中国の今を知る、中国の未来を読む。

2012年10月01日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(2/3)



青木:
奈良県と中国がこのように深い歴史的な繋がりを持っているということ、中国のみなさんは意外に知らない人も多いと思います。遷都1300年祭について、もう少し詳しくお話くださいませんか。

知事:
平城遷都1300年祭とは、日本の平城京、すなわち現在の奈良に都が遷都されてから1300年を迎えることを記念して、日本の歴史・文化がこれまで連綿と続いてきたことを“祝い、感謝する”お祭りでした。奈良に都が遷都されたのが710年でしたので、2010年がちょうど遷都1300年となったわけです。

青木:
なるほど、そうなんですね。ところで、平城遷都1300年祭に先立つ2008年に胡錦濤主席が日本を公式訪問された際、奈良県を訪問されておられますね。

知事:
はい、胡錦濤主席が当時の福田首相との会談のため訪日されるにあたり、訪問する地方がまだ決まっていないとお伺いしましたので、私が揚州市に行った際に、揚州市長の王燕文さんに胡錦濤主席に是非奈良にお越しいただきたいとの希望をお伝えしたところ、王燕文市長がすぐに北京に行ってくださり、本当に実現することとなったのです。

青木:
 そういえば、福田政権の前は、日中関係が非常に険悪な状態に陥っていましたね。
そのような状況をどうにかして打開したいという福田総理の思いが胡錦濤主席にも通じたのでしょうね。日中関係を改善する糸口は日中の長い交流の歴史の中にあるとお二人ともそう思われたのでしょうね。

知事:
そうだったと思いますね。揚州市も奈良と縁がとても深いところです。1300年前は聖武天皇が仏教徒に帰依されました。政権トップの天皇が受戒されるという大きな時代でありましたから、受戒のできる中国の高僧の来日を要請したことで、鑑真和尚が幾多の苦難を超えられた後に奈良に渡って来られた訳です。ご存知のように鑑真和上は揚州市の大明寺のご出身で、その縁で揚州市と奈良は今でも深いお付き合いをさせてもらっているのです。その事が胡錦濤国家主席の奈良訪問にも繋がったわけです。

青木:
胡錦濤さんも江蘇省のご出身でもありますから、とてもご縁を感じますね。

知事:
最近「遣隋使から見た風景、東アジアの視点」という本が出たのですが、その本を読んでとても面白いなと思ったのは、日本の聖徳太子と隋の煬帝の生まれた年代が5年違い、亡くなられた年代が4年違いで、同じ時代に煬帝がいて、聖徳太子がいたことです。煬帝と倭(日本)との交流を東アジアの視点から遣隋使小野妹子らを国際的な視点で日本の歴史を見ていることがとてもユニークだと思いました。当時の随の煬帝は北と南(揚州)を繋ぐ大運河を掘らしたのですが、その大運河は今も大事な水路として使われています。当時の煬帝は一生懸命やって悪評を全部引き受けて、後の唐の政治家は得をしたとも書いてあります。

青木:
そうですね、随煬帝は美女を求め船に乗って湘南の地を遊ぶ為に大運河を掘らしたとも今でも語り草となっているけれど、本当はそうではなかったですよね。大運河はいうまでもなく、昔も今も人と物を運ぶ大事な大動脈だったに違いありませんね。

知事:
その通りだと思いますね。随煬帝は優れた経済観念と国家経営の観念を持った方でした。一方、聖徳太子は国家経営よりも権力闘争に少し弱かったんじゃないでしょうか。信仰心が厚くて仏教に熱心であられた方でした。
当時は、日本の歴史の中でも大きな意味をもつ、法制度・律令国家と仏教を受け入れた時代です。唐の時代、韓半島を経た国際交流がなければ日本は文明の一つ橋を超えられなかったと思います。当時、漢字や仏教、お経が伝わったわけです。律令国家の元に、社会と政治のツールとして文字がないと国家組織が出来ないということで漢字が急速に受け入れられたのです。

青木:
鑑真和上と言えば、実は、数年ほど前に、日中関係があまりにも悪化し心を痛めていた私どもが、鑑真和上の強い信念と強靭な精神力を学ぶ為に、早稲田大学の木下教授、そして、先ほど言われました谷野元大使らと共に、日本の若者たちを連れて、大阪から鑑真号に乗って鑑真和上が日本に渡って来られた逆のルートを辿る旅をしました。中国に旅立つ前に、奈良にある唐招提寺を尋ねて鑑真和上が日本に渡ってきた当時の事等について研修しました。そして、中国に渡ってからは揚州市の大明寺はもとより、上海の復旦大学、杭州の浙江大学、江蘇省の南京大学、揚州大学などで交流を行い、若者達で日中両国の未来の事、日中両国の若者が共通して抱えている問題などについて討論しました。素晴らしい交流でしたよ。別れる時はもうすっかり様々な壁を乗り越え、みんなで抱き合って泣いていました。


<次週に続く...>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年09月24日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(1/3)



青木:

荒井知事、本日はお忙しい中にお時間をいただきありがとうございます。
今年は日中両国の国民にとって記念すべき日中国交正常化40周年の年です。このような記念すべき日に、中国と深い歴史の繋がりをもつ奈良にお伺いし、日本の政治家の中でもきっての中国通として著名な荒井知事から日中両国の交流についてお話を伺うことができ、とても嬉しく思っています。さて、早速なのですが、奈良と中国との繋がりの前にまずは、知事のおひととなりから伺わせていただきたいと思います。知事は中央官僚から国会議員を経て知事になられていますが、中央官僚から政治家になられた経緯と政治家になろうと思われたことについて少しお話くださいませんか。

知事:
私は奈良の出身で、大学を出てからまずは中央官庁・運輸省に入りました。中央官僚時代、最後の勤務先では海上保安庁長官を務めました。私が海上保安長官の時に中国を訪問しましたが、それが中国を訪問した最初の海上保安庁長官でした。
当時、中国の公安部長との間に日中の海上保安の協力協定の下地を作りました。その時の日本大使が谷野作太郎さんだったのですが、彼には本当にお世話になりました。

青木:
なるほど、荒井知事は中国通と言われているのはそこからなのですね。谷野作太郎元大使とは私も非常に親しくおつきあいをさせていただいております。数年前に谷野先生が総団長で、私が青年代表分団の秘書長として日本の若者達を数百人連れて中国を訪問したことがご縁でした。以来、谷野先生には何かとお世話になっています。

知事:
そうでしたか。谷野先生はとてもご立派な人物で、今も親しくさせていただいています。ところで、私が初めて海上保安庁長官として中国を訪問した時に、当時の公安部の辺防局副局長の陳さんのご案内の下に北京から瀋陽を回って列車で大連まで行って日本に戻りました。
その時に薄熙来さんにお会いしました。その時に案内していただいた陳副局長がご出世されて、その後に、消防庁のトップになられたようです。

青木:
 当時、薄熙来さんは大連市の市長を務めておられていましたね。外国企業の誘致にとても力を入れられていた時代で、大連が大変脚光を浴びていた時でもあったと思います。

知事:
そうだったと思います。大連は大変な勢いで発展していました。話は戻りますが、その頃、北東アジアの海上保安、警察同士が、国際犯罪に対して協力しないといけないということで、日中の協力体制の下地を作って、ロシア、アメリカ、韓国、中国、日本、カナダ北東アジアの主要国が入った海上保安庁長官の協議を行った事が私の人生の中でとても大事な誇れる仕事でした。ロシアとアメリカ、そして中国が参加したところが大きいですね。

青木:
当時ではそこまで漕ぎ着けられた事はそう容易なことではなかったと思いますね。

知事:
はい。そして、私が海上保安庁長官を退官する時に、中国に精通しておられた日本の政治家・二階堂俊博先生から連絡いただき、参議院選挙の奈良選挙区から自民党候補で出馬してくれないかと打診され、出馬の要請を受けました。少し迷った結果、出馬しましたが、それまでは政治家になろうなんて思ったこともなく、選挙の準備も何もしていなかったため、とても難しい選挙でした、結果的には当選しましたが。

青木:
人生には本人の思いにもよらぬ事が起きますね。しかし、初めてのチャレンジで当選したということは、知事は元々政治家としての素質をお持ちで、なるべくしてなられたんだと思いますね。

知事:
ありがとうございます。6年間参議院議員を務めておりましたが、今度は奈良県前知事の柿本さんから自分が引退されるということで、知事選のお話をいただいたのです。丁度、平城遷都1300年祭の直前だったのですが、知事になって是非、平城遷都1300年祭を成功させてほしいという話でした。1期目の大きな仕事は一昨年の平城遷都1300年祭でした。平城遷都1300年祭を進める中で、奈良の歴史の特徴は何かということを勉強した際に、当時は日本の律令国家としての礎を作った時期であり、仏教が伝来し聖武天皇が仏教徒になられ、唐との交流が盛んだった事が改めて分かりました。

青木:
まさに、遣隋使、遣唐使の時代、日本は中国大陸から様々なことについて学んだ時代でしたね。

知事:
奈良時代には、日本は中国や韓半島と深い繋がりがありました。東アジアの国際社会が形成されたのは宋以後の時代ですが、中国の歴史の中で国際社会に最も影響をもたらした時は、唐の時代と現在の中国の共産党時代ではないかと思いますね。日本にとっても国際化が豊かだったのは奈良時代と明治時代以降だけなんですね。奈良県は歴史を踏まえて日中新時代、東アジア新時代に貢献したいと考えています。



<次週に続く...>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月30日

山形県知事インタビュー(3/3)


青木:
 今、若者達はなぜ結婚しないのでしょうか、結婚に対する不安感があるんでしょうか。

知事:
 最近は、雇用が若い人が十代の方の半分弱が非正規雇用ですし、安定した生活が考えられないと、結婚できない方が増えているのではないか。若い人が安定雇用をしないといけない。
私が就任してからずっと取り組んでいることでして、平成21年実施したのですが、最初の1年で雇用創出プランを行ってそれを達成しまして平成22年、23年の2年間で2万人の雇用創出に取り組みまして、今年の1月に前倒しで達成しました。
ただ、内容を見ると正規雇用が少なく安定雇用を目指さなければいけということで今年度から山形県の新雇用安定プロジェクトを作って産業振興と雇用創出を一体的に取り組むということを今、やっている最中です。

青木:
 それはすごく重要な事ですね。雇用創出する産業の振興もとても重要ですね。雇用する場が少ないと雇用も増えないのですものね。

知事:
 そうだと思います。私は知事に就任してから雇用創出事業と少子化対策に力を入れて取り組んできました。先ほどお話しました婚活を含め子育ての支援といいますが、ライフサイクルに合わせた支援を行っております。就職もありますが、婚活をおこなって結婚をして育児、出産の時の復帰できる環境を作りたい。中々難しいところもありますが、社会的な問題として取り組んで盛り上げていかないと解決しないと思っています。

青木:
 さてさて、お話は変わりますが、山形県は中国とはどのような交流をなされていますか?

知事:
 山形県は黒龍江省と姉妹県省を締結しておりまして、今年で17年目となっています。
様々な交流事業を行っていますが、昨年10月にはハルビン市に山形県事務所を構えました。黒龍江省の中に事務所を構えた日本の地方自治体は、山形県が初めてでしたので、地元の皆さんから大変喜ばれました。

青木:
 黒龍江省の省政府所在地はハルビンですね。ハルピンロシアにも近く、中国文化とロシア文化が混在していて、非常に特色がある地域ですね。

知事:
 私が知事に就任した初めて海外訪問したのもハルビンでした。後は、香港に行ったり、上海、台湾にも行きましたが、今は毎年中国を訪問しています。

青木:
 今、中国経済は大きく発展していますが、知事の中国発展についてどのように見ていますか?

知事:
 本当にそうですね。中国は行く度に発展していまして、ハルビンも目覚しい発展で、行く度目を見張る発展を肌で実感しています。ところで、山形県は大きな経済県ではないけれど、東京や大阪と違ってもう一つの日本といわれています。7割が森ですし、自然豊かな環境の中で伝統が息づき、伝統芸能、文化をそのまま伝えている1400年の歴史を持つ出羽三山もありますし、歴史のあるとこで山に囲まれた山形県は、昔からの生活、自然と文化と調和させて生活している日本のひとつの典型的な地域だと思いますので、中国のみなさんが東京、大阪、仙台に来られた時に、山形県という昔からの文化を守っているような所にもいらしていただいたら日本人は昔からこういう生活をしているんだなということが分かりますので、中国皆さんに是非、いらしていただきたいと思っています。

青木:
 ところで、山形県はこの度の原発事故が発生した福島県と隣接していますけど、この度の原発の影響も受けなかったですか。

知事:
 そうですね。原子力発電所から山形との間には相当の距離があるのと、山形県の名の通り、高い山で山形県は囲まれていてそこでシャットアウトし、幸いにもこの度の原発の影響を受けずに済んでいます。近くて安全ということ、山形県は、お隣として、福島から1万3000人の方々の避難を受け入れてお互い助け合っています。

青木:
 では、最後に知事はこれから山形県をどのような県にしていきたいのですか?

知事:
 やはり自然豊かな山形県、文化を先人から引き継いで大事にしている両方を調和して心豊かにいけるように、人間の幸せ、人間らしく生きていける山形県をずっと伝えて生きたいと思っています。第3次山形県総合発展計画を策定して基本目標が緑と心が豊かに奏であい一人一人が輝く山形。しっかり未来の世代に引き継いでいきたいと思っています。

青木:
 是非頑張ってください。県民の皆さんも大きく期待しておられることと思いますし、女性の代表選手としてのご活躍を心からお祈りしています。本日はありがとうございました。

 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月23日

山形県知事インタビュー(2/3)


知事:
 ところで、中国の方にお聞きしますと、毛沢東さんの時に男性と女性は平等だと言われてから広がったとおっしゃっていたんですね。山形県では女性の方が4万人も多いんですよ。

青木:
 はい、そうですね。中国は封建社会が長く続きましたから、男尊女卑の価値観が根強く、社会を担う所が、女性は家族と食卓を共にすることさえも許されない時代も長く続きました。そこで、新中国(1949年)が誕生してから、エプロンを捨て、女性の社会進出を推進した当時の毛沢東さんは「天の半分は女性が支えている」という名言を残しています。

知事:
 「天の半分は女性が支えている」それは素晴らしい表現ですね。私は色々な会合に参加するのですが、やはり社長や官公庁の幹部などは男性が圧倒的に多いですね。もちろん、それがいいとか悪いとかではなくて、ただ、能力のある女性がきちんと登用される環境が必要だと思っていますので、私が知事になってから山形県庁で初めて女性部長を誕生させました。それから、今まで女性を配置していなかった、財政課、人事課にも女性職員を配置させるようにしまして、将来の女性幹部候補として育成していかないと、状況を変える事はできないですものね。幹部は一朝一夕では育ちません。10年、20年のスパンで考える必要があると思うのです。

青木:
 今は、日本でも盛んに男女共同参画を推進し、女性幹部の登用や、様々な委員会の委員の登用率を30%にしなければならないとやっていますが、しかし、私が思うに女性が物事を決定場面に参加することはとても大事な事だとは思いますが、それは数や権利だけの問題ではなく、実質的にそう言う強い意識を持つ女性が政治に参加することが大事であって、無理に数だけ揃えてもあまり意味はないようにも思いますね。そう言った意味では、我々女性自身の意識改革もとても必要だと痛感していますが、知事はこの点についてどう思われますか?

