2010年11月29日
上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 3

北京オリンピック、上海万博、いわゆる中国が威信をかけて取り組んできた歴史に残るビックイベントが無事に終えられ、ある意味に於いて、1979年に改革開放政策を実施してから30年以上になるが、これまでは経済発展最優先に取り組んできた中国にとって、本当意味の国づくりがこれから始まると言ってもいいのではないかと思う。


2010年11月22日
上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 2

「ロレックスあるある。ヴイトンバックあるあるよ」獲物を狙う人々の目が野望に充ち満ちた不夜城のネオンと共に怪しく光る。もう慣れた光景なはずなのに、しかし、いつきても裏切られることなく、上海はある意味で刺激的なのである。
天にも届きそうなビル群の傍らに、数えられそうにもないほどの数の大型バスで埋め尽くす上海万博会場の駐車場、どこからどもなく洪水の如く湧いてくる、人、人、人の群れ。何を追い求め、何を目指しているのか、万博会場は人の海と化した。5月1日から10月31までの半年間、7000万人の入場者目標数。見事にクリアした。
2008年、豪雪災害、チベット暴動、そして四川大地震、リーマンショックなどなど、中国歴史が始まって以来の度重なる災害と事件に見舞われながらも、見事に克服し、国家の威信をかけた北京オリンピック、上海万博を成功裏に導いた。それを受けて、2003 年から2008年の5年間だけでGDPは三倍増となった。今年は日本のGDPを追い越し、アメリカに次ぐ世界の第二の経済大国となった。そして、2012年には、胡錦濤政権から習近平体制に移行することがほぼ決まった中国だが、、、。

2010年11月15日
上海万博を終えて 中国が向かうその先とは PART 1

2010年10月31日、上海万博が閉幕する歴史的瞬間に、私は上海一の繁華街・南京東路に佇んでいた。地元の人間は殆ど行かないけれど、南京路は地方や海外からのお上りさんでいつも溢れかえっている。生きている内に一度は北京の万里の長城に登ってみたい、或いは上海の南京路に行ってみたい、中国人なら万人に共通する夢なのだ。南京路の歩行者天国のベンチに腰を下ろし、私は、当てもなく、行き交う人々の群れを眺めながら、20年前の上海のこの場所の面影に引きずり込まれるのだった。目を閉じれば、カビの臭いがしてきそうな古ぼけた昔の上海の街の姿がぼんやりと目に思い浮かんでくる。万国の国旗のように、家々の窓から外に突き出す洗濯物を干す竿。まるで万国の国旗のようである。一階はお店、二階が住居。夜になると街灯も乏しくあたりが薄暗い。自転車が眩しくないようにと、車も殆どライトを付けずに走っていた。外国人が行く観光スポットと言えば、昔のお金持ちだった人のお屋敷・豫園かバンドしかなかった、、、、、。もちろん、浦東あたりはまだ古い民家か畑ばかりだった。

2010年11月01日
中国・上海万博を経て・名実共に大国として成長してほしい

10月31日朝、私は上海から福岡に戻るべく市内からタクシーに乗り、浦東空港に向かった。日曜日だったので、都市高も普段の慢性渋滞から開放され、道路はかなり空いているものと踏んでぎりぎり時間で出発をしたら、都市高に乗った途端、車が長い列で繋がり、全然動かないのではない。交通事故でも起きたのかも思ったが、しかし、雰囲気が違うことに気がついた。そうだ、半年も続き、世界中の人々の目を一点に引き寄せていた上海万博が31日で幕を閉じることになっているのだ。中国の国家要人が閉幕式に参加するために、続々と万博会場に向かっている。そのために、都市高が通行止めになっているのだ。困ったことになった。ドライバーも焦りだした。しかし、逃げ道はない。とにかく一刻も早く通行止めが解除されること願うしかなかった。願いが通じたのか、10分ほどで車が動き出した。あーー、やれやれ、胸をなで下ろした。
80年代から続いて改革開放政策により、中国経済は飛躍的に発展し、2008年には北京オリンピック、そして今年は上海万博を大きなジャンプボートとして、中国経済は日本を追い抜き、ついに世界第二の経済大国の地位を獲得した。上海万博閉幕の前夜に、上海にいる中国人の友人達と食事をしながら、中国談義をしていたら、弁護士をしている中国の友人が「これで、中国も数字や量的だけではなく、名実共に大国と呼ぶのに相応しい品位ある国として、成長していかなければならない。しかし、その道程は果てしなく長い。謙虚かつ真摯に日本の社会制度について学ぶべき時がきていると思う」と、熱く語られたことが印象的だった。私もまったくその通りだと思う。そのことを実現させるためにも、両国の政治関係が一刻も早く健全な関係になることだ何よりも大事である。

