中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2010年06月28日

安心して乗れるようになった中国のタクシー

 地下鉄や公共バスなどが決して発達しているとはまだ言えない中国での移動手段として私はよくタクシーを使う。タクシーが一番快適だからという訳でもない。他に選択肢がないからなのである。ラッシュー時間では、お上品に遠慮でもしていると1時間待ってもタクシーを捕まらない。しかも、ようやく捕まったタクシーが安心して目的地にたどり着ける保証はない。今にでも止まりそうなエンジン音、スポンジ-があちこちから飛び出しているシート。開ければいつでも外れ落ちても可笑しくないようなドア。毎回、中国でタクシーに乗る度に、はらはらドキドキもので、無事に目的地に辿り着くようにと祈らずにはいられなかった。特に冬の北京の夜は恐ろしい。深夜にでもエンストになれば、えらいことになる。幸い、深夜の外出をあまりしない私はそのような目に遭わずに済んだが、北京にいる友人達は不運にもそのようなことにしばしば遭遇したと聞く。しかし、その様子は今大きく変わった。北京では2008年のオリンピック開催を機に、昔の赤色のおんぼろタクシーを一掃し、黄色と緑色を基調にした色で統一した車タクシーに導入し、車内のシートにもカバーが掛けられるなど、とても快適になった。特に上海では、ベンツ-タクシー(料金は一緒)や万博タクシーも登場し、ドライバーのマナーも大変よくなり、中国タクシー恐怖症の私もようやく安心してタクシーに乗れる日々がきたようである。
    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)中国

2010年06月21日

雲海に佇み・身も心も澄み渡る

 九華山・国際的に大観地にさえはなっていないようだけれど、しかし、中国全土から多くの仏教徒達が目指してくる聖地なのである。天気は曇り、気温が20度前後、山登りらは絶好の日より。千段もの階段、思ったよりも険しくてつらい。道も半ばまできたところで、こちらの気持ちが見透かされたのか、籠を担ぐにっちゃん達が「お客さん、山頂まで籠に乗っていきませんか」としつこく声かけてくる。「いやいや、ここまできて、籠に乗るなんてとんでもない。歯を食いしばって自力で山頂まで行くぞ」と、そう自分に言い聞かせつつ、もくもくと上へと目指す。「麗子さん、もう7合目あたりですから、もう少しですよ」なんと、ずっと後ろにいたはずの体重100キロもある董事長が私よりも先に行っていたのだ。九華山・古拝経台寺がすぐそこに見えた。一休みしようと石段に腰を下ろしてみたら、両側に無数の南京錠がかかっているを発見した。日本っていう゛縁結び゛とでもいうべきか、恋人同士が永遠に結ばれるようにと、古拝経台寺にお参りし、南京錠に二人の名前を刻んで掛けて帰る。
山頂に辿り着くと、雲海が辺り一面に拡がっている。ほんのつかの間だったけれど、その瞬間が永遠に思え、身も心も澄み渡る至福な瞬間だった。

    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2010年06月14日

憧れの名山・九華山を尋ねて


 安徽省・九華山。中国仏教のメッカの一つ。海抜1344メートルの十王峰を始め、多くの山々が繋がり、それぞれの山々には千年を超える悠久なる歴史を持つ俵
お寺が点在している。回香閣、天台寺、肉身宝殿などなど、いにしえから僧侶達の修業の名山として親しまれてきた。私はこのところ、クボタ・ポンプ事業部の合弁事業のコンサルのため、よく安徽省に訪れている。合弁パートナーである三聯ポンプの董事長が信心深い仏教徒であることから、かねてから九華山にご案内したいと言われながらも、中々時間が取れず訪れることができなかったが、この度、やっと念願が叶えられ、董事長ご夫妻と共に九華山を訪れることができた。千段もの石階段を登りきり、天台寺がある山頂に佇んだ瞬間、手を伸ばせば天に届きそうなくらいに、天に近づいたような感じでとても感動した。熊本の九重連山も素晴らしいが、天台寺から見渡す山々も実に雄大で素晴らしかった。つづく。





  


