2008年03月31日
青木麗子同時通訳チームがついに産声を上げた
今の青木麗子は、どちらかと言えば、日中ビジネスコンサルタントのイメージの方が
強いのではないかと思う。しかし、青木麗子は1985年から今日に至るまでずっと通訳の
仕事をさせていただいてきたのである。中国の国家要人来福時のメイン通訳、国際会議や
ビジネス商談などなどの通訳を仰せつかるチャンスに恵まれた。私は、言葉を介して、
人と人を繋ぐこの仕事が大好きで、神様に与えられた天職のようにも思える。
ところで、今まで無我夢中で走ってきたが、気がつけば私ももう少しの所で50才に
手が届きそうな年齢を迎えた。そろそろ、福岡のためにも後輩を育てなければと
しみじみと思う今日この頃なのである。中でもこの福岡の地でどこにでも通用する
一流の同時通訳チームを育てることが私の長年来の夢であった。
同時通訳は通常の逐次通訳とは違って、チームワークなので、通訳のレベルはもとより、
仕事をより円滑に進めるためには、通訳同士の信頼感も非常に重要な要素となる。
実は昨年の秋、九州大学法学研究院で「日中公法学シンポジウム」が開かれたが、
会議は同時通訳スタイルで進められた。実は九州大学法学研究院からのご依頼により、
青木麗子同時通訳チーム(5名)で、日中双方で12名の先生の皆様方の論文発表の
通訳を担当させていただいた。
原稿などの入手が思ったより手間取ったらしく、準備や打ち合わせの時間が
十分にとれなかったので、最初はどうなるかと心配で眠れない日々が続いたが、
みんなが心を一つにし、助け合いながら一生懸命に取り組んだ結果、大任を立派に
果たすことができたのではないかと思う。このような素晴らしいチャンスを
与えてくださった九大法学院の先生の皆様方に改めて感謝。
※次回掲載は、4/7(月)を予定しております。
強いのではないかと思う。しかし、青木麗子は1985年から今日に至るまでずっと通訳の
仕事をさせていただいてきたのである。中国の国家要人来福時のメイン通訳、国際会議や
ビジネス商談などなどの通訳を仰せつかるチャンスに恵まれた。私は、言葉を介して、
人と人を繋ぐこの仕事が大好きで、神様に与えられた天職のようにも思える。
ところで、今まで無我夢中で走ってきたが、気がつけば私ももう少しの所で50才に
手が届きそうな年齢を迎えた。そろそろ、福岡のためにも後輩を育てなければと
しみじみと思う今日この頃なのである。中でもこの福岡の地でどこにでも通用する
一流の同時通訳チームを育てることが私の長年来の夢であった。
同時通訳は通常の逐次通訳とは違って、チームワークなので、通訳のレベルはもとより、
仕事をより円滑に進めるためには、通訳同士の信頼感も非常に重要な要素となる。
実は昨年の秋、九州大学法学研究院で「日中公法学シンポジウム」が開かれたが、
会議は同時通訳スタイルで進められた。実は九州大学法学研究院からのご依頼により、
青木麗子同時通訳チーム(5名)で、日中双方で12名の先生の皆様方の論文発表の
通訳を担当させていただいた。
原稿などの入手が思ったより手間取ったらしく、準備や打ち合わせの時間が
十分にとれなかったので、最初はどうなるかと心配で眠れない日々が続いたが、
みんなが心を一つにし、助け合いながら一生懸命に取り組んだ結果、大任を立派に
果たすことができたのではないかと思う。このような素晴らしいチャンスを
与えてくださった九大法学院の先生の皆様方に改めて感謝。
※次回掲載は、4/7(月)を予定しております。
Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00│Comments(0)
│青木麗子の日々
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。