知事:
 私もまったくその通りだと思います。今のそのように考える女性も少しずつ増えて来ていると思いますが、しかし、私の年代というのは、外に出て出世しなくてもいいと思っている女性も多いです。でも、そのような状況の中でも、山形の県民性は実質女性が掴んでいるのかもしれません。私は夫が病気で他界しましたので、すぐに社会復帰しました。やはりいつでも社会復帰を出来るためにも、常に自分自身を磨いておかないといけないと思いますね。

青木:
 本当にそうですね。家庭を持てば、出産育児という時期を避けて通ることはできないし、そのような時期もまた非常に大事だと思いますね。今の日本では、女性の社会進出を促していますが、しかし、夫婦共働きを前提にある社会ではありません。ですので、働く若いカップルにとって、仕事と家庭をどう両立させるかが大きな問題となっていますね。
日本社会で夫婦が共働きするための環境整備が求められていると思いますが、その点について知事はどのようにお考えですか?

知事:
 そうですね、しかし、今の所これだという解決策は見当たらないのですが、日本はM字型が多いといわれてますよね。働いて結婚して子供を育てるために家庭に入り、労働市場から姿を消して、子供が大きくなった時に、社会復帰して辞めていくというのがM字型と言われていますが、山形県は意外とM字型ではなくて、台形に近いんですよ。
なぜかというと、山形は3世代同居率が日本一多くて、賃金が安い事も関係しているのかもしれませんが、働かないと生活していけないという事もあり、家族が育児、介護を分担してくれる、おばあちゃんが育児を手伝ってくれて、お嫁さんは若い頃働いて子育てが終わって、退職する頃におばあちゃんの面倒を見る、そのようなサイクルが出来てきたので、M字型ではなく辞めずに働いて収入を得て年金が付くようにしたらいいという考えの下に、働く協力体制が出来ているのではないかと思いますね。

青木:
 それ素晴らしいですね。三世代が同居し、自然体で生活を支えるサイクルが形成しているというのは一番理想ですよね。

知事:
 ただ、課題もたくさんありまして、農村部では昔ながらのお嫁さんという意識があるのかもしれませんし、賃金が低い、今山形県も核家族が進んでいますし、結婚しない方が増えています。少子化というのは晩婚化、未婚化が問題だと思います。
昨日、山形県の10年間のデータを見ておりましたがはっきり出ていまして、そこが原因だと思います。結婚する方と、しない方と別れていまして、トータルでみると減っているが結婚した方は逆に子供数が増えている。ですので、今一番大事なのは婚活を応援することだと思うので若者達の婚活応援事業に力を入れております、結婚応援する事業を日本全国で実施したらいいと思っているんですよ。

 

次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月16日

山形県知事インタビュー(1/3)

青木:
 
吉村知事、本日はお忙しい中ありがとうございます。今回は女性の知事ということでお会いできる事を楽しみして参りました。現在、日本全国で女性の知事は何名いるでしょうか?

知事:
 今の所、北海道、山形、滋賀の3名です。

青木: 
 今3名もおられるのですね。つい最近までほとんどいなかったですよね。今、日本には47の都道府県があって、長い間ずっと女性知事がほとんどいなかったような状況の中に、知事になられるまでの経緯を少しお話くださいませんか?

知事:
 はい、私は大学を卒業してから、広告出版の一般企業に就職し、3年4ヶ月勤務いたしまして、その間に結婚し、妊娠しましたので出産の為に退職しました。そして、故郷である山形県に戻って参りました。以後、専業主婦を20年ぐらいやっていまして、夫は弁護士をやっていましたが、夫が病気で他界した後に、私は社会復帰しました。
 大学時代に心理学を学んでいたので教育相談の仕事に復帰をしまして、2年間不登校のお子さんと関わりもあり、山形県の教育委員に推薦されまして、その間に県の方から入札監視委員、総合政策審議会など様々なお仕事を体験させていただきました。そのようなこともあったかと思いますが、知事選挙に出馬してくれと要請を受け、一大決心をいたしまして選挙に出馬し、知事に当選することができました。山形県知事としては50代目の知事になるのですが、女性の知事は初めてで、東北6県ありますが、ここでも女性知事は初めてということです。当選して今4年目に差しかかったところです。

青木: 
 なるほど、知事になられるまで、一般企業に勤められて、それからご結婚、ご懐妊を機に会社を辞められ、長年主婦の生活を送っておられた所に、知事選に担ぎだされる。普通ではありえないお話ですね。しかし、こうしてお会いしお話を伺っていますと、知事選に担ぎだされるのも不思議でない、そう思いますね。知事はやはり政治家としての資質を持ち合わせておられ、ただ、今まではそのような一面を持っておられることをご本人も含め、周りの方々も気づかないでいただけかもしれませんね。しかし、そうは言っても、知事とは全県民の運命を握っていると言っても過言ではない重要なお仕事で、それを背負って行く気概と覚悟がなければ、とてもできないお仕事ですよね。知事選出馬の要請を受けた時に迷いはなかったのですか?

知事:
 迷いましたね。元々私は政治家になりたいと思った事はありませんでした。ただ、政治というのは本当に大事なものだと私は若い頃から思っていまして、政治家を選ぶ選挙時の投票を怠った事は一度もなく、必ず投票には行っておりました。選挙で選ばれた政治家が政治をやって政治が私たちの生活の隅々まで及ぶわけですよね。政治ほど大事なものはないという意識は持っていました。 

青木: 
 それは大変なご決断をなされて知事になられたということですが、国際社会とくらべて今、日本国内において政治分野の女性リーダーが本当に少ないと思いますね。そのような社会環境の中で、知事になられてから女性知事ということで、壁にぶち当たったり困難に直面したりするようなことがありましたか?

知事:
 総体的な結論から言えばないと思います。というのも、周りは女性知事として見てくださるのですが、私自身はそのような意識はありません。私はあくまでも一人の人間としてやっていますので、男とか女ではなく人間としての私が政治をやっているので、男だからとか女だからという視点で考えないでやっています。
けれども、逆にその中で女性ならではの視点が入っているのではないかと思う時もあります。
例えば、昨年の東日本大震災の対応ですが、妊婦さんと乳幼児だけの為の避難所を設けたんです。それは山形県だけだと言われました。そういった乳幼児や妊婦さんが集団の中で生活するのは、赤ちゃんも泣きますし、お乳もあげないといけない、周りにも迷惑がかかるし、本人も気が引けたりしますから。私は自分自身の子育ての体験からそれは別の所があった方がいいと思いました。そういう女性の視点というのは男性ではできないと思うので、両方の視点が必要だと痛感しましたね。ですので、女性の政治家がもっと増えることが必要だと思います。

青木: 
 政治は人々の生活に密接していることが多く、人々を幸福にするために政治があるのですから、女性の視点は勿論、あらゆる視点が必要だと思いますね。しかし、今の所で日本の社会はまだまだそこまで辿り着いていないというのも事実ではないかと思いますね。長い間男性知事に慣れてきた県庁職員の中で、女性知事が誕生したことに対して戸惑っておられるなと感じることはございますか?あるいは、社会の中でも同じ、県民の皆さんが女性知事だからと特別な目でみられるということはありましたか? 