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2010年06月07日

中国・若者達が中小規模都市へ移動し始める


 北京や上海などの大都市の大学を入り、卒業後は大都市で就職しシティーライフを送ることが中国の若者達の憧れだったし、それがいわゆる勝ち組の象徴でもあった。特に、戸籍を自由に移すことのできない農村出身の若者達にとって、それが農村から脱出する唯一の方法でもあったからだ。現に毎年の9月の入学シーズンになると、大学に合格した地方の若者達が、夢と希望を膨らませながら大きな荷物を背負って大都会へとやってくる。ところで、ここ1、2年の間で状況が変化し始めているようだ。都会に憧れ都会を終の棲家にしようと決めて来たはずの若者達が今、大学を卒業後、大都会に留まらずに、中小規模都市へと向かい始まっているようである。そうなった背景には、都会での就職が難しくなったことが主な理由だが、それとは別に、猛スピードで経済の発展を成し遂げている大都会は、弱肉強食の世界で、ストレス漬けだから、華やかなシティーライフを送るには普通のサラリーマンだけでもとても無理。その現実を知ってしまった若者達は、就職がしやすく、より人間らしい生活が送ることのできる中小規模都市へと向かい始めている。
  


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2010年05月31日

大連・アカシア祭り

 5月24日、さわやかな五月晴れの下、大連・アカシア祭りの開幕式が市内の労働公園にて盛大に行われた。労働公園の中にある湖の中に大きな水上ステージが作られ、湖の周辺には大勢の大連市民や海外からの来賓で埋め尽くしていた。今年は異常気象のため、アカシアの開花が通常よりも一週間ほど遅れていたらしく、開幕の日、アカシアのお花は、まだ蕾のままだった。お花がない開幕となったが、しかし、開幕式では、大連の歌舞団の華麗なダンスやスリル満点のアクロバットに加え、日本からも迫力満点の和太鼓の演技に、鯉のぼりをモチーフにデザインされたドレスのファッションショーが行われ、ステージを華やかに飾った。通常、このようなステージで出される日本のアトラクションは地味で迫力に欠けるものが多いのだけれど、この日和太鼓もしかり、ファッションショーも実に華やかで、本当に素晴らしかった。日本勢、国際的な舞台でどうでれるべきか、だいぶん慣れてきた感じで、微笑ましく思った。
 

    


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2010年05月10日

鑑真和上の足跡至る所に

 広州から車で1時間半ほどのところにある肇慶は、山水が美しいということで広東省の小桂林と呼ばれている地域として名を馳せているが、しかし、そこは私の想像を遙かに超える素晴らしい所だった。特に鼎湖山の自然風景が美しい。鼎湖山の頂に慶雲寺という大きくて立派なお寺があり、そこで偶然にもそのお寺が鑑真和上縁のお寺であったこと、而も榮叡が病に倒れなくなられた場所でもあったことを知り胸が熱くなった。ご存じのように唐の時代の高僧・鑑真和上は、仏教の正式な戒律を伝授してほしいと日本・興福寺からきた榮叡と大安寺からきた普照という二人の僧侶に懇願され、日本へ渡航することを何度も試みるが失敗。748年に再び5度目の渡航にチャレンジするが台風に遭い船が海南島に漂着、その後、一行は余儀なく桂林経由で広州・肇慶にあった白雲寺(今の慶雲寺)に辿り着き、長い間そこで滞在された。そして、6度目の日本への渡航を待たずに、栄養失調と過酷な旅ですっかり衰弱しきった榮叡は高熱に苦しんだ挙げ句、慶雲寺で帰らぬ人となった。だれよりも榮叡の死を嘆き悲しまれた鑑真和上もそれを機に体力がすっかり弱まったという、、、。ところで、話は元に戻るが、その日、私達は時間がなく訪ねることができなかったが、実は、慶雲寺の麓にある脇道のところに「榮叡碑亭」があるらしい。広州市には鑑真和上がしばらく滞在したことのある光孝寺もるというから、いつの日か、改めてその地を訪れ鑑真和上の足跡を辿ってみたい。
      


