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2010年05月10日

鑑真和上の足跡至る所に

 広州から車で1時間半ほどのところにある肇慶は、山水が美しいということで広東省の小桂林と呼ばれている地域として名を馳せているが、しかし、そこは私の想像を遙かに超える素晴らしい所だった。特に鼎湖山の自然風景が美しい。鼎湖山の頂に慶雲寺という大きくて立派なお寺があり、そこで偶然にもそのお寺が鑑真和上縁のお寺であったこと、而も榮叡が病に倒れなくなられた場所でもあったことを知り胸が熱くなった。ご存じのように唐の時代の高僧・鑑真和上は、仏教の正式な戒律を伝授してほしいと日本・興福寺からきた榮叡と大安寺からきた普照という二人の僧侶に懇願され、日本へ渡航することを何度も試みるが失敗。748年に再び5度目の渡航にチャレンジするが台風に遭い船が海南島に漂着、その後、一行は余儀なく桂林経由で広州・肇慶にあった白雲寺(今の慶雲寺)に辿り着き、長い間そこで滞在された。そして、6度目の日本への渡航を待たずに、栄養失調と過酷な旅ですっかり衰弱しきった榮叡は高熱に苦しんだ挙げ句、慶雲寺で帰らぬ人となった。だれよりも榮叡の死を嘆き悲しまれた鑑真和上もそれを機に体力がすっかり弱まったという、、、。ところで、話は元に戻るが、その日、私達は時間がなく訪ねることができなかったが、実は、慶雲寺の麓にある脇道のところに「榮叡碑亭」があるらしい。広州市には鑑真和上がしばらく滞在したことのある光孝寺もるというから、いつの日か、改めてその地を訪れ鑑真和上の足跡を辿ってみたい。
      


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国