもう一つ感動したことがあった。周恩来記念館で1965年に松本治一郎さんが周恩来さんに送られた博多織のテーブルクロスが大事に陳列されていた。

 

 

  


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2011年10月10日

中国・辛亥革命100年を記念する



 10月9日、正に辛亥革命百周年という記念すべき前夜。中国大陸において人民大会堂で、胡錦濤主席など国家要人が勢揃いする中に、大規模な記念行事が行われた。「中華民族の偉大なる復興」を何度も強調された。そして、北京、上海広州、香港などのメディアも挙って記念番組を放送した。昨晩、私は上海テレビの要請を受けて、上海テレビが制作した「辛亥往事」という特別番組にゲストコメンテーターとして出演させていただいた。孫文先生と九州の関係、孫文先生と宮崎滔天さんや梅屋庄吉さんとの友情を説きながら、孫文先生の日本亡命が後の辛亥革命にどのような影響を及ぼしたのかについて、浅はかながら述べさせていただいた。テレビ出演、それ自体は大したことではない。けれども、よく考えてみれば、極めて敏感な中国の歴史を語る番組に日本人である私を呼んで、自由に語らせたということがとても貴重なことだったのではないかと思った。はやり、中国も変化してきたのかなとつよく感じた次第である。100年先を見た男・孫文先生の政治理念・大アジア主義、三民主義(民族、民権、民生)が、これから中国大陸で活かされることができれば、孫文先生の達の犠牲も報われるのではないか。それこそが日中を結ぶ揺るぎない絆だと、番組に出演して改めて思った。上海テレビの皆さんに改めて心から深く感謝したい。



  


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2011年08月01日

ヘルメットかぶって新幹線に乗る

 7月23日、中国温州で鉄道事故が起きた。鉄道事故そのものは決して珍しいことではないと思うが、世界の人々を驚かしたのは事故そのものではなく、その後の事故処理なのではないだろうか。事故列車をさっさとつぶし埋めてしまう。さすがの私もその行動にはド肝が抜かれた。なぜあのようなことができるのか、どう考えても解せない。中国経済はこの5年間で歴史未曾有の発展を成し遂げられている。僅か3年の間に北京オリンピックと上海万博を開催し、世界一高いビルディング、世界一長い橋などが次々と完成され、7月1日にはついに、時速350キロの高速鉄道が開通した。正式開通の数日前には、ものすごい数の国内外のメディア関係者を招聘し、試乗会が華々しく行われた。高速鉄道の開通、正に中国の未来を象徴する出来事であり、筆者も中国の友人と共にその事を喜んだ。しかし、一ヶ月も立たない内にそのような惨事が起きるは誰が予測したのだろうか。ハードインフラの整備ばかり重視するのではなく、ソフトインフラの整備こそが求められているのではないだろうか。



  


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2011年07月11日

医食同源—中国から来た言葉



 この頃、中国に行くと食の安全問題を取り上げられている報道が目立つ。つい最近、上海から戻るフライトの中で、私が好きでよく読んでいる「生命時報」を手に取って見たら、一面に「添加剤の包囲網に陥る子ども達」のタイトルがどかどかと出ているのを見つけた。更に読むと「着色料、防腐剤などの添加剤は骨、知力、肝臓、腎臓、神経を犯す」云々。中国当局がスナック菓子の安全性調査に乗り出したことを特集で報道されている。記事を読みながら私は大きなショックを受けながらも、自分たちが子どもだった頃、よく通っていた街の駄菓子屋さんの事を思い出した。様々に色のあめ玉、綺麗な色をしたジュースの粉、子ども達でも買える手頃な値段、買いやすい場所にあった。日本もいつかは通ってきた道なのだが、、、。

 報道の内容によれば、街で売られているブラジルスタイルのシシカバブーの肉も本物ではなく人工で作られたものが多いのだという。子ども達が好んで買って食べているスナック菓子も15%程度のものが食品の安全性に問題があるのだということで、今大きな社会問題となってきている。