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2010年05月03日

書道を愛する人々の憧れの逸品・端渓の硯

 広州市に滞在している間、一日は端渓の硯で著名な街・肇慶に足を運んだ。端渓の硯と言えば、日本でも書道を愛する人なら、その名を聞いただけでも目の色が変わるほどの逸品だということを聞いたことがあるが、なぜそうなのか、肇慶に来てやっとわかった。肇慶には七星岩風景区という素晴らしい一大国定公園があるが、その風景区内には、いくつもの岩山が点在し、そこでとれる岩石が人の肌のように滑らかで硯にもっとも適しているというのだ。気温、湿度、正に天の恵みがもたらした素晴らしい石材。さすが硯の故郷。街に入ると硯工場や硯の売店が至る所に。せっかくなので肇慶で一番由緒あるのだという硯工場に立ち寄った。敷地に入ると大きなガジュマルの気の回りに硯を作る前の原石が山積みされている。その横に工房があったが、入ってみて驚いたことは、機械ではなく、すべて人工で研磨し手で彫刻していたことだ。端渓の硯、日本で買えば目玉が出るほどに高いが、制作しているところを見れば、納得した。工場の横にある直売店に入ってみると、硯、硯、硯、書道を愛する人々の憧れの逸品・端渓の硯がそこら中に溢れていた。

  


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2010年04月26日

胸高鳴る久々の広州訪問

4月初めに実に10年ぶりに広州市を訪れる機会に恵まれた。私は仕事で中国には年間で20回から30回のペースで訪れているが、しかし、なぜか広東省との接点に中々恵まれることがなかった。ガジュマルの木、真っ赤なパンヤの花(木綿花)、椰子の木などなど。幼き頃に見慣れた風景。風が運んでくるにおいが魂を揺さぶる。広州市の一大観光スポット・陳氏書院。当時、広東省内にあった72県に広がる陳を名字とする人々が財を出し合って、祖先を祭るために建造したー合族本堂。陳氏書院は、長い間、陳族の子弟が広東省で試験を受けるときや或いは、訴訟、会議などを開く時の集まる場所として使われたのだという。陳氏関係者が莫大な財力を投じて国中から一流の建築家、芸術家を集めて創意と思考を凝らして建造した陳氏書院は、芸術性に優れ、その魅力は今もなお世界中の人々を引きつけて離さない。敷地総面積が15000平米。大小19の建造物から構成されている書院全体は美しい中庭で繋がっている。建造沕の屋根の上には様々な動物の彫刻が施され、美しい色彩で織りなすエキゾチックな雰囲気は訪れる人々に強いエネルギーを与えてくれるようである。


   


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2010年04月19日

心豊かな場所・安徽省・和県

 ここのところ、仕事のためによく中国安徽省・和県に足を運んでいる。行く回数が重ねる度に和県の魅力にぐいぐい引き込まれている。大好きな三国志と深い繋がりがある地域であることが大きな要因なのだが、しかし、それは主たる原因ではないことがわかった。和県は不思議なほどまでに人々の心に穏やかさと活力を与えてくれる場所であることに改めて発見した。まだまだ農業を主体する経済構造の和県。沸騰するかのように経済が発展する上海や北京などの大都会にあるような野望に満ちあふれる高層ビル群はない。そして、無意味なほどまでに街を怪しく彩るネオンとも無縁の和県。でも、道の両側に綺麗に並ぶ町並みには、人々が日々の生活を送るための商いが営まれ、まっすぐに広がる道路に、交通信号が必要ないほどの車の通行量、歩道では野菜籠を手に歩道の上をゆっくりと歩くお年寄り達の表情がとても穏やかだ。そこに住む人々も温厚で誠実な人が多い。仕事でお付き合いをさせていただいている董事長室に掛けられている扁額に認められている「勤酬天道」という言葉を拝見して、納得した。「勤酬天道」を直訳すると「報酬は勤労より得ることが天の道」。これはまさに和県の人々の人となりを表す言葉ではないかと思った。


  


