中国の今を知る、中国の未来を読む。

  

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2007年12月31日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part10

 三日間のモスクワの滞在の中で、私が最も驚いたのは、なんといってもプーチン大統領

たちが現に執務をしておられるクレムリンが、政治が行われている場所以外はすべて観光

客に開放していることだった。北京に有る中央政府の要人たちが執務されている「中南海」

は未だに高い塀に囲まれ、その上に、厳重な警備体制が敷かれ、一般の人々はその中をの

ぞくことはまったくできない。


 また、かつてのロシアは国民の犠牲の上に成り立っていたため、後に壮絶な革命期を経

て今日のロシアへと続くのだけれど、しかし、帝政ロシア時代の豊かな文化遺産が壊され

る事なく、ほぼ完全な形のままで保存されているということにも驚いた。1960年代の後半

から約10年間続いた文化大革命によって、中国では、実に甚大なる貴重な文化遺産が壊滅

的に失われたということはご周知のとおり。そして、百年もの近い歴史をもつモスクワの

地下鉄の立派さ、また市内を走る便利な路面電車の充実さが、いずれも、豊かな経済発展

時期を経てきた国を物語っていた。




※次回掲載は、1/7(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月24日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part9

 よく考えてみたら、私が幼い頃に、ロシア文学をこよなく愛していた母が、よくロシア

のことについて語ってくれていた。レニングラード、赤の広場、ソフィア大聖堂、ペチェルス

カヤ大修道院、プーシキン、ゴーリキ、チャイコフスキー、などなど、意味も分からない

ままに、単語だけは記憶深く刻まれていたのだった。そして、私の記憶の中に有るモスク

ワはなぜかいつも寒い冬で、雪が降る中、分厚いロングスカートに、ストールを頭から巻

き、鳩に餌をやるお婆さんの姿と飢えに苦しみ、悲しい表情をする少女の姿だった。


 しかし、私が佇んでいる赤の広場に続くプーシキン大通りは、燦々と輝く太陽に下にあ

った。そして道には長蛇の車の列が続き、大通りの両側にはブランド品のお店がずらりと

並び、行き交う人々は流行の最先端を行くファッションを身に纏い、楽しそうにおしゃべ

りをしながら買い物を楽しんでいた。広場にはものすごい音を出しながら、ロックバンド

の演奏に大勢の若者達が群がっていた。ここはロンドンか、それともパリなのか、そんな

錯覚さえ覚える光景に私は自分がいるところがロシアであることすら忘れそうになってい

た。




※次回掲載は、12/31(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月17日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part8

 今回、私がロシアを訪れたのはいくつもの目的があった。一つには、悠久なる歴史を持

ち、数百年も続いた輝かしいロマノフ王朝がなぜ没落したのか。また、革命後、封建社会

が倒され共産主義社会となった旧ソ連がなぜ崩壊したのか。そして、今は自由で民主主義

社会となったロシアという国の実態がどうなっているのかをどうしても自分の目で見てみ

たかった。それから、もう一つの目的は、サンクトペテルブルグにあるマリンスキー劇場

でバレェ・白鳥の湖を見ること、チャイコフスキー音楽堂で、ピアノコンチェルト一番を

一度聞いてみたいと思っていた。時間の都合上、チャイコフスキー音楽堂で、ピアノコン

チェルト一番を聞く事は叶わなかったけれど、バレェ・白鳥の湖を心行くまで楽しむこと

ができたのは、実に至福であった。


 サンクトペテルブルグに四泊した後、モスクワへ飛んだ。川沿いに建つ木造城塞にすぎ

なかったというモスクワのクレムリンに、数々の金色に輝くドームを持つ聖堂群が誕生し

たのは十五世紀のイヴァン3世時代という。そして、ロシアの歴史は、そこで王冠を授か

る皇帝たちに揺り動かされた。赤の広場は、時に戦場となり、数々の事件の舞台となった。

この二つの歴史遺産を目の当たりにして、激しく渦巻くロシアの歴史のシーンが脳裏に去

来し、始めて訪れたはずなのに、なぜか懐かしく思えて胸が熱くなるのだった。




※次回掲載は、12/24(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月10日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part7

 ピョートル大帝は、当時のフランスを始めとするヨーロッパに強く憧れ、多くの芸術家

をヨーロッパに派遣し、建築、絵画などを学ばせただけではなく、自らもフランスやドイ

ツ、オランダなどに渡って、長い歳月を掛けて様々なことについて学び、学ばれた事を都

市建設や宮殿などの造営に活かされたというので、その知的好奇心の旺盛さに驚かずには

いられなかった。


 私が一番に感銘を受けたのがピョートル宮殿の庭園に作られた噴水の数々であった。フ

ランスのベルサイユ宮殿を模倣して作られたという、豪華絢爛なピョートル宮殿もさりな

がら、しかし、私の心を強く引きつけて離さなかったのは、宮殿の裏にある庭園だった。

この庭園は広大な敷地内に、森、花、彫刻、噴水がいたる所に散りばめられていて、特に

壮観なのは、いうまでもなくフィンランド湾に注ぐ噴水である。しかも、それらの噴

水にはポンプや電気などの力は一切使われておらず、水力学のみを駆使して作られている

という。





※次回掲載は、12/17(月)を予定しております。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2007年12月03日

ロシアより中国大陸に思いを馳せて part6

 ところで、サンクトペテルブルグは、ピョートル大帝が、ロシアの西欧化を目指して、

ヨーロッパに開かれる窓口として、1730年より35年間の歳月を費やして、人工によって創

られた都市だという。それまでのロシアの首都はモスクワにあったけれども、サンクトペ

テルブルグが出来てからは首都をモスクワよりサンクトペテルブルグに移したのだった。

当時、ロシアはスウェーデンを相手に北方戦争の真っ最中で、バルト海へ続くネヴア川の

河口は、格好の軍事拠点で、そこで、ピョートル大帝は、「ザーヤチイ島」と呼ばれる小

さな浮島に堡塁を設置させた。これがサンクトペテルブルグの発祥の地と言われるペトロ

ヴロフスク要塞の始まりだとも言われている。


 エルミタージュ美術館、イサーク聖堂、血の上の教会、アレクサンドル・ネフスキー大

修道院、ビョートル宮殿、エカチェリーナ宮殿、血の上の教会などなど、いずれもロシア

帝政時代の財力の厚みと存在感を示すものであった。





※次回掲載は、12/10(月)を予定しております。  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々