 ご存じのように、中国も経済の発展に伴い、コンビニが至る所にでき、子ども達が簡単に買い食いできる環境にある。しかも、中国では日本とは違って、給食制度を導入している学校が少なく、殆どの子ども達は昼食を自宅に戻って取るか、或いは街に出て簡単なインスタント食品を買って済ませるか、いずれかの方法がとられているようである。このライフスタイルをどうにか改善しなければ、子ども達を守ることはとても難しい。しかし、いにしえから、中国の人々は不老長寿を追い求め、薬草などの漢方薬を日常の食事に取り入れられてきた。「医食同源」正に中国から来た言葉なのだ。けれども、今日の中国では豊になるにつれて、利便性を重んじるライフスタイルにシフトし、伝統的な考え「医食同源」という言葉が死語になりつつあるのか、深く考えさせられた。日中両国民の健康の為にも「医食同源」をテーマとする日中間で取り組むことを切に願う。


 

  


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2011年07月05日

悠久なる歴史の重慶が今生まれ変わろうとしている


 6月上旬頃、福岡九州経済ミッションが重慶市を訪問した。重慶市、日本人にとって馴染み深い地名である。けれども、日本人の頭の中にある重慶市と現在の重慶市とは大きな開きがあるはずに違いない。日本人の頭にある重慶市のイメージは恐らく二通りあるのではないかと思う。一つは、歴史的な重慶。巴蜀文化発祥の地として、紀元前11世紀頃に巴国の首都が置かれたこと、また、隋の時代、宋の時代など、いくつもの時代において、重慶はいずれも歴史的重要な役割を果たして場所であった。もう一つは、中央直轄市としての重慶。1937 年には国民政府の機能を重慶市に移したが、1949年に新中国が誕生した時に重慶市は中央直轄市として指定されることになる。けれども、1954年に諸般の事情によって、重慶市は四川省管轄下に置かれた。しかし、時代を経て、重慶市は1997に再び全国で4番目の中央直轄市に返り咲いた。
 2007年、胡錦濤総書記が重慶市を視察された際、重慶市は西部地域における重要な成長の核、長江上流域地区の経済の中心、都市と農村の発展が調和の取れた直轄市として位置づけられて以来、薄凞來書記のリーダーシップの下に、重慶市は大きな発展を成し遂げられている。今、重慶に進出している日系企業は120社前後、在留法人数も350名程度と聞くが、2010年には両江新区(工業団地に類似)が完成。そのことにより、悠久なる歴史の重慶が今発展する近代大都市として生まれ変わろうとしている。ところで、重慶市の名称の由来を知っておられる人も少ないと思うので、付け加えておきたい。1189年に南宋皇帝孝宋の第3子が恭州(後の重慶)の藩王に封じられ、また同年に帝位も譲られるという二重の慶事があったことから、それを記念するために、恭州を「重慶」へと改称したのだという。

  


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2011年06月13日

食育・中国でも話題に

 中国に出張し街を歩くと丸々と太った児童達をよく見かける。中国の都会の子ども達はみんな色白でぷるんぷるん。本当に可愛い。しかし、5、6年前から中国では肥満児の増加し、小児糖尿病も大きな社会問題となってきているようだ。どうも、今中国には肥満児が1200万人を超え、北京などの大都会では20%の児童が肥満児だという。ご存じのように、中国では夫婦共働きが当たり前で、その為に、子育てはおじいちゃんとおばあちゃんに任せているケースが多い。いつの世も、おじいちゃんとおばあちゃんは可愛い孫に弱い。スナック菓子、ジュースにアイスクリーム。そして、経済の成長に伴い、マクドナルドなどのファーストフードのお店が街の至る所に出来ている。中国のおじいちゃんとおばあちゃん達も、時代の波に乗り遅れまいと孫達とファーストフードを食べることが格好いいと思っているようだ。ところで、ここまできて、肥満児問題を放置してはならないと中国でも様々な対策が取られているようだ。
夏休みになるとダイエットキャンプが大流行。もちろん、それだけでは根本的な問題解決にならないということを認識し始めたようで、多くの学校で日本式の食育を取り入れようと話題になっていると聴いた。日本では給食を通して、子ども達に対する食べることの大切さを教えていること、日本では、知育、徳育、体育と並んで食育が大事にされているということを伝えられているようだ。子ども達の健康。世界共通の重要な問題。食育を通して日中間の相互交流が増えることを心から願う。



  


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2011年06月06日

美容部員・中国ではイケメンが流行?