知事:
 ないと言うのは嘘になりますね。当選した最初の1年は私の服装やお化粧に対するご意見や感想が多かったので、ビックしましたね。そこは男性の知事にはない県民の皆さんの視点だと思いました。

青木: 
 そうなのですね。それって、やはり県民の皆さんはやはり女性政治家に対するある種のアレルギー反応なのでしょうかね。しかし、日本もしかり、アジア地域というのは女性が政治の領域に参加するという歴史が浅く、しかも、絶対的な数が少なかったので、ある意味しかたがない部分もありますね。女性の政治家の数が多くなってくれば、国民、県民の意識も、物の見方も変わってくるのではないかと思いますね。

知事:
 それが自然の形になればいいなと私は思います。子どもが育つ時にはおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんがいるのが当たり前の環境ですよね。社会に出てからもそういう環境の方が自然体で暮らしやすいのではないかと思いますし、職場でも男性も女性もいてその中で伸び伸びと能力を投与したりすることが必要だと私は思っていますね。
ただ、これが進むには教育などすごく大きいと思っております。私達の時代では考えられなかったことですが、私達の子どもの世代からは、学校の家庭科の科目も男女一緒に学習するようになりましたから、その辺りから感覚が少しずつ変わってきていると思いますね。
社会的背景というか育つ環境の中での価値観というのがとても大きく影響すると思うので、これは、一人ひとり個人的な思いというより、社会的な仕組みが背景から変えていかないと中々難しいのではないかと思うのです。 

青木: 
 私もまったくそうだと思います。人々の価値観は学校教育や家庭環境によって出来上がるのですから、教育が非常に重要ですね。



次回につづく >>

 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月09日

青木麗子が静岡県知事に直撃(6/6)

青木:
嵐が吹いたときも地震が起きたときも交流がと絶えることなく、盤石な関係を構築する必要がありますね。雨風に絶えられる盤石な日中関係が。知事、日本と中国の交流は大事だと思っておられますか?

知事:
とても大事だと思っています。中国建国の父は毛沢東主席で、新しく改革解放の時は鄧小平先生で、この両先生から学んで行くと思っていまして、毛沢東主席からは農村が都市を包囲すると思想があるので、これを頂こうということで日本は山国ですから山国で大都市を包囲しようと、富士山連合を作ろうと。
鄧小平先生は香港が中国に返還する時に一国二制度作られたと私はすばらしと思いました。日本は一国一政党なんですよ。一国一制度が完成しすぎて、一極集中で行き詰っていますので一国二制度あるいは台湾がもし建前上中国とすれば一国三制度でしょう。

青木:
なるほどですね。日本が今目指そうとしている道州制もそうなればと思いますね。一つの国であってもそれぞれの地方の特色が反映されるような制度があってもいいんですよね。

知事:
もともとは一国多制度で、中国の古典に老子の道徳経の言葉で、道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。一国三制度ということは一国多制度ということで、ですから私は鄧小平先生からは一国多制度を学ぶと。
毛沢東先生からは日本の田舎は山間地ですから山間の山で一番有名な山は富士山。
日本の富士山は北は北海道から南は沖縄に至るまで、伊達富士、故郷富士があるんですよ。富士山連合で次の時代を開くと。そのときの考え方は毛沢東先生と鄧小平先生だと思っています。

青木:
知事、本日は大変勉強になりました。知事は是非リーダーシップを発揮なされて、静岡県のみならず、日本をよりよく変えていただきたいと思います。知事のますますのご活躍をお祈りしています。

静岡県の概略
静岡県は、太平洋に面する、日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。
2011年(平成23年)現在、都道府県別人口は第10位である。また静岡市と浜松市の2つの政令指定都市、及び2つの特例市を有する。なお、静岡県より人口の多い都道府県は東京都を除き全て政令指定都市を有している。
人口 3,748,224人   面積7,780.50km²
特産物:お茶、うなぎ メロン




 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年07月02日

青木麗子が静岡県知事に直撃(5/6)

青木:
静岡県は浙江省と姉妹県省を結んでおられますね。最初はなぜ浙江省なのかと思っていましたが、知事のお話を伺ってよく理解ができました。静岡県と浙江省は実に接点が多く、聖一国師さんの話やお茶のルーツのお話などで繋がっているのですね。

知事:
その繋がりですよ。寧波は遣唐使の時代から日本人がそこに入ってそこから揚子江から長安洛陽に行ったということで中国にとって日本の玄関口になったと。
ここは富士山があるので日本の顔です。

青木:
日本の仏教を臨済宗、聖一国師さんが杭州の萬寿寺から学んで開祖した東長寺があり、お茶もその時に持ち込んだのですね。それで静岡はお茶の名産地となっているわけですね。

知事:
お茶は臨済宗の五山といったんですが学問をするところですね。浙江省杭州西湖があり西湖と富士山は恋人だと。

青木:
杭州の龍井茶はとても有名です。緑茶なのですが、香ばしくてとても美味しいお茶です。

知事:
みかんで有名な場所、温州も浙江省にあります。

青木:
今年は友好提携30周年となるのですか?
どんな記念イベントを計画しておられるのですか。

知事:
双方で様々な行事を計画しています。私たちは、浙江省のためなら何度もやろうと思っています。

青木:
ところで静岡県から若者達を浙江省大学に語学留学をさせているみたいですけれど、何か特別な思いがあってその事業をやっているのでしょうか?

知事:
 浙江省というところは人口5000万以上で圧倒的に向こうの方が多いですが、所得は一人当たりすると10倍ぐらいありますから全体としてバランスはとれていると思いまして、若者の交流が一番いいと。我々の青年、向こうの青年を送ったり、迎えたり交流をしています。ただ一方中国は防災、四川省の大地震があったので、ここは防災先進県だと。防災協定も浙江省と結んでいます。
一昨年、上海で万博があったでしょう。習近平先生とお会いしまして、先生は国家副主席ですけども浙江省の書記、上海の書記もされたこともあって、上海は浙江省の隣だから浙江省と上海万博に3776人送りますとおっしゃいまして、何の事かわからなかったのですが3776ということは富士山の高さですと。3776友好訪中団を送ったんです。6042人の方が事業に参加していただき賞をいただきました。
大変喜んでいただきまして、私は尖閣諸島で揺れていたときも行くなと言われましたが行きました。向こうも大歓迎していただきました。


次回につづく >> 

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年06月25日

青木麗子が静岡県知事に直撃(4/6)

青木:
ところで知事はご就任なされてどれぐらいになりますかか?

知事:
2年半になります。

青木:
知事になられてから、学問の研究も続けておられますか?知事は今でも多くの本を出しておられるようですが。

知事:
 はい、私は今でももちろん学問の研究を続けています。学問をする時間が午前3時から朝食までの時間です。後は、一切人のため世のためと思っています。自宅に帰ったら夕食を済ませたらすぐ休みます。夜は時にアルコールも入るので仕事の能率が落ちるから早寝早起きをしております。

青木:
それはすごいですね。3時に起きられるのですか?
そのようにして、知事のお仕事と学問の道を両立させているのですね。

知事:
知事になってからも単行本を2冊出版しましたし、4月にももう1冊出版予定です。
本を読んでいないと物をかけませんから、自分に課しまして学問をしていないといけないのです。

青木:
さて、知事にご就任なされて静岡県を振興発展していくなかで、直面された困難とかハードルなどはありましたでしょうか?

