中国の今を知る、中国の未来を読む。

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2008年07月28日

ドラマティックな街・ハルピンPart 4

~すてきな偶然の出会い~
 ハルピンで開催中の北東アジア地域間協力国際フォーラムに参加している時に、せっかくのチャンスなので、私はなるべく日本人で固まるようなことを避けて、日本以外の国々から会議に参加していた人々と交流を深める、これが青木麗子流儀なのである。その日も多分に漏れず、ランチタイムに空席を探していたら、とても知的そうな中国人のご婦人が「この席が空いてますよ」とご親切に声を掛けてくださったので、お隣の席に腰を下ろすことにした。食事をしながら、いろいろとお話をしているうちに、お隣におられるとても優しそうなロマンスグレーのアメリカ人紳士がご主人で、元々スタンフォード大学などの大学で美術史を教えておられたが、現在はフロリダー博物館の館長をしておられ、今回は主催者に招かれて、ハルピンにいたユダヤ人の歴史について、スピーチされるのだということがわかった。そして、ランチタイムの後に、そのご婦人が「ちょっと紹介したい人がいます」と仰って、大きなカメラを首にぶら下げ、目鼻立ちがはっきりとし、凛とした美しいキャリアウーマンを紹介してくださった。お名刺をいただいたら、張海霞・東北網(黒竜江省人民政府公式サイト)記者と書いてあった。はやりね。彼女とも、一見にして故の如し、お互いまるで旧友と再会したような気分で、話がどんどん進んだ。翌日、早速、東北網に招待され、社員食堂で一緒にランチをいただいた後に、インタビューを受け、その記事がネットに掲載された。短いハルピンでの間だったが、多くの偶然な出会いに恵まれる訪問となった。これからも彼女達を通じて、福岡とハルピン、そして福岡とアメリカを結ぶ絆を強めて行きたいと願う。

  


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2008年07月21日

ドラマティックな街・ハルピンPart 3

 ハルピン、中国北の大地にある最も大きな国際都市として、ロシアの影響を大きく受けながら発展してきた街。二十世紀初頭のころから、海外の多くの国々が総領事館を開設し、同時に数多くの外国の商社が駐在事務所が開設され、数大きくのユダヤ人が難を逃れるためしばし安住の地を求めた場所でもあり、中国東北部を代表する国際貿易都市としてその名を世界に轟かせていた。また、ハルピンは、悠久なる中国の歴史の中で、金王朝と清王朝が都を置いた地であり、漢民族を含め、四十以上の少数民族が住む、民族色豊かでとてもエキゾチックな街なのである。ロシア風の建造物、教会、ロシア語の響き、中国料理でありながら、どこかロシアの匂いがするハルピン料理。いずれも人々を引きつけて離さない魅力を醸し出している。ハルピンに行くと、中国の広さを改めて認識させられる。上海や北京、南京とははやり違う、そこでは日本の影と匂いを感じる事はほとんどできない。遠い異国の匂いが溢れている。今、ロシア経済が大きく発展するなか、ハルピンは最前線にいる都会として、深く影響を受けつつ再び大きな変貌を成し遂げられている。距離的には遠いけれど、歴史的には深く繋がっているハルピンと日本・九州。これらの地域の人々の往来が増すように心から祈ってやまない。

    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2008年07月14日

ドラマティックな街・ハルピンPart 2

 北東アジア地域協力国際フォーラムが終了した翌日、会議に参加された皆様は、主催者の案内により、ハルピンの観光名所巡りをされた。しかし、私はせっかくのチャンスなので、その時間帯を利用して、大学を訪問し、学生諸君と日本と中国のことについて、語り合いたいと思い、その思いを友人である黒竜江省社会科学院北東アジア経済研究所に務める友人・だ志剛先生に打ち上げたら、国際会議の主催者として大変忙しい中にも関わらず、早速ハルピンにある科技学院と連絡をとっていただき、段取りを取り付けてくださった。しかし、当日は日曜日、果たして何人ぐらい学生さんが集まってきてくれるのか見当がつかなかったが、若者達とあえる事を心待ちにしていた。
 翌日の午後二時少し前に、約束とおり、私はホテルのロビーで待っていたら、元気はつらつとした女学生七人が先生を伴って私を迎えにきてくれた。車に乗って、三十分ほどで、広大な土地に聳え立つキャンパスに着いた。メインエントランスに近づくと、大勢の学生が私を待ってくれていた。彼女達は、化粧気はまったくないけれど、いかにも若者らしく、心身ともに健康で、澄み切った瞳は希望に燃えて、ダイヤモンドのようにキラキラと輝き、目映いほどに美しかった。日本語学科の学生さん達なのである。
 二時間ほど、教室で皆さんと語り合った。交流を通じて、彼女達は日本と日本の文化に強い憧れをもっていることがわかり、とても嬉しく思った。これらの若者達が近い将来、日本で学べるために、そして、中国北の大地、ハルピンと福岡を繋ぐ橋を掛けるために、私にできる事をしなければと心に決めた。


    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国

2008年07月07日

ドラマティックな街・ハルピンPart 1

「北東アジア地域協力国際フォーラム」が、去る六月十三日から十六日まで、中国北の大地、ハルピンで開催された。私も主催者の招聘を受けて会議に参加した。会議は黒竜江省人民政府と中国社会科学院の主催によるもので、中国、ロシア、日本、韓国、モンゴルなどなどの国から、数十人の専門家の方々が参集し、地域間協力をテーマに討論が展開された。殆どの人が経済協力をいかに強化していくのかを議論する中、私は、敢えて「ソフトパワー日中関係との関連」というテーマを選びスピーチさせていただいた。いけいけどんどんの状況の中で、ソフトバワーだなんて、果たして、中国の人々に受け付けられるのか、最初はとても心配した。しかし、私の予想に反して、スピーチ終了後に、「ソフトバワーに関する話は始めて聞きました。我々は、経済最優先ではなく、ソフトパワーを高め、文化交流を押し進めつつ、互いの国民同士がお互いを理解し、尊重できる関係を構築することが大切ですね」会議に参加しておられた中国エリートの方が、私の手を握りしめ熱意を込めて仰られた。更に嬉しかったのは、ロシアのパブロフスキーからやってきたという若い女の子が、私のところにやってきて「あなたのスピーチはとても素晴らしかった。私は今日本語を勉強しているので、いつの日か日本に行ってみたいと思っています」と、流暢な日本語で私に話を掛けた。会議への参加を通して、多く出会いに恵まれ、大いに学ばせていただいた。素晴らしいチャンスを作ってくださったハルピンの友人、黒竜江省社会科学院北東アジア経済研究所に務める友人・だ志剛先生に心から感謝したい。

    


Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00Comments(0)日本と中国