中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2009年10月26日

梅蘭芳・実は江蘇省の出だった

 梅蘭芳(1894年京劇の名門の家に生まれた)と言えば知らぬ人はいないというくらい世界でも著名な中国を代表する京劇芸術の大家だ。梅蘭芳は京劇の女形になるべくして生を受けられたかのように、実に端麗で気品あふれる容姿で、一度彼の劇を見たものは瞬く間に虜になってしまうほどだったという。生きた時代が違っていたので、映画の中の梅蘭芳しかしらないけれども、大の梅蘭芳のファンである私はかつて、北京にある梅蘭芳がかつてお住まいになられたお屋敷には、幾度もなく尋ねたことがあった。でも、梅蘭芳の故郷が江蘇省泰州市であったとは知らなかった。先日、仕事で泰州市を訪れた時に、仕事の合間を縫って梅蘭芳記念館にも足を伸ばした。展示されている過ぎし日の梅蘭芳の写真の数々を拝見し、梅蘭芳がどれだけ日本を愛していたかを改めて気づかされ、胸が熱くならずにはいられなかった。梅蘭芳は1919年に初めて日本で公演を行って以来、三度も日本を訪問された。彼が同じ国で三度も訪問した国は世界中でも日本だけだという。しかも、1924年に関東大震災が発生した時には、梅蘭芳は日本の復興事業を支援するために、劇団を率いられて日本にやってきて、東京と大阪で十数回も講演され、講演で得られた興業収益をすべて被災地に寄付されたらしい。ところで、話はかわりますが、現在の中国の国家主席の胡錦濤さんが生まれ育ったのも江蘇省の泰州市であるということ日本では意外にもあまり知られていない。市として独立してまだ日が浅い泰州市の前途が洋々たるものがあるということを感じた。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2009年10月19日

福岡−上海ヤングネットワーク・縁縁会の皆様と久々に再会

 南京訪問の帰りに、上海に立ち寄った。ここしばらく仕事が忙しかったので、上海に行っても中々ゆっくりできる時間がとれずに、縁縁会の皆様ともご無沙汰だった。今回は、なんとしても皆様と久々にお会いして語り合いたいと願っていたので、念願が叶って、急な連絡にも関わらず、八割以上のメンバーの出席を得ることができた。五年前に福岡県上海事務所の開設と併せて、発足させたこのヤングネットワークのメンバーのほとんどが福岡県内の大学での留学経験者で、基本的に福岡が大好きな若者達である。福岡県上海事務所開設と併せて上海事務所の顧問に就任した私は、上海における福岡のサポーターズを育てなければならないと考え、以前福岡で留学された時によく面倒をみていた数人の元留学生に呼びかけて会をスタートしたが、今では30名を超えるメンバーとなった。三年前には、縁縁会のメンバーと共に、上海復旦大学創立百周年に併せて、復旦大学の新キャンパス内に百本の桜を植樹し、今では日中両国の若者達の交流のシンボルとなっている。久々に会を開いたら、数人の新しいメンバーが参加してくれた。彼女たちはみんな九州大学法学部を卒業し、今上海で法律事務所を立ち上げ、日系企業の中国ビジネスをサポートしているのだという。福岡と上海話繋ぐ絆が増えて、本当に嬉しく思った。
    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2009年10月13日

中国・明るい未来をみたような気がした

 我々日本青年訪中団一行を乗せたバスが武漢・華中科技大学のキャンバスに入っていくと、広大なグランドに迷彩服を着た大勢の若者達が、手を大きく振りながら、天にも届くような大きな声で「1、2、1、2」と声を掛けながら、グランド中を駆け回っていた。「あの若者達は何をしているのですか」キャンパスを案内してくださっている華中科技大学学生会主席に私が尋ねると次のように教えてくれた。「ああ、あの若者達は、9月に入学したばかり新入生達です。中国では、どこの大学も入学したばかりの新入生に対して、約一ヶ月間、軍事訓練を実施しているのです。新入生達はそれを全員受けなければならないのです。教官も現役軍人ですので、学生達は、軍隊に入った時の新入軍人と同じような厳しい訓練に絶えなければならないのです。大変ですが、僕の体験からして、軍事訓練は団体生活、規律を守るという意味からして、非常に重要なことのように感じます」「ところで、貴方は武漢のご出身なのですか」
「違います。僕は黒竜江省の出身です」「ええ、そうなのですか。しかし、黒竜江省にはハルピン工業大学という非常に著名なる理工系の大学があるのではありませんか、どうして、こんなに遠い武漢の大学にきたのですか」「僕は一人っ子として、親から大切大切に育てられてきました。しかし、親のそばにずっといると自立することが中々できないと思うのです。それで、わざと親から遠く離れているこの大学にきたのです。親から遠く離れていると親の有り難みを初めてわかるようになったし、はやり来てよかったと思っています」と、そう清々しく答える青年を見ていると、中国の明るい未来をみているような気がした。

   


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2009年10月05日

これらの若者達がいるから 日本の未来も捨てたものではない

 天高く馬肥える素晴らしい季節に、日本青年訪中代表団一行総勢500名は、いくつものフライトに分乗しながら、9月16日夕方までに全員無事に北京に辿り着いた。
今回中国を訪問した青年代表のほとんどが初めて中国の国土を踏み入れられたらしく、北京の雄大さ、歴史の深さ、古都の中に聳え立つ斬新な建造物の数々に遭遇して、若者達は一応に驚きが隠せない様子だった。特に、17日では、長安街に佇む北京を代表するホテル「北京飯店」大広間で開催された「日中青年交流の夕べ」では、日中双方の国家指導者の方々が臨席の下に、日中双方で800名近い若者が一堂に集い、エネルギッシュな中国の若者達との交流を通して、大きな刺激を受けたことに違いない。今、日本の若者達は中々外にて出て行こうとしない中に、今回、この青年交流プログラムに参加された190名の若者達は、自ら応募し、700名の応募者から選ばれた190名だとあって、非常に積極的かつしっかりとした自分の意見と考えをもった若者達で、どの場面においても中々堂々たる態度で交流に臨むことができ、そばで見ていて、実に頼もしく微笑ましく、彼らがいる限り、日本の未来も捨てたものではないと心からそう思った。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国