中国の今を知る、中国の未来を読む。

2009年01月26日

香港の友人・福岡の食文化の豊かさに脱帽

 「麗子さん、福岡市内にも山があるのですね、全然知らなかった、今まで何度も福岡にきたのに、ここの景色は香港の景色とよく似てるね、本当に素晴らしいところに案内してくださって、ありがとう」少し前、今は上海に在住しているが、元は香港でグレードの高い高級ホテルで、長年総支配人として、才能を発揮していた友人がご家族を連れられて福岡に遊びにきてくれた。せっかくきてくれたから、何か思い出に残るような場所で夕食にでもご招待しようと思い、お店をあれやらこれやらと思いを巡らせた結果、小高い丘の中腹にあるとあるレストランに決めた。世界の最高級料理を食べ尽くし、舌がとても肥えている彼らに喜んでもらうためには、はやり、和の心でおもてなしができる場所しかないと思い、そのお店を選んだ。百万ドルの香港の夜景には勝てないけれども、それはそれなりに、風情があり、きっと喜んでくれるはずと確信した。「わーーー、すごい、私はこの雰囲気が大好き、このカウンターに座ってもいいですか」、ご夫人・ジェネファーがお店に入れるなりに大喜び。大きな蒸籠をバックに、九州一円から集められ、土の香りが残り、みずみずしいお芋、なす、きゅうり 、オクラ、椎茸などなどが、きれいに並べられているカウンターがすっかり気に入ったようだった。
 さて、最近、私が気づいたことがある。それは、福岡に本当にセンスがよく、
新鮮な食材を活かし、美味しい料理を食べさせてくれる素敵なお店が増えたことだ。そして、決してゴージャスではないが、落ち着きのある雰囲気の中で、お料理にあわせながら、ワインを楽しみ、会話が弾む。それは世界にも誇れる素晴らしい食文化なのではないか、福岡の一住民として誇らしく思うのは私だけではないはず、この良さをもっともっと世界の人々にも届けたい。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2009年01月19日

この世に生を受けて50年に思いを馳せて Part 2

 この50年間、中国はまさに天と地が引っ繰り返るほどに変わった。

 50年代には大躍進、60年代には文化大革命という忌まわしい動乱、70年代末には、毛沢東、周恩来などの建国創始者の歴々が相次いでこの世を去り、中国の人々の心から明かりが消え、暗黒のトンネルへと突入した。
 が、しばらくしてから、中国の人々は再び元気を取り戻し、毛夫人・江青を中心とする四人組が逮捕され、中国には新たに生まれ変わるべく、大きなマグマが膨れあがった。そこに鄧小平が三度の失脚から再び復活し、改革開放政策が実施、市場経済システムが導入され(実質的には資本主義自由経済システム)、シンセン市を「経済特区」、いわゆる資本主義自由経済の実験地域として指定し、成功を収めた。
 以来、中国経済は異例と言うべく、二桁成長が10年以上も続き、今ではドイツを追い越し、アメリカ、日本に続き、世界で三番に大きい経済大国となった(歴史的に言えば復活したというのが正しい、なぜなら、二百年前までは世界で一番の経済大国だったから)。
 しかし、成長と共に、実に抱えきれないほどの社会問題も同時に大きく膨らみ、今はパンク寸前の状態にある。2008年は、中国にとって、北京オリンピックの開催年という歴史に残る一年であったと同時に、政経矛盾が顕著化した一年でもあった。

 2009年はスタートを切ったが、2009年が、中国にとって、未来へ向けて、世界の人々から尊敬される「品格有る大国」として、新たな国作りの元年となることを信じてやまない。
 私もまた、これまで数々の波乱の道を乗り越え、活かされてきたのだから、これからは今まで以上に、日中両国の狭間で残された限りのある命を精いっぱい燃やしつづけて行きたい、愛する家族と共に。


 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2009年01月12日

この世に生を受けて50年に思いを馳せて Part 1

今から50年前の1959年、中国は正に新中国が成立してから10周年を迎えた年で、大躍進の時代と呼ばれていた時期だった。
 大躍進と言えば、なんとなくいいように聞こえる。しかし、実態は大変な時代だった。ご存じのように、当時、中国共産党を率いる毛沢東が、終戦後、旧ソ連から共産主義を中国に導入し、ソ連を兄貴と仰ぎつつ、ソ連の支援を取り付けながら、戦後の復興を果たした。しかし、時間が立つにつれて、両国間には見解の相違が現れ、中ソの間に矛盾が顕著化し、次第に対立関係となった。
 
 そして、1958年にはついに、両国が仲違いをし、ソ連政府は中国国内にあるプロジェクトを全部本国へと引き揚げ、両国の関係は途絶えた。ソ連の支援を無くした中国の経済は窮地に追い込まれ、食料が不足し、恐ろしいほどにインフレとなり、餓死者が続出し、人々は途方に暮れた、、、。
 
 そのような時代に、私はこの世に生を受けた。
 あれから50年、私は一人の日本人として、翻弄されつつもずっと中国と向き合いながら、中国の変化を絶えず見つめてきた。

    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2009年01月05日

ピンチはチャンス

 新年あけましておめでとうございます。

 皆様、昨年はどのような一年だったのでしょうか。
 私は、お陰様で、昨年は変化が多く大変充実した一年を送らせていただきました。
福岡県留学生サポートセンター長就任、鑑真プロジェクトの実現、福岡県知事に随行して初めて台湾を公式訪問、どれを取り上げても生涯忘れることのできない歴史的な思い出となりました。
 また、昨年は、「青木麗子の中国風大地」をご愛顧いただき、ありがとうございました。私の拙いブログが、皆様の中国事情に対するご理解を深める上の一助にでもなれたのなら、これほど嬉しいことはありません。今年も、刻々変わりゆく中国のナマの情報を皆様にお届けすることができますよう、努力を重ねて参りたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 さて、昨年の9月にアメリカのリーマンブラザーズショック以来、欧米のみならず、その激震は広くアジア地域にも及んできています。もちろん中国も論外ではありません。世界中が今ピンチに立たされ、人々は不況ムードに押しつぶされ、意気消沈しつつ,明日への不安を抱えたまま、新しい一年を迎えたに違い有りません。しかし、私が思うに、こういう時だからこそ、しっかりと希望と夢、そして勇気をもって立ち向かって行く必要があると思うのです。
 人の生命だって、絶望をした時にすべてが終わるというのですから、元気を出して、頑張っていきましょう。
 
 ピンチはチャンスをモットーに。




  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々