歴史を乗り越え、友好の桜・南京に根ざす Part 2

青木麗子 Reiko Aoki

2010年10月11日 10:00


 今から十五年前に、当時福岡県議会議長を務めておられた県会議員の新宮松比古先生によって、中山陵に友好の桜植樹のご提案がなされ、江蘇省人民代表大会(州議会に相当)の絶大なるご理解とご支援を取付、福岡県、地元政財界そして数多くの福岡県民から募金を募り、一年の歳月を経て一九九六年二月に実現されたのです。しかし、友好の桜の園を実現に漕ぎ着けるまで容易なことではありませんでした。実に多くのハードルを乗り越え、その上に実現したということを改めて触れておかなければならないと思いますし、このことに触れることで、江蘇省の皆様に感謝する気持ちと熱きものがこみ上げてこずにはいられません。
 そもそも、中山陵に桜植樹をとの思いは、福岡にあった玄洋社と孫文先生との関係に遡りますが、辛亥革命の時期に、孫文生は革命に幾度と失敗し、その都度、難を逃れるために度々日本に亡命をされるのですが、十年にわたる日本亡命生活の中で、九州・福岡の地にも度々訪れられ、頭山満、宮崎滔天、玄洋社の進藤喜平太などの人物から温かい支援を受けられたことは皆様ご周知の通りです。

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