知事:
静岡県は発展の可能性が本当にあるところです。静岡は富士山があるでしょう。来年世界遺産になります。東京都と京都の間ですから、先ほども言いましたとり、中国の文明が入ってきています、東京都いうのはスカイツーリーができますけど、地震のある所で作ったら大変ですよ、西洋文明と合うところですから東西文化が調和するところが静岡県でしょう。
気がついたら一番高い山と一番深い海があり、駿河湾というのが一番深い2500mありますから、山の物から海のものまで全部あるんです。
食べ物が農作物だけで167種類日本で一番多い県です。海産物を入れると219種類。
これも日本で一番です。
食材の大国なのです。まずは衣食住で、食に困ることのない。
最近は温かくなりましたが、北海道や東北、日本海側は雪に覆われていますが、雪は頂上にしか降らない、花も海もあるところで一次産業の農林水産業で南アルプスもありますし、一次産業がもっとも豊かなところです。


次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年06月18日

青木麗子が静岡県知事に直撃(3/6)

青木:
経済と政治はやはり車の両輪のように切り離す事はできないですものね。ところで、「国富論」で有名なアダムスミスはスコットランドのご出身で、そしてグラスコの大学で学問を学ばれましたね。スコットランドと言えば、かつて、私も学者である夫の在外研究に同伴して、スコットランドに長期間滞在したことがあり、グラスコにも何度が訪れました。知事が掲げておられる「富国有徳論」はもしかしたら、アダムスミスさんの影響を受けられたのでしょうか?

知事:
そうですね。富と徳が一体でなければなりませんね。でなければ、倫理のない経済は泥棒みたいになってしまう、経済のない倫理は両方が車の両輪。道徳と経済というのはふたつながって調和しなければいけないのです。

青木:
全くその通りだと思いますね。今、世界中で様々な問題が起きているのですが、正にそのバランスが崩れているからだと思いますね、中国も今経済が猛スピードで発展していますが、経済発展を最優先にしてきたので様々な問題が起きています。正に「富と徳」のバランスが崩れているためなのですが、今、胡錦とう政権が盛んに提唱しておられる「和谐社会」とは、正に「富国有徳」を目指しているのではないかと思いますね。国が大きいから中々難しいところもありますが。

知事:
富国有徳は豊かな国には富、徳がなくてはいけないと。これは国だけではなくて会社も同じです。お金持ちになりお金をどう使うかということが問われている。
それを社会の為に使う人、自分の為だけに使う人では、自ずと社会的評価が決まってきましてやはりお金も使い方というところにその人の人品が現れますから、私は富と徳というのは常に考えておかなければならない大事な二つの柱だと。
貧困は病気になると薬が買えなくなる。そのため強盗に入ったりすることも、貧困は克服しなければならない。富を作ると、必要以上に出来たときはそれをどう使うかと。ここが大事なことです。

青木:
実は、私は今でも非常勤の大学で時々講義をしています。学生達とディスカッションする中で、将来の夢について議論することがありますが、その中で、将来社長になって金持ちになりたいという学生がいます。そこで、私はよく学生達に、社長になってお金を儲けたいという夢を持つことはいいことだと思います。しかし、大事な事は、何のためにお金を儲けたいのか、儲けたお金でどんなことをしたいのかについてしっかり考えておかなければならないと思うのです。手段を選ばなければ金を得る事は簡単です。社長になったときに、あなたは何の為にお金を儲けて、儲けたお金をどう使うか、それを良く考えておかないと人間は道を誤ってしまいがちになるのです。

知事:
100人のうち20ぐらいはお金持ちになる力は持っている。20人のうちに本当に立派な使い方が出来るのは1人ぐらいです。使い方の方が難しいのです。
会社の社長になったらその人の人格が会社の顔として取られてしまいますので、お金儲けばかりしていますと品がなくとられてしまいます。
トップに立つとその人の人品が問われるようになりますから、いまおっしゃったように何のために生きているかが基礎ですけど富をどう使うかということは徳ということを常に念頭においていれば間違いはないとおもいます。


次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年06月11日

青木麗子が静岡県知事に直撃(2/6)

青木:
なるほど、時間軸で歴史を捉えてみるのは非常に面白いですね。ことろで、日本は明治維新に成功し東洋の中で最初の工業国になったのですが、西洋で最初に出来た工業化国・英国とはどのような違いがあるのでしょうか?

知事:

 やはり、向こうの人は小麦を食べ日本人はお米を食べます。中国の人は豚肉を食べますけど、イスラムの人は食べない、ヨーロッパと中国の間にイスラム圏があり、イスラム圏の影響を強く受けながらヨーロッパの人はそこと競争しました、そして一番イスラム圏から遠いところはイギリスですね。そこで中国で起こった科学はイスラムですごく発達します。
実はイスラムの科学は非常に高いものがあってアラビア語で書かれていますから、ラテン語に翻訳し、イスラムを抜いて行ったのです。
イギリスがヨーロッパの最初の近代国家になりますが、競争相手を大きく言えばヨーロッパにとっての先生はイスラム文明だったと思います。
しかし日本にとってイスラムは遠すぎます日本にとっての大きな文明は中国です。中国で最初に絹が作られた、お茶、木綿が作られたこういった物は全部買っていたわけですね。
日本は黄金の国ですから、平泉というところは世界遺産になりましたけど、金あるいは銅
も出たわけですが、買ってばかりいるとどんどん赤字になってしまいます。
それでは、中国のものよりもいい物を安く作って中国から買わなくてすむようにということで、ヨーロッパの人たちがイスラムから影響を受けないで自分たちで作れるようにと、それと同じように日本は中国の物を自分たちで国産化すると。
イギリスが相手にしたイスラム文明と、日本が相手にした中国文明とここに違いがあります。

青木:
それは非常に興味深いお話ですね。そのあたりをもっと深くお話をお伺いしたいのですが、今日は時間がありませんので、話題を少し変えたいと思いますが、知事は長い間学者として歩んでこられたわけですが、どうしてまた政治家になろうと思われたのでしょうか?

知事:
日本は学問が自由です。私は、経済学を勉強したわけです。経済学というのはイギリスで体系化されていますね。アダムスミス、マルクスはドイツ人だけど「資本論」はイギリスの経済を分析した本です。イギリスのロンドンに亡命しましてロンドンで大英博物館は世界最大の図書館でイギリスの経済を分析したものです。ですからケインズという人もイギリス人ですね。イギリスが経済学をリードしたわけですよ。イギリスの経済学も社会科学もやはり社会を分析して社会を良くする為のものなのです。
だから学問というのは特に社会科学というのは現実をしっかり分析をして分析した結果をしっかりと踏まえて社会をよくする、政策科学と言ってもいいです。
そういう意味で私も日本の経済を分析することを通じていかに日本の役に立つかという研究をし続けてきました。ですからただそれは情報を提供してこういうほう方向性が見えますよということを為政者の方が使うのは自由なのですが、自分がその立場になると世の中分業ですから、こちらは学問一筋と思っていたのですが、押す人があって気がつけば選ばれていたのが事情です。


次回につづく >>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年06月04日

青木麗子が静岡県知事に直撃(1/6)

青木:
 川勝知事、本日はお忙しい中にお時間いただき、ありがとうございます。早速なのですが、知事の元々は経済学者で、かつて、英国のオックスフォードに長く留学なされたこともあるとかで、静岡県知事になられる前から、静岡県の当時の石川知事に対し「富国有徳論」をご提案されていますし、学者の時代の研究テーマとして「いかにして日本は東洋の中で最初の工業国になったのか」、また「日本の工業化は最初工業化の英国といかなる関係にあるのか」というのがあるとお伺いしていますので、本日はその事についてお話を聞かせていただければと思います。

