2006年07月05日
青木の経歴
私は親の都合で幼少の頃は中国で過ごしました。
そのため、日本と中国の二つの国の文化の恩恵を受けて育ったので、
「将来は日本と中国をつなぐ架け橋の役割を果たしたい」と子供の頃からそう思っていました。
中国語スペシャリストということで福岡県庁国際交流課に勤めていたのですが、
90年代の初め頃までは福岡県と中国との交流が盛んではなく、悶々とする日が続きました。
その後夫の在外研究で一年間アメリカに行くことになりました。
アメリカから帰国すると、福岡県が「中国との交流を積極的に行っていこう」という方針に変わっており、
中国のどこかの地域と姉妹都市を結ぼうという案が出ていたので、県のほうから呼び戻され、
非常勤職員の形でまたそのお手伝いをさせていただくことになりました。
※次回掲載は、7/12(水)を予定しております。
そのため、日本と中国の二つの国の文化の恩恵を受けて育ったので、
「将来は日本と中国をつなぐ架け橋の役割を果たしたい」と子供の頃からそう思っていました。
中国語スペシャリストということで福岡県庁国際交流課に勤めていたのですが、
90年代の初め頃までは福岡県と中国との交流が盛んではなく、悶々とする日が続きました。
その後夫の在外研究で一年間アメリカに行くことになりました。
アメリカから帰国すると、福岡県が「中国との交流を積極的に行っていこう」という方針に変わっており、
中国のどこかの地域と姉妹都市を結ぼうという案が出ていたので、県のほうから呼び戻され、
非常勤職員の形でまたそのお手伝いをさせていただくことになりました。
※次回掲載は、7/12(水)を予定しております。
Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:12│Comments(1)
│青木麗子の日々
この記事へのコメント
来週が待ち遠しいなぁ・・・
Posted by よかよか市民 at 2006年07月05日 10:46
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