中国の今を知る、中国の未来を読む。

2010年05月31日

大連・アカシア祭り

 5月24日、さわやかな五月晴れの下、大連・アカシア祭りの開幕式が市内の労働公園にて盛大に行われた。労働公園の中にある湖の中に大きな水上ステージが作られ、湖の周辺には大勢の大連市民や海外からの来賓で埋め尽くしていた。今年は異常気象のため、アカシアの開花が通常よりも一週間ほど遅れていたらしく、開幕の日、アカシアのお花は、まだ蕾のままだった。お花がない開幕となったが、しかし、開幕式では、大連の歌舞団の華麗なダンスやスリル満点のアクロバットに加え、日本からも迫力満点の和太鼓の演技に、鯉のぼりをモチーフにデザインされたドレスのファッションショーが行われ、ステージを華やかに飾った。通常、このようなステージで出される日本のアトラクションは地味で迫力に欠けるものが多いのだけれど、この日和太鼓もしかり、ファッションショーも実に華やかで、本当に素晴らしかった。日本勢、国際的な舞台でどうでれるべきか、だいぶん慣れてきた感じで、微笑ましく思った。
 

    


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2010年05月24日

今年の薔薇は一段と鮮やかで

 鎌倉を十分に堪能した後に最終便で福岡に戻った。家に戻り時計を見るとすでに11時が回っていた。しばらくは家族とこの一週間の出来事について話していたが、睡魔が襲いかかり、気がついたら座ったままで夢の世界へ。翌朝、目が覚めて、窓のカーテンを開けてみると、空が澄み渡り、素晴らしい晴天だった。いつものように庭に出て、美味しい酸素を胸一杯に吸い込もうとした瞬間、壁一面に咲いている薔薇の花が目に飛び込んできた。今年こそはたくさんの花を咲かせたいと考え、せっせと肥料をやり、草をとって、愛情をたっぷり掛けたので、そのことに答えてくれるように、綺麗な花がたくさん咲いてた。一週間前に家を出たときにはぽつぽつとしか咲いていなかった庭のバラが咲き乱れてた。もう一つ、実は20年ほど前に、中国山東省・曲阜の孔子廟から分けていただいた小さな「槐の木」(車の上)が一段と大きくなり、家の正門の脇の庭で天にも届きそうに聳え立ってた。かぜにゆらゆらと揺れる新緑の枝がとても美しかったので、思わずシャッターを切った。忙しい一週間であったが、心に栄養とエネルギーをたくさんいただいた一週間でもあった。さて、来週もまた中国。頑張らなくちゃ。




  


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2010年05月17日

憧れの鎌倉を訪ねて


 先週はとにかく忙しい一週間だった。上海、南京、そして東京に鎌倉。
中国・安徽省和県での出張を終えてから、一人で南京より列車で上海へ移動。
翌日、上海虹橋空港から羽田空港へのシャトル便に乗り、東京入りし、観光庁の検討委員会の会議に出席。夜は会合に参加。翌日の土曜日午後には久々に早稲田中国塾で「中国こぼれ話」と題してスピーチ。懇親会に顔出しつつ終電前の飛び乗り横浜へ移動。日曜日、若いときから一度は行ってみたいとずっと思っていた鎌倉まで足を伸ばした。鎌倉、私が想像したとおり、歴史と文化が蓄積され、実に情調に溢れしっとりとした素晴らしい街だ。
報国寺の竹林に美しい日本庭園、雄大な鶴岡八幡宮など、いずれも素晴らしかった。
私は年間で二十回を超える中国出張が入り、とても忙しい日々を送っている。
でも、どんなに忙しくとも常に平常心を持ちたいと思い、時間さえあるとよく神社仏閣を尋ねたり植物と対話をしたりするようにしている。5月の鎌倉は新緑が目映いほどに美しく、大勢の観光客で賑わってた。どれだけ歩いたか、商店街の脇にある細い路地に入ってみたら小さな美術館を見つけた。中に入ってみると私の大好きな北大路廬山人の特別展が行われいるのではないか。陶芸作品、書画作品などなど。私は、無骨でごつごつとした廬山人の陶芸作品が大好きで、それらの作品は人々の心を温かく包み強いエネルギーをもたらしてくれるようなそんな不思議な力があるように思うからだ。


  


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2010年05月10日

鑑真和上の足跡至る所に

 広州から車で1時間半ほどのところにある肇慶は、山水が美しいということで広東省の小桂林と呼ばれている地域として名を馳せているが、しかし、そこは私の想像を遙かに超える素晴らしい所だった。特に鼎湖山の自然風景が美しい。鼎湖山の頂に慶雲寺という大きくて立派なお寺があり、そこで偶然にもそのお寺が鑑真和上縁のお寺であったこと、而も榮叡が病に倒れなくなられた場所でもあったことを知り胸が熱くなった。ご存じのように唐の時代の高僧・鑑真和上は、仏教の正式な戒律を伝授してほしいと日本・興福寺からきた榮叡と大安寺からきた普照という二人の僧侶に懇願され、日本へ渡航することを何度も試みるが失敗。748年に再び5度目の渡航にチャレンジするが台風に遭い船が海南島に漂着、その後、一行は余儀なく桂林経由で広州・肇慶にあった白雲寺(今の慶雲寺)に辿り着き、長い間そこで滞在された。そして、6度目の日本への渡航を待たずに、栄養失調と過酷な旅ですっかり衰弱しきった榮叡は高熱に苦しんだ挙げ句、慶雲寺で帰らぬ人となった。だれよりも榮叡の死を嘆き悲しまれた鑑真和上もそれを機に体力がすっかり弱まったという、、、。ところで、話は元に戻るが、その日、私達は時間がなく訪ねることができなかったが、実は、慶雲寺の麓にある脇道のところに「榮叡碑亭」があるらしい。広州市には鑑真和上がしばらく滞在したことのある光孝寺もるというから、いつの日か、改めてその地を訪れ鑑真和上の足跡を辿ってみたい。
      


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2010年05月03日

書道を愛する人々の憧れの逸品・端渓の硯

 広州市に滞在している間、一日は端渓の硯で著名な街・肇慶に足を運んだ。端渓の硯と言えば、日本でも書道を愛する人なら、その名を聞いただけでも目の色が変わるほどの逸品だということを聞いたことがあるが、なぜそうなのか、肇慶に来てやっとわかった。肇慶には七星岩風景区という素晴らしい一大国定公園があるが、その風景区内には、いくつもの岩山が点在し、そこでとれる岩石が人の肌のように滑らかで硯にもっとも適しているというのだ。気温、湿度、正に天の恵みがもたらした素晴らしい石材。さすが硯の故郷。街に入ると硯工場や硯の売店が至る所に。せっかくなので肇慶で一番由緒あるのだという硯工場に立ち寄った。敷地に入ると大きなガジュマルの気の回りに硯を作る前の原石が山積みされている。その横に工房があったが、入ってみて驚いたことは、機械ではなく、すべて人工で研磨し手で彫刻していたことだ。端渓の硯、日本で買えば目玉が出るほどに高いが、制作しているところを見れば、納得した。工場の横にある直売店に入ってみると、硯、硯、硯、書道を愛する人々の憧れの逸品・端渓の硯がそこら中に溢れていた。

  


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