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2010年04月05日

上海で活躍する福建省・お茶商人


 日本では、先祖を忍び、お墓参りをしたりするのが8月のお盆。しかし、お隣の中国では4月の3日の清明節だ。ちょうど3日の清明節の日に上海にいたが、上海から蘇州に向かう高速道路では、先祖のお墓掃除のために田舎へと帰省する車で溢れ返っていた。ところで、話は変わるが、中国では清明節の後に採れる新茶がもっとも高級とされ、お茶を愛する人々は高いお金を出して清明茶を買い求める。一般的に、我々日本人の頭の中で、中国茶はイコール「ウーロン茶」というイメージが強い。だから、中国を訪れた日本人がレストランで「お茶は何になさいますか」とウェイトレスさんに聞かれると決まって「ウーロン茶」と言う人が少なくない。中国ではみんなウーロン茶を飲んでいると思って居るからなのだろう。でも、実は違うのだ。先日、上海のお茶屋が何百件も並んでいるお茶通りに行き、上海で手広く商いをしている福建省のお茶商人の林さんのお店に立ち寄った。せっかく来てくださったからといって、林さんは、お店の奥から大きなお茶缶を出してきて「これはとっておきの逸品的・龍井茶です。今から入れて差し上げますので、どうぞ楽しんでいらしてください」と言いつつ、手際よくお茶を入れてくれた。さすがに言われただけとあって、誠に香ばしく、身も心も癒してくれる美味しいお茶であった。悠久なる歴史を持つ国だとあって、お茶の文化も実に奥が深い。地域によって飲まれるお茶も違う。中国では一般的に、北京などの北方地域では「花茶」つまりジャスミンティー。上海や浙江省などの地域では「龍井茶」などのまったく発酵していない緑茶。雲南省などの地域では発酵している「プーアール茶」、我々日本人がイメージしているウーロン茶は、主に福建省などの地域で飲まれているのだという、、、。今年はよく雨が降ったので、清明節後の新茶が楽しみだ。

  


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2010年03月29日

今・地球規模で男余り現象?

 先日、上海で中国人の友人達とお食事をしながら、今の中国の若者達の結婚の話題に花が咲いた。友人が曰く、今、中国も若者達も日本の若者達と同じで中々結婚しようとしない人が増えているという。独身貴族という考えが根底にありながら、都会の男子では家庭を背負う気持ちがだんだん希薄になっている人が多いらしく、対する女子は、そのようなもやし男子に魅力を感じず、そのため、結婚ができない男子が溢れているらしい。特に農村がその現象が激しくお嫁さんがもらえない人がいっぱいいて困っているというのだ。どうしてそのように男余り現象になっているのかと尋ねると、そもそも、中国では70年代の末頃から一人っ子政策が実施されていたので、一般的に男の子を望む傾向にあったため、男子の出生率が女子よりもかなり高かったから、男女のバランスが崩れていることも男余り現象に拍車がかかっているのだという。今中国でも男余り現象はかなり社会問題にも発展しつつある。そこで、なんとか対策を講じなければならないと考えた中国の行政部門は、日本で流行っている「婚活」イベントに注目し、似たような取り組みを始めたようだ。


  


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2010年02月22日

いつもと変わらぬやさしさ・李源潮先生


 先日、新宮松比古先生が率いる福岡県議会日中議連の訪中団に随行して北京を訪問させていただいた。今回の訪問は、オリンピック以後の北京がどのように変化しているのか、また、中国がこれからどこへ向かうのか、そのことについて学ぶことが主たる目標であった。日本大使館でのヒアリングや中国外交部アジア司を訪問し、関係各位から現在と今後の中国の動向について大いに学ばせていただいた。十三億以上の人口、そして56もの民族、日本より26倍もの国土面積、考えただけでも気が遠くなる。外から中国政府の事をよく批判する人がいるけれど、しかし、私は今の胡錦濤さんが率いる中国政府はよく頑張っていると思う。抵抗勢力と戦いながらも、未来を見据えたビジョンをもって国家を運営している。2012年の党大会で、胡錦濤さんは国家主席の座から降りられる見込みで、9名の政治局常務委員も大幅に入れ替えも行われる予定だそうだ。ところで、この度の北京訪問で久々に李源潮先生とお目にかかれるチャンスに恵まれた。李源潮先生は今、中国党中央組織部の部長を務められているが、現職に着かれる直前まで、長年、福岡県の友好県省である江蘇省の党書記を務められた。そのこともあって、訪問団一行とは親しい間柄。中央に行かれても、久々にお会いする李源潮先生は、昔と変わらぬやさしさと笑顔で迎えてくださった。胡錦濤さんの右腕たるご存在。今後のご活躍がますます期待される。

