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2010年10月25日

歴史を乗り越え、友好の桜・南京に根ざす Part 4

 そして、始めは進藤一馬さんの悲願を実現する思いから、県民運動に変え、一千名を超える福岡県民から桜植樹募金が寄せられ、一万三千本の梅の木が植えられている梅花山の隣接地に、三千本の桜が植えられた「福岡—江蘇友好桜花園」誕生したのです。梅と桜。運命の絆の花が同じ大地の下に深く深く根を下ろし、江蘇省の皆様の深い愛情を受けながら、健やかに育ち、毎年美しい花を咲かし、日中両国の人々の心を和ましてくれているのです。
 福岡—江蘇省友好桜花園、来年には十五周年を迎えることになります。今では毎年、桜が咲く時期になりますと、多くの日中両国の国民が友好桜花園を訪れられていますが、私も幾度となく訪れました。南京はいつ来ても深く温かく包み込んでくれて、わたしはの大好きな街なのです。この度、福岡経済同友会の皆様と共に、南京を訪れるチャンスに恵まれたことは、私にとって格別な意味を持つ出来事でありました。
「さくらさくら、桜の国に我れ生きて、花のさかりの、春に又逢う」福岡—江蘇友好桜花園の真ん中に鎮座している進藤一馬先生の石碑もまた、みなさんの訪れを心待ちにしているに違いありません。来年もまた、桜が咲く頃に、南京で逢いましょう。
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2010年10月18日

歴史を乗り越え、友好の桜・南京に根ざす Part 3


 今から二十数年前に、福岡市には進藤一馬さんという名市長がおられました。実は、孫文先生の亡命を匿った人物の中のお一人である進藤喜平太さんが正に進藤一馬さんのお父上様で、そのために、進藤一馬さんは若き頃から、孫文先生を大変尊敬しておられたようです。そして、ご存命中に、幾度となく、一度は中山陵にお参りし、孫文先生がこよなく愛しておられたという桜の木を孫文先生が眠られる中山陵の傍らに植樹をしたいと仰っておられるらしく、そのことをそばでお聞きになられていた、進藤一馬さんを政治の師として尊敬してやまなかった新宮松比古さんが、いつか、その願いを叶えてあげたいという思いをずっと暖めておられたようでした。
 しかし、南京という歴史的因縁のある土地柄に「桜」。そして、孫文先生の亡命を匿った間柄といいえ、日本では右翼という烙印が押されている玄洋社、、、。それを聞いただけで周りの空気は一気に凍り付いてしまうのでした。だけれども、孫文先生と玄洋社との関係、進藤一馬さんが孫文生に対する尊敬の念、桜植樹に込められる思い等々について真摯に説明をした結果、ついに江蘇省の皆様からご理解とご賛同を得ることができ、桜植樹を共同の事業として取り組むことが決定したのです。当時、私も通訳として、ずっとその事に携わって参りました。
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2010年10月11日

歴史を乗り越え、友好の桜・南京に根ざす Part 2


 今から十五年前に、当時福岡県議会議長を務めておられた県会議員の新宮松比古先生によって、中山陵に友好の桜植樹のご提案がなされ、江蘇省人民代表大会(州議会に相当)の絶大なるご理解とご支援を取付、福岡県、地元政財界そして数多くの福岡県民から募金を募り、一年の歳月を経て一九九六年二月に実現されたのです。しかし、友好の桜の園を実現に漕ぎ着けるまで容易なことではありませんでした。実に多くのハードルを乗り越え、その上に実現したということを改めて触れておかなければならないと思いますし、このことに触れることで、江蘇省の皆様に感謝する気持ちと熱きものがこみ上げてこずにはいられません。
 そもそも、中山陵に桜植樹をとの思いは、福岡にあった玄洋社と孫文先生との関係に遡りますが、辛亥革命の時期に、孫文生は革命に幾度と失敗し、その都度、難を逃れるために度々日本に亡命をされるのですが、十年にわたる日本亡命生活の中で、九州・福岡の地にも度々訪れられ、頭山満、宮崎滔天、玄洋社の進藤喜平太などの人物から温かい支援を受けられたことは皆様ご周知の通りです。
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(1)福岡とアジア

2010年10月04日

歴史を乗り越え、友好の桜・南京に根ざす Part 1


 9月26日早朝、雨上がりの南京は清々しい。緑のトンネルを織りなすどこまでも続くポプラの並木道を通り抜けながら、福岡経済同友会訪中団一行を乗せた大型バスは一直線に、今でも中国国民から中国建国の父として広く敬愛されている・孫文先生が眠る「中山陵」の麓にある「福岡—江蘇友好桜花園」を目指して突き進で行きます。
 中山陵に到着し、バスから降りると中山陵・国立公園管理局余金保局長が、微笑みを浮かべ悠然と手を振りながら私達を出迎えてくださいました。余局長のご案内の下に、一行は心ゆくまで、三千本の桜が植えられている友好桜花園を散策し、友好の桜花の園の由来について説明を受けながら、しばしの感動に揺れられていました。「福岡—江蘇友好桜花園」、福岡県と江蘇省が手を携え、今から十四年前に共同の努力によって創られたのですが、今では両県省にとって確固たる友好交流のシンボルとなっています。では、何故、友好の桜の園が中山陵に設置されたのか、意外にもご存じない方が多いので、ここでご紹介させていただきたいと思います。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア