2009年05月25日
大きく成長した南京の桜

今まで何度も南京へのお花見訪中団に参加したけれど、しかし、一度もきれいに咲いている所を見たことがなかった。
いつも少し早いか、あるいは遅すぎて散ってしまっているか、中々タイミングが合わない。13年目にしてやっときれいに咲いているところに遭遇することができた。本当に感激した。福岡から一緒に訪中団に参加された皆さんと一緒に何枚も写真を撮った。
このきれいな景色を記憶にしっかりと刻んでおきたいと思っているかのように、皆さんも本当に嬉しそうだった。中国の皆さんと一緒に日本から携えてきた日本酒を飲み交わしながら、歌ったり踊ったり、時間が立つのも忘れるほどに。
ところで、皆様ご存じのように、今から13年前、福岡県民から募金を募り、江蘇省人民代表大会(省議会に相当)の協力によって、中国偉大なる革命家・孫文先生が眠る南京中山陵の中にある梅花山の隣接地に、福岡—江蘇友好桜花園が建造された。
今では桜が咲く季節になると毎年、多くの福岡県民が南京に訪ねられており、南京市民の憩いの場所にもなっているのだそうだ。江蘇省の皆様の深い愛情に育てられているそれらの桜は、太く逞しく生長し、誇らしそうに春風に揺れていた。

2009年05月18日
幻の動物・四不象
中国とつきあって半世紀、その間、中国訪問三百回を超える私だが、まだまだ知らないことが多くあると実感させられている今日この頃なのである。
以前から江蘇省の友人が塩城はいいところなので、一度尋ねてほしいとずっと言われていたけれど、中々チャンスに恵まれずにいたが、ついに、この間、江蘇省塩城市への訪問が実現したのだ。南京から数時間バスにゆられた後に塩城に辿り着いて、なぜ友人があんなにも塩城をすすめられるのか、その理由がやっとわかった。塩城は自然環境に恵まれ、干潟や草原、森林など自然の宝庫で、そのため、野鳥や野生動物が多く生息し、渡り鳥の越冬の地としても名高い地域。
そして、中国広しといえども、他の地域には生息していない幻の動物・四不象保護区があるのだ。四不象という名がついているが、もちろん象ではない。この動物は、角は鹿に似ているが鹿にあらず、面は馬に似ているが馬にあらず、そして、尾はロバに似ているがロバにあらず、蹄は牛に似ているが牛にあらず。それが故で四不象と名付けられ、英名ではダビットソンディアというらしい。
四不象は群れで移動する。そして、交尾の時期になると雄同士の決闘が始まる。最終的に決闘に勝ち残った一匹の四不象王だけが、一群れの雌達との交尾が許され、そのルールは自然界の掟として堅く守られているのだという。パンダの存在は知っている人は多いけれど、四不象を知らない人は多いのではないのかと思う。
もし、蘇州まで行かれ、時間的に余裕のある方は塩城まで足を塩城まで足を伸ばされ、四不象見学をされては如何でしょうか。
以前から江蘇省の友人が塩城はいいところなので、一度尋ねてほしいとずっと言われていたけれど、中々チャンスに恵まれずにいたが、ついに、この間、江蘇省塩城市への訪問が実現したのだ。南京から数時間バスにゆられた後に塩城に辿り着いて、なぜ友人があんなにも塩城をすすめられるのか、その理由がやっとわかった。塩城は自然環境に恵まれ、干潟や草原、森林など自然の宝庫で、そのため、野鳥や野生動物が多く生息し、渡り鳥の越冬の地としても名高い地域。
そして、中国広しといえども、他の地域には生息していない幻の動物・四不象保護区があるのだ。四不象という名がついているが、もちろん象ではない。この動物は、角は鹿に似ているが鹿にあらず、面は馬に似ているが馬にあらず、そして、尾はロバに似ているがロバにあらず、蹄は牛に似ているが牛にあらず。それが故で四不象と名付けられ、英名ではダビットソンディアというらしい。
四不象は群れで移動する。そして、交尾の時期になると雄同士の決闘が始まる。最終的に決闘に勝ち残った一匹の四不象王だけが、一群れの雌達との交尾が許され、そのルールは自然界の掟として堅く守られているのだという。パンダの存在は知っている人は多いけれど、四不象を知らない人は多いのではないのかと思う。
もし、蘇州まで行かれ、時間的に余裕のある方は塩城まで足を塩城まで足を伸ばされ、四不象見学をされては如何でしょうか。