  


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2010年02月08日

上海の地下鉄総延長線がまもなく世界一に


 先週の上海、とても寒かったらしい。でも、私が3日に上海入りしてから今日で
4日目になるけれど、ずっと6度前後の気温がキープしており、晴天にさえ恵まれなかったが、でも、外での取材が全然苦にならないくらいのお天気で、とてもラッキーだった。皆様ご存じのように今年の5月1日から10月末まで上海万博が開かれる。さすがに、開幕まで残すところあと正味三ヶ月となってきたためなのか、先月まであまり見えなかった、万博会場の全貌がやっと姿を現してきた。創意と工夫、夢と挑戦、バラエティーに富んだ各国のバビリオンがリバーサイドの万博会を埋め尽くしている。昨日上海万博オフィシャル広報室の担当者の話によれば、今年の上海万博の参加国と産業部門が予定の200を大幅に超えて、240となったのだという。しかも、今日までのチケット販売状況から見て、元々の7000万人の来場予測者数が1億人になる見込みだというのだ。万博を控え、上海全体が巨大な工事現場となっているということは皆さんご存知の通りだが、中でも地下鉄の建設が猛スピードで進められている。
今、世界で地下鉄の総延長線がもっとも長いのがロンドンの370キロらしい、でも上海の地下鉄が全面開通すれば総延長線が420キロ、ロンドン、ニューヨークを超えて世界一となる見通しだ。巨大工事現場と化している上海の住民達は、建設の騒音、煤塵などに悩まされつつも「今、上海にとって、あらゆる意味で世界一を目指すための産みの苦しみを耐える時期なのだから、仕方がない」と、健気に語る。10月以後の上海がどのように生まれ変わるのか、とても楽しみだ。

  


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2010年01月25日

えっ、中国・今年は春がないの?


 寒かった日々も一段落して、今日は春がやってきたかのようにぽかぽかと暖かい。家の近くにある土手辺りを散歩していたら、ツクシが可愛い顔を出しているのを見つけた。ああ、春はもうすぐそこまできたのだ。どんなに忙しくとも、いつでも季節の移り変わりを感じていたい。そう考えている私は時間さえあれば土手やあぜ道あたりをぶらぶらと歩くのが好き。訳もなく当てもなくても。鈍りかけた感覚を戻すには、やはり自然の中に身を委ねるのが一番。中国には「春の訪れを知りたければ寒梅の蕾を見ればいい、秋の訪れを知りたければ夏の雨音をよく聞けばよい」という漢詩がある。気象台やハイテク技術がなかった時代、人々は人間の五感がすべてだった。ところで、先日、福岡におられる中国人の友人と今の中国における若者たちの結婚事情について話をしていたら、今年は中国で結婚する若者が極端に減るのだという。理由は、今年の春節(旧正月)は2月14日と例年より遅く、立春(2月4日)が春節の前にやってくるので、旧暦の暦では今年は春がないということになるらしい。春がない年は、縁起がよろしくないと思われているらしく、そのような年に結婚することは一般的に避けるようにしているというのだ。びっくり。


  


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2010年01月18日

上海・不動産バブル崩壊か

 先週、今年に入って初めて上海を訪れた。5月には上海万博が開幕される。上海万博に備えて、上海では一大観光スポットであるバンド界隈「上海外灘」では、昨年あたりから、道路の改修工事、30年代に立てられたヨーロッパ式の建造物群の改装工事も行われている。そのために、上海は一大工事現場と化していた。万博開幕を三ヶ月後に控えた今もなお、工事は終わることもなく、本当に大丈夫なのかと心配したくなる。しかし、不思議な事に、どんな時でも、その日になればそれなりに整い、オープンに漕ぎ着けるのが中国の流儀。ところで、先週、今年に入って上海に行ったが、上海は依然として万博に向けて工事が急ピッチで進められている。でも、上海はいつもの見慣れた上海とはどこかが雰囲気が違う、そのように直感で感じる。何かどう違うのか、よく観察してみたら、上海の不動産市場が今までとはどこかと違う雰囲気が漂っていることがわかった。どうも上海の不動産価額は2009年を前代未聞の最高レベルに達したが、元旦以後、中国の不動産王と呼ばれている温州人達の行動に異変が起きているのだという。異常なほどまで膨らんでいる不動産バブルを抑制すべく、中国国家政府及び上海市政府が一連の措置と対応策を公布したことがわかった。現生を手にいっぱい握りしめている「不動産王」温州人達が立ち往生し始めた模様だが、住居だけを求める上海の住民達は喜んでいる。