 90年代以後、中国経済が本格的な成長期に突入してから、中国の女性達のおしゃれとファッションに対する関心がどんどん高まった来た。最初の頃は、ファッションも、お化粧もとても洗練されているとは言えない状態にあったけれど、北京オリンピックを前後にして、その様子が一変した。今の中国の女性達のファッションのコーディネートもさりながら、お化粧も中々道に入って、とても美しい。中国の女性はおしゃれが下手という言葉はもはや死語に等しい。北京オリンピック開催が決まった年あたりから、中国市場を狙って、世界中のファッションデザイナーに化粧品メーカー、そしてファッション雑誌等々が挙って中国に進出した。上海のデパートに行けば、化粧品売り場では、様々な化粧品メーカーが勢揃いしている。ところで、この頃に気づいた事がある。日本では美容部員と言えば、綺麗にお化粧をした美しい女性がお決まりなのだけれど、上海の化粧品売り場では、女性の美容部員よりも若い男性の美容部員の方が目立つ。しかも、背が高くてみんな韓流スターのようにイケメン。彼らにメークしてもらったら、世の女性達もお財布の紐が一気に緩んでしまうだろうね。この流行、日本に輸入したら、日本経済も元気になるかもね。
 

  


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2011年04月25日

中国の大地を駆け巡って



 4月16日、山東省の濰坊市に招かれて 国際凧揚げ大会に参加した。経済発展最優先の中国にも、28年間、地道に悠久なる伝統と歴史を持つ凧揚げ大会を
継続してこられた地域があるということに感動した。第28回目となる凧揚げ大会には中国国内外から約一万人が参加した。毎年日本からも大勢の凧揚げマニアが参加されているというが、今年は震災の影響を受けてか、参加者が少なかったようだ。
ほんの2日間の滞在だったが、濰坊市の訪問を通して、今中国の内陸地に新興都市がどんどん誕生し、そして、それらの新興都市が確実に成長してきているということを実感した。
 濰坊市の後に煙台・蓬莱市にへも足を伸ばした。ご存じのように、山東省は中国の一大リンゴ・ナシ、サンザシなどの果物の生産地で、広大な大地、行けども行けども果物畑と小麦畑が気が遠くなるほどに続ている。これから、中国は2020年に向けて農村の都市化が急ピッチで進められ、若者の農業離れと農村の高齢化は避けて通ることができない課題。しかし、14億人近い人口を抱える中国は、農産物を輸入に依存することは極めて非現実で自給率を確保して行く中での農村の都市化を模索しない道はないと思うのは私だけではないはずだ。この意味においても、日本の経験とノウハウ、そして技術が極めて重要な価値をもっていると思うし、大きな交流のポテンシャルを持っているに違いない。中国大地を駆け巡りながら、そう思わずにはいられなかった。

  


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2010年11月29日

上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 3


 北京オリンピック、上海万博、いわゆる中国が威信をかけて取り組んできた歴史に残るビックイベントが無事に終えられ、ある意味に於いて、1979年に改革開放政策を実施してから30年以上になるが、これまでは経済発展最優先に取り組んできた中国にとって、本当意味の国づくりがこれから始まると言ってもいいのではないかと思う。
 都市と農村、沿岸地域と内陸部、都市部においてもいわゆる勝ち組と負け組の格差がどんどん深刻化するなかで、胡錦濤政権は、ついに抜本的な改革着手。2006年2は農業税の全面撤廃。更には全民義務教育も憲法に盛り込んだ。中国の総人口は13億人なのだが、高校以上の教育を受けている人口が20%に満たない。80%以上の人口が中学レベルの教育かそれ以下の教育しか受けていない。これが世界の工場として成り立つ訳でもあり、様々な社会問題を生み出している最大の原因でもあるのだ。しかし、これで10年後には教育構造が大きく変わることになるので、それに伴い社会構造も大きく変わることになる。現在の都市人口と農村人口の構造が逆転する。そうなれば、都市建設も必要に迫れるので、中国経済の発展は自ずと続くことになる。
    