2009年05月11日
茶祖・栄西禅師に思いをはせながら
今年は例年になく、ゴールデンウィークは爽やかな晴天に恵まれ、正に五月晴れと呼ぶに相応しいお天気だ。久々の休み。山に出かけ、森林浴を楽しみながら、山菜採り。体にいっぱい酸素を吸い込めば、身も心も見る見るうちに元気になってくる。自然は本当に素晴らしい。都市の中心部からそう遠くないところに、青い海、そして美しい山々が点在し、なんとも贅沢なこと。福岡の住民であることが改めて嬉しく思った。
ところで、先日、那珂川町から三ツ瀬峠を超える手前の成竹山付近の林道の道ばたで、野生の茶の木がたくさんあるのを見つけ驚いた。なぜそのような所に、お茶の木が生えているのか不思議に思ったが、しかし、よくよく考えてみたら、そのあたりは、日本、お茶の発祥の地であることを思い出した。皆様ご存じのように、今から約八百年前に栄西禅師が宋から茶種を日本に持ち帰って、最初に植えた場所が背振山。もちろん、それ以前に日本にお茶がなかったわけではなく、古く奈良時代には既にお茶が存在し、貴族の間ではお茶を楽しむ習慣もあったらしい。ただ、栄西禅師が茶種を九州の背振山に植えたことにより、お茶は一般の庶民の間でも広く飲まれるようになったのだという。
実は、私が見つけた野生のお茶の木にはみずみずしい新芽がたくさんつけてあった。三匹の子豚に出てくる少女ではないが、お花ではなく、私はお茶摘みに夢中になっていた。早速、摘んで帰って来たお茶の新芽を、以前、中国のお茶の産地・杭州でお茶を鉄なべて煎りっているところを思い出しつつ、家にあった鉄なべてで手で揉みながら煎りってみた。祈りを込めて。するとお茶らしき形になったのではないか。早速、一つまみをティーポットに、沸騰したお湯を入れて待つこと一分。高貴で瑞々しい香りがするお茶がポットいっぱいに広がる。お茶の種を持ち帰ってきてくださった栄西禅師に思いをはせながら、お茶を美味しくいただいた。自然の恵みに感謝。

実は、私が見つけた野生のお茶の木にはみずみずしい新芽がたくさんつけてあった。三匹の子豚に出てくる少女ではないが、お花ではなく、私はお茶摘みに夢中になっていた。早速、摘んで帰って来たお茶の新芽を、以前、中国のお茶の産地・杭州でお茶を鉄なべて煎りっているところを思い出しつつ、家にあった鉄なべてで手で揉みながら煎りってみた。祈りを込めて。するとお茶らしき形になったのではないか。早速、一つまみをティーポットに、沸騰したお湯を入れて待つこと一分。高貴で瑞々しい香りがするお茶がポットいっぱいに広がる。お茶の種を持ち帰ってきてくださった栄西禅師に思いをはせながら、お茶を美味しくいただいた。自然の恵みに感謝。

2009年05月04日
新たに歩み出す九州上海事務所

事務所の開設にあわせて、私も知事の任命を受けて、当事務所の顧問に就任し上海事務所の皆様と共に、福岡県内企業の対中国ビジネスをサポートさせていただいきた。そして、2006年には、福岡市、北九州市、九電さんも加わり、上海に共同事務所が誕生した。
事務所の場所も日本人が多く住む地域から、上海市の市役所や政府当局関連事務所が多く点在し最も活気あふれる人民広場の近くに移した。日本人村から脱出し、中国の人々の息吹が感じられ、移り変わっていく上海の街を肌で感じることができる場所だ。
3年が経過したこの春、福岡市と北九州市が個別事務所として登録し、同じビルディング内ではあるが、個別にオフィスを構え、それぞれで新たに歩み始めた。来年五月から十月までは上海万博が開催される。
国際社会のパワーバランスが劇的に変化していく中、中国の発展がアジアの運命を握る。中国と福岡県を結ぶ大事な絆としての役割が果たされるよう心から願う。