  


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2009年11月24日

寒さの中に温もりを感じて



 朝、目が覚め、部屋のカーテンを開き、窓の外を見渡すと外はどんよりしている空から静かに粉雪が舞い降りて、街路樹の木々の枝達は雪の重みで丸くなりとても重たそうにしていた。待ちを行く人々は滑らないように、手袋をした両手を広げバランスをとりながら、ゆっくりとした足取りでそれぞれの目的地へと向かっていた。昔はいざ知らず、温暖化が進むこの時期の北京では11月半ばでこのように雪が降るのは極めて珍しい。気温も零下五度を超えている。朝食後に長安街の近くに住む文遅先生のお家を訪ねた。久々にお会いする文遅先生と奥様が、いつもと変わらぬ元気なお姿と笑顔で私を迎えてくださった。いつ行っても、私を暖かく受け入れてくださる人がここ北京にいる。そう思うだけで心の奥底から熱いものがこみあげてきた。八十才を共に超えられている文遅先生ご夫妻だが、夏の暑い日も、冬の寒い日も、毎日朝の散歩は欠かせないのだという。奥様が愛情いっぱいに育てられている植木鉢が、冬のマンションのテラスを美しく彩られている。文遅先生が自ら作ってくださった先生のお得意料理「じゃじゃ面」の味が私の心を満たす。先生ご夫妻がいつもでもお元気であられることを心から祈りつつ。
       


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2009年10月26日

梅蘭芳・実は江蘇省の出だった

 梅蘭芳(1894年京劇の名門の家に生まれた)と言えば知らぬ人はいないというくらい世界でも著名な中国を代表する京劇芸術の大家だ。梅蘭芳は京劇の女形になるべくして生を受けられたかのように、実に端麗で気品あふれる容姿で、一度彼の劇を見たものは瞬く間に虜になってしまうほどだったという。生きた時代が違っていたので、映画の中の梅蘭芳しかしらないけれども、大の梅蘭芳のファンである私はかつて、北京にある梅蘭芳がかつてお住まいになられたお屋敷には、幾度もなく尋ねたことがあった。でも、梅蘭芳の故郷が江蘇省泰州市であったとは知らなかった。先日、仕事で泰州市を訪れた時に、仕事の合間を縫って梅蘭芳記念館にも足を伸ばした。展示されている過ぎし日の梅蘭芳の写真の数々を拝見し、梅蘭芳がどれだけ日本を愛していたかを改めて気づかされ、胸が熱くならずにはいられなかった。梅蘭芳は1919年に初めて日本で公演を行って以来、三度も日本を訪問された。彼が同じ国で三度も訪問した国は世界中でも日本だけだという。しかも、1924年に関東大震災が発生した時には、梅蘭芳は日本の復興事業を支援するために、劇団を率いられて日本にやってきて、東京と大阪で十数回も講演され、講演で得られた興業収益をすべて被災地に寄付されたらしい。ところで、話はかわりますが、現在の中国の国家主席の胡錦濤さんが生まれ育ったのも江蘇省の泰州市であるということ日本では意外にもあまり知られていない。市として独立してまだ日が浅い泰州市の前途が洋々たるものがあるということを感じた。

  


