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2011年07月05日

悠久なる歴史の重慶が今生まれ変わろうとしている


 6月上旬頃、福岡九州経済ミッションが重慶市を訪問した。重慶市、日本人にとって馴染み深い地名である。けれども、日本人の頭の中にある重慶市と現在の重慶市とは大きな開きがあるはずに違いない。日本人の頭にある重慶市のイメージは恐らく二通りあるのではないかと思う。一つは、歴史的な重慶。巴蜀文化発祥の地として、紀元前11世紀頃に巴国の首都が置かれたこと、また、隋の時代、宋の時代など、いくつもの時代において、重慶はいずれも歴史的重要な役割を果たして場所であった。もう一つは、中央直轄市としての重慶。1937 年には国民政府の機能を重慶市に移したが、1949年に新中国が誕生した時に重慶市は中央直轄市として指定されることになる。けれども、1954年に諸般の事情によって、重慶市は四川省管轄下に置かれた。しかし、時代を経て、重慶市は1997に再び全国で4番目の中央直轄市に返り咲いた。
 2007年、胡錦濤総書記が重慶市を視察された際、重慶市は西部地域における重要な成長の核、長江上流域地区の経済の中心、都市と農村の発展が調和の取れた直轄市として位置づけられて以来、薄凞來書記のリーダーシップの下に、重慶市は大きな発展を成し遂げられている。今、重慶に進出している日系企業は120社前後、在留法人数も350名程度と聞くが、2010年には両江新区(工業団地に類似)が完成。そのことにより、悠久なる歴史の重慶が今発展する近代大都市として生まれ変わろうとしている。ところで、重慶市の名称の由来を知っておられる人も少ないと思うので、付け加えておきたい。1189年に南宋皇帝孝宋の第3子が恭州(後の重慶)の藩王に封じられ、また同年に帝位も譲られるという二重の慶事があったことから、それを記念するために、恭州を「重慶」へと改称したのだという。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)中国