2008年07月28日
ドラマティックな街・ハルピンPart 4

ハルピンで開催中の北東アジア地域間協力国際フォーラムに参加している時に、せっかくのチャンスなので、私はなるべく日本人で固まるようなことを避けて、日本以外の国々から会議に参加していた人々と交流を深める、これが青木麗子流儀なのである。その日も多分に漏れず、ランチタイムに空席を探していたら、とても知的そうな中国人のご婦人が「この席が空いてますよ」とご親切に声を掛けてくださったので、お隣の席に腰を下ろすことにした。食事をしながら、いろいろとお話をしているうちに、お隣におられるとても優しそうなロマンスグレーのアメリカ人紳士がご主人で、元々スタンフォード大学などの大学で美術史を教えておられたが、現在はフロリダー博物館の館長をしておられ、今回は主催者に招かれて、ハルピンにいたユダヤ人の歴史について、スピーチされるのだということがわかった。そして、ランチタイムの後に、そのご婦人が「ちょっと紹介したい人がいます」と仰って、大きなカメラを首にぶら下げ、目鼻立ちがはっきりとし、凛とした美しいキャリアウーマンを紹介してくださった。お名刺をいただいたら、張海霞・東北網(黒竜江省人民政府公式サイト)記者と書いてあった。はやりね。彼女とも、一見にして故の如し、お互いまるで旧友と再会したような気分で、話がどんどん進んだ。翌日、早速、東北網に招待され、社員食堂で一緒にランチをいただいた後に、インタビューを受け、その記事がネットに掲載された。短いハルピンでの間だったが、多くの偶然な出会いに恵まれる訪問となった。これからも彼女達を通じて、福岡とハルピン、そして福岡とアメリカを結ぶ絆を強めて行きたいと願う。

2008年07月21日
ドラマティックな街・ハルピンPart 3


2008年07月14日
ドラマティックな街・ハルピンPart 2

翌日の午後二時少し前に、約束とおり、私はホテルのロビーで待っていたら、元気はつらつとした女学生七人が先生を伴って私を迎えにきてくれた。車に乗って、三十分ほどで、広大な土地に聳え立つキャンパスに着いた。メインエントランスに近づくと、大勢の学生が私を待ってくれていた。彼女達は、化粧

二時間ほど、教室で皆さんと語り合った。交流を通じて、彼女達は日本と日本の文化に強い憧れをもっていることがわかり、とても嬉しく思った。これらの若者達が近い将来、日本で学べるために、そして、中国北の大地、ハルピンと福岡を繋ぐ橋を掛けるために、私にできる事をしなければと心に決めた。

2008年07月07日
ドラマティックな街・ハルピンPart 1

