中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2006年11月27日

アカシアの街 大連

 アカシアの街、ロマンティックな街—大連。大連は遼寧半島の南端に位置し、都市人口は600万人くらいで、古くから不凍港としても有名で、中国の中において大変重要な貿易港となっています。また、遼寧省の省都ではないけれども、貿易経済などの面において遼寧省の中で大変重要な都市の一つなのですが、90年の半ば頃から、IT産業が新たに基幹産業に加えられたことによって、大連の経済は飛躍的に発展しています。

 中国の都市の中で、日本人にもっとも親しまれている都市は大連なのかもしれません。というのも、今、大連は中国の中でも日本語を話せる人口が最も多く、なんと5万人を超えているといいます。大連外国語学院の日本語教育レベルは非常に高く、中国国内で優秀な日本語を話す外交官を排出する大学としても非常に有名です。

 そういう理由からなのか、大連が外国との間に友好都市を結んだ最初の相手都市が日本の北九州市、そして、誘致した最初の外資企業も日系企業だそうです。今でも、日本人にもっとも優しい街として、多くの日本人観光客が訪れており、また、留学地として大連を選ぶ日本の若者がだんだん増えているのだそうです。

 5月になるとアカシアまつり、そして大連ファッションショーには、国内外から多くの人々が大連に訪れられます。また、大連には海岸通り沿いにある18ホールを持つ金獅灘ゴルフ場が今大変人気らしく、ゴルフを楽しむために、毎年多くの日本人ビジネスマンが訪れられるようになったと聞きます。



※次回掲載は、12/4(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2006年11月20日

九大新キャンパス 七不思議の一つ

 皆さん、前原市に部分開校しました九大新キャンパスに行きましたか、先日、九大に勤めている我が亭主に連れられて、新キャンパスを見学してきました。まだまだほんの一部分しかできていないにもかかわらず、大変立派な建造物に感動しました。回りの自然環境によく溶け込んでいる建物の色合い、シンプルですが、大変暖かみがあって、実に素晴らしいと思いました。

 実は、私は仕事で時折中国の大学を訪れることがあるのですが、次から次へと誕生する中国の大学の大規模で実にモダンな新キャンパスしばしば圧倒されていました。上海の復旦大学の新キャンパスはしかり。
うん、これなら、どこに出しても恥ずかしくはない、今度、中国のミッションを九大新キャンパスを御案内するのが楽しみになりました。

 ところで、皆さん、九大の新キャンパスに七つの不思議なことがあるのをご存じですか、不思議の一つが、写真にも写っている庭石にあるのです。石と石の間の隙間に頭を突っ込んでみてください。どことなく、日本語、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語等などの世界中の言葉の不思議なささやきが心地よく聞こえてくるのですよ。



※次回掲載は、11/27(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2006年11月13日

日中韓女性経済会議2006

去る11月2日に、東京の経団連会館で「日中韓女性経済会議2006」が開催されました。日本、中国、韓国よりゲストスピーカーが20名ほど一堂に会し、経済あり、文化あり、テクノロジーありで、とてもユニークな会議でした。この会議は、私の友人の斎藤ようこさんや鵜木有子さんらを中心に、数名のキャリアウーマンが企画され、元外相で今参議院議員の川口順子さんが実行委員長に迎えて、今年で2回目の開催となりました。私もお招きをいただいて、九州より特別に参加させていただきました。

今回、私の印象に深く残ったテーマは2つ。1つは、韓国の女性IT社長の「Ubiquitous」の話でした。これはから、Uガバメント、Uワーク、Uオフイスの時代になるのだそうですって。多摩美術大学の鶴岡先生による「袖」文化の話でした。「袖触れるのも多少のご縁」実にセンススティーブな話だとは思いませんか。






※次回掲載は、11/20(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2006年11月06日

博多織のルーツを尋ねて

 この度、ご縁があって、博多織工業組合副理事長原田さんを始め、博多織工業組合の皆様とともに博多織のルーツを探し求めて、中国浙江省にある杭州市と寧波市を訪問した。限られた時間ではあったが、在福岡中国総領事と福岡県上海事務所の絶大なるご協力を得て、通常ではなかなか会えない研究家の方々と直に会って、お話を伺うことができ、また、立ち入り許されない場所にも入れさせていただいたお陰で、今まで解明されていなかった博多織にまつわる様々な謎が、次から次へと判明し、実に楽しくスリルのある調査訪問であった。

 中でも、私がもっとも興味深いと思ったのは、径山−興聖萬壽禅寺でお会いした地元の郷土史研究家−愉清源老人の話だった。愉老人がいわく、径山と日本との交流は悠久なる歴史を誇っているという。1199年(南宋慶元五年)に始まり、今日まで800年も続いている。そして長い日中交流の歴史の中で、日本が中国文化を大規模に吸収した時期は歴史上三回あったという。一回目は奈良時代(710‐793)・平安時代(794‐1184)前期、即ち中国の唐から宋にかけて。二回目は鎌倉時代(1185‐1333)中期から安土桃山時代(1573‐1603)にわたり、即ち中国の宋から元と明の初頭ころ。三回目は江戸時代(1604‐1867)前期、即ち中国の明の中・後期と清の初期まで。特に、二回目の鎌倉時代(1185-1333)中期から安土桃山時代までは、多くの日本留学曽が径山−興聖萬壽禅寺で修行を行ったというのだ。そこから、機織技術、お茶の栽培技術等などを日本に持ち帰ったらしい。それから、もっと私を感動させたのは、命の危険をまで冒してまで海を渡ってきた日本人僧侶の熱意に心打たれた中国側の僧侶達がついに、日本側の招きに応じて鑑真和尚が日本へ渡ることを決意したという話であった。これは、日中両国の政府指導者たちに大いに聞かせて上げたい話だと強く思った。



※次回掲載は、11/13(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア