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2008年11月24日

鑑真和上の足跡を辿る 日中青年交流の旅 Part9

  九月十三日、日曜日ということもあって、学校での交流がないために、その時間を利用して寧波を尋ねた。寧波は、春秋時代は越の国で、秦の時代は会稽郡に属し、唐の時代は明州とよれば、いにしえより今日に至るまでも中国と日本の重要な貿易港だった。また、1250年前に、鑑真和上が二回目の日本渡航に失敗し、三回目の渡航を準備するために、一年ほど滞在されたという阿育王寺の他、天童寺、天一閣なども寧波にある。日本で曹洞宗を開いた道元、臨済宗を開いた栄西、水墨画で名高い雪舟も天童寺で学んだ。天一閣は、中国最古の蔵書館と言われ、明兵部右侍郎範欽が五年の歳月を費やして建立し、今でも八万冊を超える古書籍が収蔵されている。元々、時間の都合もあって今回の訪問日程では寧波訪問は難しいと見なされていた。しかし、「寧波は鑑真和上の日本渡航時の出発した港であり、多くの縁の地が存在していまし、日本とは縁の深い地域でもありますから、是非を訪問してほしい」と、周華さんの熱意に突き動かされて、寧波訪問が実現した。周華さんは、東京在住の実業家で、浙江大学のOB、寧波出身の元留学生。今回、我々を受け入れる為にわざわざ故郷である寧波に戻って、周到なる準備をしてくださった御陰で、民間人で歴史研究愛好家の楊先生から解説付きで、普段では一般公開されていない「仏舎利」を拝見することができ、また、阿育王寺と天童寺の方丈(ご長老)それぞれと面会し、ご講話を拝聴することもできて、学生達も大いに感動したようだった。また、寧波を離れる前に、在家仏教徒達の集会所・居士林で、盛大な歓送式を催してくださった。居士林会長の徐女史の暖かい笑顔は忘れられない。周華さん、胡例波さん、丹波さんに心から感謝。足裏マッサージの御陰さまで木下先生も青木も活力を取り戻したのだつた。明日はいよいよ訪問最後の地・上海へと向かう。
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国