知事:
ありがとうございます。日本は東洋で見ると東の端で、西洋から見ると一番の端はアメリカになりますけど、アメリカは西部開拓を行った国でしょう、東部に13州ができまして、グリム・ファーザーズという人たちが上陸してそこで建国を始めていくわけです。段々と西の方に行ってフロンティアを開拓し、その向こうは太平洋があって日本がありますね。
ですから、西洋の西の端でもありますよね。東洋の東の端、西洋の西の端いうことで東西の文明が流れ着くと日本に至るというのです。
ですから、日本の歴史は奈良、平安、鎌倉、室町というふうに時代が変わると場所が変わるでしょう。場所を変えながら入れる場所を変えてきたんですよ。奈良、平安時代は中国の文化をいただくと、中国は広いですから、黄河の流域に長安とか洛陽があり、黄河文明の黄河の流域に花咲いた文明のエッセンスが奈良京都に伝わってきているのですね。
長江もありますが、長江流域界隈は米と魚の故郷なのですが、北の方はお肉を食べたり、畑作物で、南の文化は何村の時に鎌倉に入ったのです。
場所を変えながら、北の文化は京都に、南の文化は鎌倉に、室町時代に情報を集積し、中国で反映した文明は全部京都にいれるということにした。だから東洋文明の博物館なんです。太平洋に一番近いところは太平洋側ですから横浜が入り口になって日本の中心の東京に西洋の文化が入ったと。地政学的位置が大きいと思います。

青木:

地政学的な意味もあり日本は中国との関わりもあったということですかね。
 ところで、古代において中国は文化も製造技術も日本よりもずっと発展していたはずなのですが、なぜ中国は東洋において最初の工業化国にならずに、日本がなったのでしょうか?

知事:
これは非常に難しい問題です。そもそも西洋の科学の起源は中国でしょう。ところが人類史上の謎といわれています。宋の時代にできるんですよ。
ところがですね、元から明にかけて例えば鉄砲なんかでも元が最初に作っています。
だけど、明清時代は、使わないです。ですから発達をやめてしまうわけです。
羅針盤にしても火薬にしても、元のモンゴルの西への征服といいますか、そのころハンガリーからヨーロッパに伝わるわけですよ。そこで発達をしましたが、こちらは使うのを止めてしまった。
波動から横道に変わったわけです。そこが中国の偉いところで、軍事大国にならなかったんですよ。中国はそして高い文化を万里の頂上の向こうにいわゆる夷狄、朝貢(ちょうこう)時に 自分の特産物をもっていらっしゃいとその代わりに持ってきたものよりたくさん銅銭をあげる。
攻撃するよりも朝貢をして挨拶をしてあなたはあそこの大様ですか、私は中国の皇帝です。ということで関係を作りますと経済的にも豊かになるので、つまり徳を持って統治するという姿勢を貫いた。
だから、東アジアはあまり戦争はないですよ。そういう徳地に配したところが科学技術を押させたかなと。


次回につづく >>  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年05月07日

JR九州・赤坂うまや初上海進出



 JR九州・赤坂うまや上海静安本店のグランドオープンセレモニーが4月24日に盛大に執り行われた。赤坂うまやは福岡に本社を置くJR九州(九州旅客鉄道株式会社)が東京を始め日本全国で展開している居酒屋日本料理レストランで、上海進出はJR九州の唐池恒二社長が十年前から温められていた夢。今上海での日本人居住者が10万人にも迫る勢いで増加している。中国人の和食や和の文化に対するニーズも年々高まっている。将来的に上海で5店舗は増やしたいと唐池社長が抱負を語る。「赤坂うまや上海静安本店」とあえて名付けたのも将来を見据えられているのかもしれないと思った。



  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2012年04月30日

美しく凛とした厳島神社に感動



ここしばらく、出張ばかり続いて、ご無沙汰しておりました。

昨日、広島県知事へのインタビューの為に、数年ぶりに広島を訪れ、インタビューの合間を縫って、一人で宮島まで足を伸ばし、厳島神社を心行くまで歩きました。厳島神社、写真で見るより数段迫力がありました。スケールといい、建造物の美しさといい、よくぞ平安時代にあんなにすごい建造物を海辺に建てられたものだと、水の中の厳島神社ではなく、たまたま干潮だっために、陸に上がっている厳島神社もまた格別な風情があって、実に素晴らしかったです。今、私は47都道府県の知事さんへのインタビューの為に、日本中を旅していますが、疲弊している日本の地方の姿に心が締め付けられる思いもするけれど、しかし、その中でも、日本は古き良き伝統と文化をしっかりと守っていることを目の当たりにすると心から嬉しく誇りにも思わずにはいられません。





  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)青木麗子の日々

2012年04月23日

音楽は政治、民族、文化、経済などの摩擦を乗り越える



 先日、香港を訪問した際に、日本音楽業界の友人達を香港アジアテレビ、そして香港音楽業界の若手エース達とお引き合わせをしました。香港では若い人たちが世界を相手に活躍しているので、男も女も、凛として本当に格好いいです。是非この領域において、福岡も巻き込んで、新しい旋風を巻き起こしてほしいと心から願っています。そのためには、どんな努力も惜しまない覚悟です。音楽は政治、民族、文化、そして経済などのすべての摩擦を乗り越えられるすごい力を持っているのですから。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)福岡とアジア

2012年04月16日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-6



日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(6/6)


青木:
  ところで、先ほど冒頭で、中国の要請を受けて監督にご就任なされた思いについて色々と伺いましたが、岡田監督は、サッカー監督として、日本と中国の架け橋として大きな存在になられると思いますが、監督ご自身はそのことをご自身のミッションみたいなものを感じられる事がありますか。

岡田:
  正直、これがミッションだとは思ったことはありません。ただ、何か力になれればいいなと思っていますが。我が家には子供が3人居ますが、子供たちの時代に親として何か残してやれるものはないかとずっと思っています。僕がやっていることは小さな絆かもしれませんが、助けになれればなと思います。ただ、チームには勝たさなければいけないと思っています。

青木:
  そうですね、それが監督の一番ミッションですね。でも、絶対勝たせようと思っていますよね。

岡田:
  それはもう。絶対に勝たせたいし思っていますし、このチームは勝ちますよ。

青木:
  それは本当に楽しみですね。大いに期待しています。
実は、私も仕事でよく中国に行っています。2月だけでも4回中国に行っています。特に上海と南京によく行っていますので、その内に是非杭州のホームグランドで取材させてくださいね。ところで、今回はお子様も中国にご一緒に行かれますか?

岡田:
  子供はみんな大きくて、結婚して子供も居る子もいますし、一番下が大学生でそろそろ卒業というぐらいですので、妻も行ったり来たりになると思います。

青木:
  そうですか。それから、今年は日本と中国が国交回復40周年になりますので、日本と中国では記念して40周年のイベントが行われて、文化も含めてスポーツのやり取りもおそらくあると思います。そういった意味で、みなさんから注目されると思いますので、中国での活躍を期待しています。

岡田:
  言葉はやはりはやくしゃべれるようになりたいので、今度中国に戻ったら家庭教師を付けようと思っています。選手の名前やサッカーの用語など覚えましたが、会話が出来ないので。

青木:
  外国語を覚える秘訣として、是非理屈ではなく、体と感覚で覚えるようにしてください。まずは欲張らずに、単語をたくさん覚えたらいいと思います。とにかく覚えた単語を実際に使ってみる、少しでも通じると脳が嬉しいと思ってくれるので、そうしたら、どんどん覚えるようになります。是非頑張ってください。

来年も鹿児島のキャンプで取材できることを楽しみにしています。
本日はどうもありがとうございました。


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年04月09日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-5



日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(5/6)

青木:

  今回はどういう理由で鹿児島をキャンプ地として選ばれたんですか?

