中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2011年04月25日

中国の大地を駆け巡って



 4月16日、山東省の濰坊市に招かれて 国際凧揚げ大会に参加した。経済発展最優先の中国にも、28年間、地道に悠久なる伝統と歴史を持つ凧揚げ大会を
継続してこられた地域があるということに感動した。第28回目となる凧揚げ大会には中国国内外から約一万人が参加した。毎年日本からも大勢の凧揚げマニアが参加されているというが、今年は震災の影響を受けてか、参加者が少なかったようだ。
ほんの2日間の滞在だったが、濰坊市の訪問を通して、今中国の内陸地に新興都市がどんどん誕生し、そして、それらの新興都市が確実に成長してきているということを実感した。
 濰坊市の後に煙台・蓬莱市にへも足を伸ばした。ご存じのように、山東省は中国の一大リンゴ・ナシ、サンザシなどの果物の生産地で、広大な大地、行けども行けども果物畑と小麦畑が気が遠くなるほどに続ている。これから、中国は2020年に向けて農村の都市化が急ピッチで進められ、若者の農業離れと農村の高齢化は避けて通ることができない課題。しかし、14億人近い人口を抱える中国は、農産物を輸入に依存することは極めて非現実で自給率を確保して行く中での農村の都市化を模索しない道はないと思うのは私だけではないはずだ。この意味においても、日本の経験とノウハウ、そして技術が極めて重要な価値をもっていると思うし、大きな交流のポテンシャルを持っているに違いない。中国大地を駆け巡りながら、そう思わずにはいられなかった。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国

2011年04月18日

横井公使と北京での再会



三月の半ば、筆者は福岡県中国戦略調査団に随行して、北京、南京、蘇州、上海を訪問した。北京での訪問期間中に在中国日本特命全権公使横井裕さんを表敬訪問した。ご多忙の中、横井公使は自ら猛スピードで発展と変貌を成し遂げられている中国の事情について話してくださった。横井公使は80年代以後、度重ねて北京での大使館勤務と上海総領事館勤務をなされており、中国語が極めて堪能の上、中国事情に造形が深く、中国の知識人の間で極めて高い人気を誇る日本人外交官のお一人だということを上海の大学で教鞭を執っている中国人の友人からお聞きしたことがある。横井さんとは3年前に、筆者が早稲田大学の木下教授、谷野作太郎元大使、上海復旦大学の陳雲助教授ら有志の皆様と共に企画実施した日中青年交流事業「鑑真プロジェクト」の交流会で初めてお会いしたのだった。1.9メートルを超える長身なお体、流暢な中国語にユーモアたっぷりのスピーチにみんなが釘付けとなったことを今も忘れない。3年振りの再会、とても嬉しかった。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2011年04月11日

感謝中国・ガンバレ日本・立ち上がれ九州



 3月11日に宮城県、福島県などの地域が歴史的未曾有の大地震、津波、原発事故に見舞われてから、まもなく1ヶ月になろうとしている。今、国を挙げての救済復興支援活動が行われているが、しかし、自然の猛威が残した深い爪痕は今も生々しく、癒されるまでは気が遠くなるような時間が必要であろう。大切な肉親、家、財産などなどが奪われた被災地の方々の悲しみを思うと、心がどうしようもなく痛む。何もできない個人の無力さも感じざるを得ない。しかし、悲しく思っているのは我々日本国民だけではない。世界中の人々が日本の事を心配し支援してくださっている。私は今仕事で日本と中国大陸・香港の間を飛び交っているが、今回ほど中国の人々のやさしさと温もりを感じたことはなかった。政府役人、経済人、芸能界の方々はもちろんのこと、レストランや足裏マッサージ屋、タクシーに乗っても、私が日本人だと分かると「日本、大変だったね、大丈夫ですか、日本ガンバレ」と私の肩を叩き、温かく声をかけてくださる。中国の人々の皆さんの温もりに接して、目頭が熱くなり、言葉も出てこない。「被災復興支援」今や日本のみならず世界の人々のキーワードにもなっているようだ。そして、私の心が最も強く打たれたのが中国インターネットの書き込みだった。「加油日本」「為日本祈祷」つまりガンバレ日本、日本のために祈るなどの言葉とイラストが溢れているのではないか。災難を乗り越え、常に助け合う日中両国民であってほしいと心から願う。そして、日本が最先端技術を駆使し、忠誠心と日本人魂をもって、どう立ち直るのかを、世界が期待しているのだ。東日本が大変な時期にこそ、福岡・九州が頑張らなければならない。首都機能を引き受けるくらいの覚悟で福岡は立ち上がらなければ。今、福岡は桜が咲き誇っている。悲しみに沈むだけでは明日はない。花を見て故人をしのびつつ、感謝中国・ガンバレ日本・立ち上がれ福岡・九州なのだ。 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2011年04月04日

世界の宝・磯崎新先生



数日前に、日本のまちづくり/都市形成の鉄人的存在である藤賢一さんに誘われて、日本を超え世界を代表する建築家・磯崎新先生と夕食を共にさせていただいた。磯崎先生はこの度の東日本の大地震の影響を受けて一時的に福岡に避難をしてこられたのだという。私が磯崎新先生と最初にお会いしたのは2006年に福岡市が2016年のオリンピック招致に手を挙げた時にだったが、その時も御年すでに70の半ばは過ぎておられたかと思うが、スタントカラーの白いシャツに黒のロングジャケットを身に纏い、颯爽と歩かれるお姿が若々しく今でも印象深く残っている。久々にお会いする磯崎新先生は、変わらぬお姿で、先生の知的でユーモラスな語らいにしっかりと引き込まれるのだった。思えば5年前に、福岡市がオリンピック招致活動にチャレンジをした時、私は皆様から押されてオリンピック招致を支援する女性の会の会長として、招致活動に参加していたが、福岡市が目指すオリンピック会場及び選手村の設計は磯崎新先生の手に委ねられた。磯崎新先生は、日本のポストモダニズム建築の実践者として時代を牽引してきた方で、現在も世界中で大きなプロジェクトを行っている実践者であられる。また、時代を超え、建築論で大きな影響を与え、「建築の解体」を始めとする数々の名著により建築“論“によって古今東西の建築家に多大な影響を与えている。そして、未来を捉える目によって新たな才能、建築の可能性を広げる存在として、世界中の重要なコンペの審査員長を務め、数々の名建築をコーディネートしておられる方であられることは皆さんのご周知の通りである、、、。数十センチの至近距離で世界の巨匠と語り合えた時間は私の人生の宝となった。素敵なチャンスを与えてくれた藤さんに心から感謝。



 
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々