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2010年11月22日

上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 2


 「ロレックスあるある。ヴイトンバックあるあるよ」獲物を狙う人々の目が野望に充ち満ちた不夜城のネオンと共に怪しく光る。もう慣れた光景なはずなのに、しかし、いつきても裏切られることなく、上海はある意味で刺激的なのである。
 天にも届きそうなビル群の傍らに、数えられそうにもないほどの数の大型バスで埋め尽くす上海万博会場の駐車場、どこからどもなく洪水の如く湧いてくる、人、人、人の群れ。何を追い求め、何を目指しているのか、万博会場は人の海と化した。5月1日から10月31までの半年間、7000万人の入場者目標数。見事にクリアした。
2008年、豪雪災害、チベット暴動、そして四川大地震、リーマンショックなどなど、中国歴史が始まって以来の度重なる災害と事件に見舞われながらも、見事に克服し、国家の威信をかけた北京オリンピック、上海万博を成功裏に導いた。それを受けて、2003 年から2008年の5年間だけでGDPは三倍増となった。今年は日本のGDPを追い越し、アメリカに次ぐ世界の第二の経済大国となった。そして、2012年には、胡錦濤政権から習近平体制に移行することがほぼ決まった中国だが、、、。
  


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2010年11月15日

上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 1


 2010年10月31日、上海万博が閉幕する歴史的瞬間に、私は上海一の繁華街・南京東路に佇んでいた。地元の人間は殆ど行かないけれど、南京路は地方や海外からのお上りさんでいつも溢れかえっている。生きている内に一度は北京の万里の長城に登ってみたい、或いは上海の南京路に行ってみたい、中国人なら万人に共通する夢なのだ。南京路の歩行者天国のベンチに腰を下ろし、私は、当てもなく、行き交う人々の群れを眺めながら、20年前の上海のこの場所の面影に引きずり込まれるのだった。目を閉じれば、カビの臭いがしてきそうな古ぼけた昔の上海の街の姿がぼんやりと目に思い浮かんでくる。万国の国旗のように、家々の窓から外に突き出す洗濯物を干す竿。まるで万国の国旗のようである。一階はお店、二階が住居。夜になると街灯も乏しくあたりが薄暗い。自転車が眩しくないようにと、車も殆どライトを付けずに走っていた。外国人が行く観光スポットと言えば、昔のお金持ちだった人のお屋敷・豫園かバンドしかなかった、、、、、。もちろん、浦東あたりはまだ古い民家か畑ばかりだった。
  


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2010年11月01日

中国・上海万博を経て・名実共に大国として成長してほしい


 10月31日朝、私は上海から福岡に戻るべく市内からタクシーに乗り、浦東空港に向かった。日曜日だったので、都市高も普段の慢性渋滞から開放され、道路はかなり空いているものと踏んでぎりぎり時間で出発をしたら、都市高に乗った途端、車が長い列で繋がり、全然動かないのではない。交通事故でも起きたのかも思ったが、しかし、雰囲気が違うことに気がついた。そうだ、半年も続き、世界中の人々の目を一点に引き寄せていた上海万博が31日で幕を閉じることになっているのだ。中国の国家要人が閉幕式に参加するために、続々と万博会場に向かっている。そのために、都市高が通行止めになっているのだ。困ったことになった。ドライバーも焦りだした。しかし、逃げ道はない。とにかく一刻も早く通行止めが解除されること願うしかなかった。願いが通じたのか、10分ほどで車が動き出した。あーー、やれやれ、胸をなで下ろした。
 80年代から続いて改革開放政策により、中国経済は飛躍的に発展し、2008年には北京オリンピック、そして今年は上海万博を大きなジャンプボートとして、中国経済は日本を追い抜き、ついに世界第二の経済大国の地位を獲得した。上海万博閉幕の前夜に、上海にいる中国人の友人達と食事をしながら、中国談義をしていたら、弁護士をしている中国の友人が「これで、中国も数字や量的だけではなく、名実共に大国と呼ぶのに相応しい品位ある国として、成長していかなければならない。しかし、その道程は果てしなく長い。謙虚かつ真摯に日本の社会制度について学ぶべき時がきていると思う」と、熱く語られたことが印象的だった。私もまったくその通りだと思う。そのことを実現させるためにも、両国の政治関係が一刻も早く健全な関係になることだ何よりも大事である。

  


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2010年09月27日

Part 6 人づくりは国づくり

 発展する中国の足かせとなっているのが国民の教育問題。今13億の人口を抱え込んでいますが、実は13億人の中で、中学レベルの教育しか受けていない人口がなんと総人口の9割を占めている。中国が世界の工場として成り立っているのもここに起因している。つまり、頭脳労働ではなく単純労働に従事する人がたくさんいるからだ。教育構造、これは正に中国の人口構造を反映している問題で、前にも述べているように今中国の8割を超える人口が農村に住んでおり、経済力が乏しいために子供達は中々教育を十分に受けさせられるだけの環境になかった。でも、胡錦濤政権は2年前についに、全民義務教育化(今までは真の義務教育制度にはなっていなかった)も憲法に盛り込んだ。しかも、貧しい農村の子供達一人一人がちゃんと教育を受けられるように、町にある学校に通えるようにと、交通費・寄宿費も支給されることに。人づくりは国づくり、この制度が続ければ、10年後には、中国全体の教育水準が大幅に引き揚げられることになる。教育制度が変われば、中国の青写真も大きく塗り替えられることになる。
  


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2010年09月20日

Part 5 2020年・都市人口が倍増計画

 今、深刻な貧富の差を生み出している大きな要因の一つとなっている農村人口。実は中国の総人口の8割が現金収入が少ない農村人口だ。中国では日本とは違って、農民は勝手に都市に移り住むことは許されていない。例え都会に出稼ぎに行っても戸籍を移すことができないので、農民工達は都会に出ても単純労働に就くことしかできない。農村の若者達が農村を脱するするためには必死に勉強し大学に入る以外に道はなかった。農村は貧しい、農村は汚い。農民は下等公民。中国において長い歴史の中で多くの中国国民の頭の中に根強く潜む意識だと言っても過言ではない。でも、胡錦濤が率いる中国政府は、2600年も続いた農業税(人頭税) もついに撤廃し、これまでに誰も手が出せなかったいわゆる三農問題(農村、農民、農業)解決に乗り出した。2020年には今の都市人口を倍増する計画を策定し、実現に向けて様々なことに取り組み始めたようだ。そうなれば、新たに増える都市人口のために、住宅、学校、病院、ショッピングセンター、道路、上下水道などなどの建設が必要不可欠となり、新たに膨大な雇用も創出されることになるので、いわゆる負け組の部類に入れられていたこれらの人々の生活もよりよい方向に改善されることになる。人間というものは、自分がおかれている現状が少しでもよい方向に、明日が更によくなるという希望が見えれば、わざわざ暴動を起こして政府を転覆させるようなエネルギーは生まれてこない。そう考えるのが自然体ではないかと思うのは私だけなのだろうか。

 
  


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2010年09月13日

Part 4「中国経済」もちろんバラ色一色という訳ではない

しかし、それでも私はあまり悲観的には見ていない

 ところで、中国経済はバラ色一色というわけでもないということも指摘しておきたい。不動産バブルは臨界点に近い危険水域までに達しており、第2のサムプライムローンにもなりかねない状況にあるし、食品の安全問題、環境問題も深刻だ。そして、社会主義政治体制のままで、市場経済の続行にも限界が来しており、政経矛盾が激しく中国を揺さぶっているという現実を抱え込んでいるということも否めない。上海万博が終われば、中国バブルが弾けて経済が失速すると見る人も多い。しかし、私は必ずしもそう悲観的には見ていない。なぜならば、中国は長い歴史の中で常に多くの問題を抱えつつもその都度切り抜けてきたし、そのような事態に慣れっこと言っても間違いではないように思う。そして、何より中国政府が自国の弱さと脆さをどこのだれよりも深く認識しており、自然崩壊を避けるべく自ら進化することに血がにじむような努力もしているということが垣間に見られるからだ。中国はどことは違ってガラパゴス状態はない。「臨機応変」これは正に中国から来た言葉なであり、中国の思想でもあるのだと思う。 

  


