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2012年09月24日

鑑真和上ゆかりの地・奈良を尋ねて(1/3)



青木:

荒井知事、本日はお忙しい中にお時間をいただきありがとうございます。
今年は日中両国の国民にとって記念すべき日中国交正常化40周年の年です。このような記念すべき日に、中国と深い歴史の繋がりをもつ奈良にお伺いし、日本の政治家の中でもきっての中国通として著名な荒井知事から日中両国の交流についてお話を伺うことができ、とても嬉しく思っています。さて、早速なのですが、奈良と中国との繋がりの前にまずは、知事のおひととなりから伺わせていただきたいと思います。知事は中央官僚から国会議員を経て知事になられていますが、中央官僚から政治家になられた経緯と政治家になろうと思われたことについて少しお話くださいませんか。

知事:
私は奈良の出身で、大学を出てからまずは中央官庁・運輸省に入りました。中央官僚時代、最後の勤務先では海上保安庁長官を務めました。私が海上保安長官の時に中国を訪問しましたが、それが中国を訪問した最初の海上保安庁長官でした。
当時、中国の公安部長との間に日中の海上保安の協力協定の下地を作りました。その時の日本大使が谷野作太郎さんだったのですが、彼には本当にお世話になりました。

青木:
なるほど、荒井知事は中国通と言われているのはそこからなのですね。谷野作太郎元大使とは私も非常に親しくおつきあいをさせていただいております。数年前に谷野先生が総団長で、私が青年代表分団の秘書長として日本の若者達を数百人連れて中国を訪問したことがご縁でした。以来、谷野先生には何かとお世話になっています。

知事:
そうでしたか。谷野先生はとてもご立派な人物で、今も親しくさせていただいています。ところで、私が初めて海上保安庁長官として中国を訪問した時に、当時の公安部の辺防局副局長の陳さんのご案内の下に北京から瀋陽を回って列車で大連まで行って日本に戻りました。
その時に薄熙来さんにお会いしました。その時に案内していただいた陳副局長がご出世されて、その後に、消防庁のトップになられたようです。

青木:
 当時、薄熙来さんは大連市の市長を務めておられていましたね。外国企業の誘致にとても力を入れられていた時代で、大連が大変脚光を浴びていた時でもあったと思います。

知事:
そうだったと思います。大連は大変な勢いで発展していました。話は戻りますが、その頃、北東アジアの海上保安、警察同士が、国際犯罪に対して協力しないといけないということで、日中の協力体制の下地を作って、ロシア、アメリカ、韓国、中国、日本、カナダ北東アジアの主要国が入った海上保安庁長官の協議を行った事が私の人生の中でとても大事な誇れる仕事でした。ロシアとアメリカ、そして中国が参加したところが大きいですね。

青木:
当時ではそこまで漕ぎ着けられた事はそう容易なことではなかったと思いますね。

知事:
はい。そして、私が海上保安庁長官を退官する時に、中国に精通しておられた日本の政治家・二階堂俊博先生から連絡いただき、参議院選挙の奈良選挙区から自民党候補で出馬してくれないかと打診され、出馬の要請を受けました。少し迷った結果、出馬しましたが、それまでは政治家になろうなんて思ったこともなく、選挙の準備も何もしていなかったため、とても難しい選挙でした、結果的には当選しましたが。

青木:
人生には本人の思いにもよらぬ事が起きますね。しかし、初めてのチャレンジで当選したということは、知事は元々政治家としての素質をお持ちで、なるべくしてなられたんだと思いますね。

知事:
ありがとうございます。6年間参議院議員を務めておりましたが、今度は奈良県前知事の柿本さんから自分が引退されるということで、知事選のお話をいただいたのです。丁度、平城遷都1300年祭の直前だったのですが、知事になって是非、平城遷都1300年祭を成功させてほしいという話でした。1期目の大きな仕事は一昨年の平城遷都1300年祭でした。平城遷都1300年祭を進める中で、奈良の歴史の特徴は何かということを勉強した際に、当時は日本の律令国家としての礎を作った時期であり、仏教が伝来し聖武天皇が仏教徒になられ、唐との交流が盛んだった事が改めて分かりました。

青木:
まさに、遣隋使、遣唐使の時代、日本は中国大陸から様々なことについて学んだ時代でしたね。

知事:
奈良時代には、日本は中国や韓半島と深い繋がりがありました。東アジアの国際社会が形成されたのは宋以後の時代ですが、中国の歴史の中で国際社会に最も影響をもたらした時は、唐の時代と現在の中国の共産党時代ではないかと思いますね。日本にとっても国際化が豊かだったのは奈良時代と明治時代以降だけなんですね。奈良県は歴史を踏まえて日中新時代、東アジア新時代に貢献したいと考えています。



<次週に続く...>
  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国