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2009年10月13日

中国・明るい未来をみたような気がした

 我々日本青年訪中団一行を乗せたバスが武漢・華中科技大学のキャンバスに入っていくと、広大なグランドに迷彩服を着た大勢の若者達が、手を大きく振りながら、天にも届くような大きな声で「1、2、1、2」と声を掛けながら、グランド中を駆け回っていた。「あの若者達は何をしているのですか」キャンパスを案内してくださっている華中科技大学学生会主席に私が尋ねると次のように教えてくれた。「ああ、あの若者達は、9月に入学したばかり新入生達です。中国では、どこの大学も入学したばかりの新入生に対して、約一ヶ月間、軍事訓練を実施しているのです。新入生達はそれを全員受けなければならないのです。教官も現役軍人ですので、学生達は、軍隊に入った時の新入軍人と同じような厳しい訓練に絶えなければならないのです。大変ですが、僕の体験からして、軍事訓練は団体生活、規律を守るという意味からして、非常に重要なことのように感じます」「ところで、貴方は武漢のご出身なのですか」
「違います。僕は黒竜江省の出身です」「ええ、そうなのですか。しかし、黒竜江省にはハルピン工業大学という非常に著名なる理工系の大学があるのではありませんか、どうして、こんなに遠い武漢の大学にきたのですか」「僕は一人っ子として、親から大切大切に育てられてきました。しかし、親のそばにずっといると自立することが中々できないと思うのです。それで、わざと親から遠く離れているこの大学にきたのです。親から遠く離れていると親の有り難みを初めてわかるようになったし、はやり来てよかったと思っています」と、そう清々しく答える青年を見ていると、中国の明るい未来をみているような気がした。

   


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2009年09月28日

北京が見渡す限り花の海に


 9月16日、私は198名からなる日本青年訪中団・大学生分団と共に北京に訪れた。私達一行を乗せたバスが北京市内に近づいた時には、北京市内は黄昏色に染まっていた。北京オリンピック以来、久々の北京はやはりとても懐かしい。風が運んでくるにおい、人々の生活の営みの光景、はるかいにしえから佇む文化遺産の数々、人々を暖かく包み込むようなアカシアの並木道などなど、いつもと変わらぬ温もりで私を迎え、私の記憶の奥底に沈んでいる何かを呼び覚ます。1998年から2004年まで、ある合弁会社の総経理を務めていた時に、通い慣れた道、見慣れた風景・・・。
 福岡から羽田、羽田から成田、そして成田から北京へと何度も乗り継いで辿り着いたためなのか、部屋に入るなり倒れ込むようにして眠りに陥っていた。目を覚ました時に、部屋の窓から外を見渡すと、天安門の広場では国旗の掲揚式が行われているが見えてきた。そう、北京では1949年の建国以来、60年間、絶えることなく、毎朝、日の出の時刻に国旗掲揚式が行われ、日没の時刻に併せて国旗降下式が行われているのだ。北京の国旗掲揚式の情景はやはり荘厳的で、一見の価値があるというものだ。
 ところで、今北京では10月1日に行われる予定の建国60周年を祝うための祝賀セレモニーの準備が急ピッチで行われ、市内の至る所でハンギングフラワーが通りの至る所に飾られ、花の海ようだ。テロを警戒するものものしい雰囲気を薄らぐかのように。

  


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2009年09月21日

巨大な工事現場と化した上海の今


 来る2010年5月に上海万博がいよいよ幕が開く事に。昨年の2008年は、中国にとって有史以来の北京オリンピックを成功裏に開催し歴史に刻まれ、歓喜に涌く一年であったと同時に、1月には食品安全問題、2月には南方地域において50年ぶりの前代未聞の豪雪による被害、3月にはチベット暴動、5月12日には四川省で恐るべき大地震等々と、実に試練多き年でもあった。そのような試練を乗り越えられた中国は、様々な意味において大きく成長した年でもあったと私は思う。そして、北京オリンピック成功の余韻にひたる閑もないままに、9月にはアメリカで発生したリーマンショックによる経済の荒波が中国に押し寄せ、さすがにものすごい勢いで次ぎ進む中国の経済も多分に漏れず、立ち直れないほどに大打撃を受けた。不動産価額が暴落し、企業の倒産、工場の閉鎖が相次ぎ、農村から都会に出稼ぎにきていた大勢の農民工達は職を失い、余儀なく田舎へ、都会は心なしか静かになったようにも見える。
 しかし、それもつかの間、はやり中国は強い。萎みかけていた中国の経済は上海万博建設の需要により、また力強く引き揚げられ始めている。上海では、半年後に控えた万博に向けて、今は至る所で建設工事が行われており、バンド界隈の租界時代の町並みは今、大々的に改装工事が行われており、一面あたりはまるで巨大な工事現場と化し、古くて新しい都市として生まれ変わろうとしている。とても楽しみだ。

  


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