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2010年09月06日

Part 3 世界中で中国経済を求める

 そして、欧米中心の20世紀が終わりを告げ、世界の主軸が少しずつアジアにシフトし始めた頃から、中国経済が本格的な成長期に突入した。、中国が国際社会におけるプレゼンスが日増しに高まってきていることはご周知の通り。2008年に、中国の一人当たりのGDPが3000ドルを突破した辺りから、世界中で「中国市場を狙え、中国人観光客を取り込め」と叫ぶようになる。特にリーマンショック以後が一段と激しくなった。日本も多分に漏れず、製造メーカーに続き、風力発電、原子力発電、省エネ技術、環境産業、水処理技術、金融、保険、ファッション、飲食、美容などのサービス分野の中国進出が急増。他方、日本・福岡においても、デパートや商店街などでは中国人観光客を取り込むべく、銀聯カード使用OKなどの表示が目立つようになった。国際的マーケットがどんどん萎んで行く中で、中国は世界中の頼りの星として、地球の引力がグイグイと中国の方に引っ張られる。

  


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2010年08月30日

Part 2 三度もの開国期を経て今

 その中国だが、長い封建時代に終止符を打ち、1949年、社会主義中国が誕生した。以来、10年毎に繰り返してきた政治的動乱及び実質的な鎖国期を経て、80年代には本格的に改革開放政策に踏み込み、いわゆる第1の開国期に突入。この時期には香港の隣の街・深セン市を華南経済特区と指定、以後、深セン市は市場経済システム実験地域として飛躍的に発展を成し遂げる。市場経済の導入に自信を付けた中国は、90年代に入ると鄧小平氏が上海を訪れ、いわゆる南巡講話(先富論・先に豊になれる人は先に豊になれ)を発表、第2の開国期にを入ることに。この時期に欧米を中心する外資系企業が洪水のように上海に押し寄せ、中国経済を本格的な発展の軌道に乗せた。1997年に起きたアジア金融危機が起きるが影響にもものともせず、2000年代にはWTO加盟を果たし、本格的な第3の開国期を迎え、富裕層人口が総人口の5%(6000万人を超える)を超え、海外旅行がブームとなり、中国企業がヨーロッパを始め外国の中小企業の買収にどんどん乗り出すことになる。

  


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2010年08月23日

Part 1「中国」という2文字がぴんぴんと飛び跳ねる


「中国」この二文字を見ない日はない今日この頃なのである。新聞、テレビ、雑誌などで、様々な場面において「中国」という二文字がぴんぴんと飛び跳ねている。2008年には歴史未曾有の四川大地震を乗り越えての北京オリンピックの成功開催。そして、リーマンショックからいち早く抜け出し、今は上海万博で世界中の人々の目を一点に引きつけている。「中国進出外資系企業50万社を超える。自動車販売台数年間一千万台。携帯人口4億人。中国企業が日本企業を買収。中国株。不動産バブル。民族大移動。出稼ぎ農民工。富裕層を狙え」いずれも今の中国を象徴するキーワードだ。

  


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2010年08月02日

胸襟を開いて・大陸と台湾の経済協力フォーラム


 この間、中国と台湾との間で経済協力枠組み協定(ECFA)が締結された。そのことを受けて、このほど、広東省・広州市において、第6回中台経済貿易合作フォーラムが開かれた。フォーラムには双方の政財界の要人が勢揃い中、大陸と台湾の経済、貿易、環境技術など分野に関する協力体制の進化と一体化について検討された。中国側のトップ代表として、全国政治協商会議主席のか慶林氏がフォーラム閉会時の挨拶の中で「国共合作」という言葉が使われたがとても印象的だった。その言葉の裏には、これから大陸と台湾関係の明日を象徴しているようにさえも聞こえた。そして、フォーラム、一見して何の変哲もないフォーラムに映ったに違いない。しかし、その何の変哲もない風景こそが大きな変化ではないかと思った。少し前までだったら、大陸も台湾もお互いを意識してか、双方のリーダーが会う時は、相当身構えをし、お互いがピッカピッカのスーツに身を包み、畏まる様子で向き合ってきたように思う。でも、今回のフォーラムは、全員が半袖シャツにノーネクタイ姿で、終始カジュアルな雰囲気だった。大陸と台湾、胸襟を開いて話せる関係になってきたのかな。
  


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