岡田:
  鹿児島はまずは暖かい、いいグランドがある、そして、力のあるチームがたくさんキャンプをしていますので、試合が出来るということ。
また、僕はこれまでにいわさきホテルで色んなチームで何度もキャンプをしていましたから、いわさきホテルは温泉がありますし、グランドがホテルのすぐ傍にありますし、バスで移動する必要がありません。それがとても便利ですね。早く帰る選手、遅く帰る選手がいますので、グランドまで歩いていけるというのは助かりますね。いわさきホテルはグランドも素晴らしいから、僕のイメージではサッカーを合宿するにはベストの所なんのですよ。

青木:
  では、今後もここを常キャンプ地としてお使いになられたらいいですね。

岡田:
  そういうふうにしたいんですけどね、僕は1年契約なんで来年居るかどうかわかりませんよ。

青木:
  来年も、きっと緑城の監督しておられると思いますよ。一つのチームを育てるのにそこら一年では結果がでるというはずもありませんよね。そのあたりは中国もよく分かっていると思いますよ。彼らは本当にシビアですけれど、理屈は分かっていると思いますね。

岡田:
  そういうふうにしたいとは思っていますが。

青木:
  岡田監督まだお若いですよね。

岡田:
  僕は今年で55歳になります。Jリーグの監督で僕より上の監督いませんから。もう若くはありません。これが最後の仕事だと思ってやっていますから。

青木:
  そうですか。55才、これからもう一度サッカー人生に中国で花を咲かせられるというのははやり嬉しいことでしょうね?

岡田:
  そうですね。本当にこういうチャンスを与えられ、毎日、選手たちと接しグランドに出られる事が本当に幸せだと思っています。


次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年04月02日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-4



日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(4/6)

青木:
  ところで、監督は生活などで不安や問題はありませんか?

岡田:
  そうですね。まだ家とかじゃなくて寮に入っています。キャンプが続いていましたので。このキャンプを終えてから、市内の家に入って家内も一緒に連れていって生活を始めるのですが、そうなれば問題もなくなると思います。

青木:
  杭州はガーデンシティを目指している都市なので、とても素晴らしい所ですよね。温暖な気候で、水と緑に恵まれた地域であるために、昔は上海の裕福な人々や文化人が杭州に好んで別荘を持っている地域でした。

岡田:
  そうでしょう。それで、杭州緑城のオナー会社は杭州で別荘開発もしていますね。僕は今とにかく、チームで練習するのが楽しくてしょうがないです。

青木:
  ところで、監督、今季にかける意気込みをお聞かせください。

岡田:
  スーパーリーグで優勝させようと思っています。中国のスポーツメディアのインタビューを受けるとあなたはクレージーだと言われています。杭州緑城はお金のないチームですけど、広州、上海申花はお金をかけているわけです。
それで、中国の人たちはみんなそれだけ勝てないのではないかと決めつけているわけです。しかし、僕はイングランドのプレミアリーグや世界中のスーパースターが集まっているスペインのエスパニヨーラらで優勝すると言っているのではない。まずは、中国のスーパーリーグで優勝するんだと言っているだけだと、何を大変な事に思っているんだ。今、選手の意識も徐々に変わり始めました。最初から広州には勝てない、同じ人数で同じ中国人がやっているんだろうがと。だいぶんみんなの意識も変わって来ました。

青木:
  そうですか。力をつける前に、選手達の意識改革が大事かもしれませんね。挑戦もしないで、最初からあそこには勝てない。そんな考えではどうにもなりませんね。今の中国の若者たちはみんなエリートなので挫折を味わっていないから、弱気なのですよ。未踏の山へチャレンジするという高い志を持って目指していかないと、山は登っていけませんよね。

岡田:
  この間練習試合で前半0-1で、うちはBチームだったのですが、後半5点いられて6-0で負けたんですよ。力の差はそれほどないんです。後半1点入れられバラバラになって僕は知りませんという感じだったんですね。それで翌日僕がすごく怒って、「お前らのチームじゃないのか」お前たちは自分の力はあるのに周りはみんな知っているのに、自分の力を信じてないのはお前ら自身だと。力はあるのにそれに蓋をして俺たちはダメだダメだと思っているだけじゃないのか」と。
翌日、同じチームに同じメンバーで試合をさせたんですよ、そしたらすばらしい試合できるんですよ。自分の力を信じていないですね。素晴らしい才能をもって体も大きくて、技術もあるのに僕は大した選手じゃないと言っているんですよ。
僕らから言えばのどから手が出るほど欲しい才能を持っているのに本人が気づいていない。ここが今の問題でしょうね。

青木:
  ご存知のように、中国では長年一人っ子政策を実施してきましたね。中国の子供たち20歳以下の子供たちはみんな一人っ子である意味では甘やかされて育てられてきたし、ある意味では大人の期待というプレッシャに押し潰されて自信が持てないでいるのですね。一人っ子で与えられるばかりで、ハングリー精神が殆どないと言っても過言ではないと思いますね。そこで、監督が彼らと信頼関係を作って、その上愛情を持って本気で体当たりで彼らとぶつかり合って行き、彼らに自信をもたらすことができたら、ものすごい力になってくるかも知れませんね。
日本の子供たちは、小さい時からサッカーをやってきて、先生や先輩からずっと厳しく育てられてきているので、精神力が強く、粘りも強いと思うのですが、今の中国の若い人達にはそこが足りないと思いますね。
ところで、今回のキャンプ何名来ているのですか?

岡田:
  今は、けが人を入れて26名です。


次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年03月26日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-3



日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(3/6)

青木:
  ところで、岡田監督は中国語をお出来になのですか?指導をなさる時にどのようにコミュニケーションを図られるのですか?

岡田:
  中国語は全然できません。でも、今、必死になって覚えているところです。
通訳を入れていますが、通訳が僕の意図を伝えられているか、そのことがものすごく大きいと感じていましたので、偶然にも日本で良い人を見つけて通訳をしてもらっています。その人は日本人なのですが、北京に住んでいて中国の方と結婚もしていてサッカーもやっていたこともある人で、彼のおかげで何とかやっています。

青木:
  通訳はとても大事だと思いますね。私自身も20年以上通訳の仕事をして参りましたが、やはり通訳とは発言する人と一心同体となって、発言者の人間性をも伝えられることがとても大事ですね。特にスポーツの世界はもっと重要なことではないかと思いますね。例えば監督が怒っているときに、怒っている気持ちが正確に伝わらなければ、意味がありませんからね。

岡田:
  その通りだと思います。今の通訳は言葉を訳すのではなくて僕の思いを訳してくれる人と思っていたので。よくやってくれていると思います。

青木:
  ところで、今中国のサッカーのレベルはどのようなものですか?国際基準から相当かけ離れていますか?

