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2006年10月23日

上海—福岡サポーターズヤングネットワーク「縁縁会」の若者たち

上海—福岡サポーターズヤングネットワーク「縁縁会」の若者たち ~2~

 「縁縁会」とは、福岡と上海がたくさんのご縁に恵まれるように、そして、会のメンバーと福岡のご縁がえんえんと続くように、と言った意味が込められて、全員で議論した結果命名された。

 初代会長には、九州大学医学部で十年間解剖医学を学ばれた後、上海に帰国後は上海中医大学で教授をつとめられている周重建さんが就任、副会長には、留学は福岡ではなかったが、一度旅をして福岡を大好きなったといわれる陳雲女史が就任、陳雲さんは今、東のハーバードと呼ばれている百年の歴史をもつ中国の名門大学・復旦大学で国際関係の分野で助教授を務められている女傑。私も、「縁縁会」の生みの親として顧問に就任。

 メンバーには、九州大学で建築を学ばれた後、福岡の志賀建築事務所で数年間務められた後、帰国後は志賀設計事務所の上海事務所の所長を務める者、福岡大学でベンチャー論を学ばれて、帰国後、上海交通大学と福岡との間で、技術移転分野で架け橋のなっている者、また、IT分野、家具製造などなど、実に多岐多彩にわたっているのですが、今では、何かにつけて上海事務所の強力な助け人となってくれている。

 実は、昨年の7月、元の福岡県上海事務所は、福岡県の他、北九州市、福岡市、そして株式会社九州電力も加わり、ローカルスタッフに、コーディネーターと顧問の私も入れたら総勢十名という大所帯となりましたが、「縁縁会」の連絡事務局も元の福岡県上海事務所から、現在の九州上海事務所に受け継がれ、メンバーも約30名となっている。

 皆様の記憶にもまた新しいと思うが、昨年の春、上海で激しい反日デモが起きて、日中関係に出口が見えない暗いくらいトンネルに突入し、私は無力感と絶望のどん底に陥ったのだった。実は、このような状況の中でもっとも辛い立場に立たされていたのが、彼等のような日本滞在経験者でったことを知って欲しい。しかし、まわりの人々から、どんなに冷たい目で見られていても、日本との架け橋になるという強い心は決して揺さぶられることがない彼等を見ていると、日本と中国には、まだ希望がもてるんだという勇気が沸き、よし、私も間張るぞという気持を再び持てるようになった。

※次回掲載は、10/30(月)を予定しております。

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Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00│Comments(0)福岡とアジア
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