2008年01月07日
ロシアより中国大陸に思いを馳せて part11
わずか一週間という短いロシアの滞在だったけれど、ガイドさんを通して、実に多くの
事を学んだ。距離的にはやや遠い国なのだけれど、ロシアへ行ってみて、いろいろな
意味でロシアはとても近い国のように思えた。それもそのはず、江戸時代に、中国、
朝鮮をのぞいて、日本人が訪問し、その国の文化を最初に持って帰った最初の国はロシア。
日本に開国するように、使節を送ってきた最初の国もロシア。ピョートル大帝の改革は政
治維新の指導者に大きな影響を与えという。他方、ロシア人も江戸時代から日本の文化
に強く惹かれ、日本語の勉強も盛んだったというし、文化の面における相互の影響もかなり
大きかったという。そして、今でもサンクトペテルブルグ大学では日本語と日本文学の研究
が盛んで、プーチン大統領の娘さんもその大学で日本語を学んでおられるというくらい、
実は日本とロシアの関係は深いということがわかった。

※次回掲載は、1/14(月)を予定しております。
事を学んだ。距離的にはやや遠い国なのだけれど、ロシアへ行ってみて、いろいろな
意味でロシアはとても近い国のように思えた。それもそのはず、江戸時代に、中国、
朝鮮をのぞいて、日本人が訪問し、その国の文化を最初に持って帰った最初の国はロシア。
日本に開国するように、使節を送ってきた最初の国もロシア。ピョートル大帝の改革は政
治維新の指導者に大きな影響を与えという。他方、ロシア人も江戸時代から日本の文化
に強く惹かれ、日本語の勉強も盛んだったというし、文化の面における相互の影響もかなり
大きかったという。そして、今でもサンクトペテルブルグ大学では日本語と日本文学の研究
が盛んで、プーチン大統領の娘さんもその大学で日本語を学んでおられるというくらい、
実は日本とロシアの関係は深いということがわかった。

※次回掲載は、1/14(月)を予定しております。
Posted by 青木麗子 Reiko Aoki at 10:00│Comments(1)
│青木麗子の日々
この記事へのコメント
偶然目に留まりました。
若いとき3年ほど台湾に勤務してました。
戒厳令時代でもあり疲れ果てて帰国して
以来、中国であれ台湾であれ二度と中華系
と関わりたくない、くらいインプットされていま
したが年になるとそれさえ懐かしくなるブログ
ですね。
若いとき3年ほど台湾に勤務してました。
戒厳令時代でもあり疲れ果てて帰国して
以来、中国であれ台湾であれ二度と中華系
と関わりたくない、くらいインプットされていま
したが年になるとそれさえ懐かしくなるブログ
ですね。
Posted by 楽子工房 at 2008年01月07日 10:51
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