岡田:
  そうですね、一時良かった時期もあったようですが、八百長事件などがありレベルが一気に落ちたようですが、しかし、今の中国の若い選手達のポテンシャル、能力は低くないと思っています。ただ、今はその能力が伸びていっていない。これは指導の問題もあると思いますが、サッカーをどういう風に広めていくか、中国の場合はエリートを育てていくという感じですが、底辺を広くプロになる人だけではなくて代表になる人だけじゃなく、サッカーを広めてその中から、ピラミット型になるようにしていかなければならない。可能性としてはものすごいポテンシャルを持っていると僕はそう感じています。

青木:
  そうですね、中国では、スポーツのみならず、文化、音楽など領域において、どちらかと言えば個人のエリートを育てることに力を入れてきたのだと思います。そのために、個人プレー選手はとても強い。けれどチームブレーは得意ではないと認識していますかが、実際はどうなのでしょうね?

岡田:
  僕も来る前はそう思っていましたが、でも実際に中国に来てみて必ずしもそうでもないように思いますね。少なくとも僕が今指導しているこのチームは全くそんなことはないです。他は知りませんが、チームの事を考えてくれていますし、そういう方向にもっていき方もありますし。

青木:
  そうですか。それは安心しました。若い選手達にとって、岡田監督はお父さんのような存在ですか?監督も彼らが息子のように可愛いと思っておられるのでしょうね。

岡田:
  はい、彼らは本当に純粋で、一生懸命についてきてくれているので、ありがたいという感じです。


次回につづく >>

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年03月19日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-2



日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(2/6)

青木:
  さすがに、岡田監督は世界で戦ってこられた方だけとあって、グローバルな観点に基づいた素晴らしいご英断をなされたのだと思いますね。ところで、監督はこれまでに中国にいらしたことはありましたか?

岡田:
  もちろん、何度もありますよ。

青木:
  監督が仰る通り中国という国は今世界の中で大きな存在となって参りました。今世界のパワバランスが少しずつシフトし始めています。そのような中で、これからは中国を中心に世界が回るようになると言っても過言ではないと思うのです。日本と中国は悠久なる交流の歴史をもっていて、今も切っても切れない間柄にあると思います。もちろん、両国の間には戦争という不幸な時もあったので、日中両国の国民がお互い素直に向き合う事ができていないのがとても残念に思えてなりません。政治を超えて、文化やスポーツを通じての人と人の結びつきを強めることがとても大切な事だと思います。岡田監督が今中国に行かれて中国の選手たちをご指導されることは日中両国の間に一筋の暖流を作られるに等しいと思いますね。

岡田:
  そういうふうになったらいいなと思いますし、結果を残さなかったら逆に反日感情に火をつけることにもなりかねませんね。

青木:
  本当にそうですね。何が何でも結果を出さなければですね。しかし、実際どうですか。去年の12月に監督にご就任なされてから、2ヵ月ほど時間が経過しましたが、中国の選手達に直に接してこられて、何か違いを感じる事はありますか?

岡田:
  僕が中国に行って2ヵ月半になりますが、嫌な思いをしたことが一度もありません。ネットでは日本人を指導者にしてとか書かれていると言われましたが、僕が空港に行った時も大勢のサポーターが迎えに来ていただき、ファンから手紙や色々なプレゼントも頂きましたし、フロントスタッフも何とか僕にいい仕事をさせようと思って気を使っていただいて、選手の取り組む姿勢も素晴らしくチームとしてのまとまりを彼らが求めていると感じています。僕は優勝と言っていますが可能性はあると思っています。

青木:
  今、杭州緑城のメンバーは何人ぐらいですか?

岡田:
  選手が31名。ユースの選手を大量に上げたためなのですが。

青木:
  選手の年齢も若い人が多いのでしょうね?

岡田:
  今年は特に若いですよ。トップの選手を8名ぐらい外して、18歳の選手を7名上げましたので、それ以外も20~22歳ぐらいですから、それ以上の年上は5名ぐらいですかね。

青木:
  これらの選手は中国全土から選び抜かれた選手達でしょうね?

岡田:
  選び抜かれたのか、若い時点で全国から集められてトレーニングしたりしているので、僕はまだ全部を把握していないが、95%ぐらいの選手が寮に入っていますから地方から来ているのだと思いますね。


次回につづく >>


  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2012年03月12日

日本人初の中国プロサッカー監督就任の岡田武史さんと初対談-1


岡田 武史(おかだ たけし、1956年8月25日 - 大阪府出身 )は日本の元サッカー選手、指導者。元日本代表監督。ワールドカップ監督として2度出場(1998年W杯フランス大会、2010年W杯南アフリカ大会)現在は中国プロサッカーチーム杭州緑城監督。「岡ちゃん」の愛称で知られる。メガネがトレードマークで、現役時代にはメガネを外さずプレーしていたほどである。

日本人で初めて中国プロサッカー監督に就任した岡田武史さんと初対談(1/6)

青木:
   監督、本日はお忙しい中にお時間をいただき、ありがとうございます。
テレビでご尊顔を拝見していましたが、生の岡田監督とお会いできてとても嬉しいです。岡田監督は、日本では「おかちゃん」と呼ばれるほど、日本国民から親しまれ日本を代表する監督であられたのですね。ところで、この度は、中国杭州緑城サッカークラブの監督にご就任ということでしたが、いつ、ご就任なさいましたか?

岡田:
  去年の12月15日に正式に就任いたしました。

青木:
  しかし、またどうして中国の監督就任要請をお引き受けようと思われたのですか?

岡田:
  私は日本代表の監督を辞めて1年半ほどなります。その間、ボランティアや教育などをやったりしていましたが、やはり自分がプロとしてできるのはサッカーかなと漠然と考えていました。ただ、JリーグとかではJ1,J2両方優勝したこともあるし、代表もやりましたので、例え日本で何かやるにしても新しいチャレンジという感覚がなくて。そこで、中国の杭州緑城から最初に話をいただいた時に、自分にとって新たなチャレンジになると思ったのが一つですね。
それと、サッカーとは別なのですが、やったことがないことをやってみたいとも思っていました。これまでに、マスコミや中国に行かれた人の話を聞いて中国というイメージが出来ていたのですが、果たして本当にそうなのかなと思ったし、中国はこれから世界のキーを間違いなく握る国であるわけで、その国を自分の目でみてみたいと思ったのも一つです。それは昔、私がまだ大学生の時に韓国遠征に行って、学生と一緒に試合をし、田舎町に行った時に、韓国の人々から“ばかやろう”ビンとか缶とか投げられ、かなりのショックを受けました。でも、高麗大学の学生や関係者と一緒に交流をした時はそういう感覚が全然なかったので、このギャップはなんなのだろうと思ったことがありました。
 日本と中国とは領土問題など色々な問題があって、メディアではイメージが出来上がっていて、中国中が反日ムードで充満しているのではないかと思われがちですが、しかし、中国に実際に行ってみたらそんな事はないのではないかと思ったんですね。ドームの上の方で色々な事を言っているが、実際は多くの国民同士はそういう事がないのではないかなと、ですので、自分の目で実際に見てみたいと思う衝動がありましたね。
それとともに、東西冷戦が終わって世界が一つの方に向かうとユートピアを夢みたけど、現実はハンチントンが言うように文明が衝突し始めていますよね。
その中で東アジアは不安定な所で必ず何かしらそういうことが起こると思うんですよね。その時に政治とかのレベルでは解決できないと思うのですよ。
国民同士の小さな絆がインターネットを通してバタフライ効果で、ニューヨークで蝶が羽ばたいたら北京で嵐がおきるということが現実に起こるわけですよね。
僕の力がどうなるかわからないけど、僕が中国で作った小さな絆がひょっとしたら何かの力になるかもしれないと考えたりもしています。そういうようなトータルの事で、よし、中国に行ってみようと決めました。


次回につづく >>  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国